人生の偶然性

思っていたより、その後の人生のルートが決まる出来事は、運命なんかではなく偶然だと思う。

・中学の時野球部に入ったのは、仮入部期間最終日に吹奏楽部に行った時、音楽室から見えたグラウンドに、野球部の新入生が1人しかいなくて、これじゃ野球はできないと思い、下手ながらも役に立てるのではないかと感じたからだ。あの日、音楽室から外を見なければ、きっと違う人生を歩んでいただろう。

・高校で少林寺拳法部に入ったのは、ボクシング部の体験みたいなのに行っていた帰りに、よく知らない3年生から「君、校章曲がってるよ」と言われ、校章の位置を直され、そのまま少林寺拳法の活動場所に連行されたからだ。あの日、ボクシング部の体験に行かなければ、あの先輩がいなければ、きっと違う人生を歩んでいただろう。

・高校の頃の彼女を好きになったのは、同じクラスで、出席番号が近くて、たまに話すくらいの関係だったけど、体育祭が終わった後のクラスでの小さな打ち上げみたいな時間に、綺麗だなと思って、声をかけて写真を撮ったからだ。あの日、彼女が視界に入る位置にいなければ、そもそもクラスが違ったら、きっと違う人生を歩んでいただろう。

・志望校を岐阜大学にしたのは、高校1年生の春休み、「氷菓」という、岐阜県高山市が聖地になっているアニメの聖地巡礼も兼ねた旅行に、友達に誘われたからだ。あの日、友達に誘われなければ、きっと違う人生を歩んでいただろう。

・大学で、Twitterのアカウントを作ったのは、高校の頃の友達と通話をしていた時、「今から架空のサークル作って1番フォロワー増えたやつに飯奢ろう」というゲームを持ちかけられたからだ。あの日、そのように持ちかけられてなければ、その通話に入っていなければ、きっと違う人生を歩んでいただろう。

・大学で大切だった出会いはいくつかあるが、その中でもTwitter以外のところから始まったもので、特に大切だと思う出会いがあったのは、大学1年生の必修の英語の授業で、スピーキングテストが進むのを待つ間、たまたま隣の席になった同級生に「最近感情を動かされたことあった?」と聞き、バイトで泣いた話を聞いて、面白い人だなと思ったからだ。あの日、隣の席になっていなければ、その話をされなければ、きっと違う人生を歩んでいただろう。

・大学院を外部のところに決めたのは、自分が興味を持った内容を、ただ1人修士論文で書いている人がいたからだ。もしその人がその内容に興味を持っていなければ、きっと違う人生を歩んでいただろう。

これからの人生もそんな感じで、偶然で決まっていくのだろう。

これを運命と呼ぶのなら、その響きも、そこまで悪いものではないだろう。

気狂いの人はお願いします。気を狂わせて何かします。