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ギュスターヴ・モロー美術館

 パリ9区のラ・ロシュフーコー街に在るギュスターヴ・モロー美術館に行った。広い通りでバスを降り、路地の緩やかな坂を上がっていくと、右手に石造り4階建ての建物が見えてくる。周囲は住宅街だが、緑は少なく無機質な感じだった。街灯も少なく、夜は淋しいだろうなぁと思った。犬の糞が至る所に放置されており、治安は悪そうだった。(こういう事は観光ガイドブックは絶対に書かない(笑)。)

                       

                      ギュスターヴ・モロー美術館
                       美術館(左側)の前の通り

モローは、1852年から、72歳で亡くなる1898年迄、約46年間をこの家で過ごした。死後、遺言により、建物、作品等は一切国に遺贈された。美術館としてオープンした時は、油彩画約800点、水彩画575点、デッサン約7000点が残されていたという。

 モローは、1857年、自費で2度目のイタリア旅行をし、約2年間イタリアに滞在した。フランス象徴主義の画風はこの時に培われたという。帰国して、官立美術学校で教鞭をとることもあったが、多くの時間はロシュフーコー街の自宅のアトリエで費やされた。この頃の教え子にはアンリ・マティス、ジョルジュ・ルオーがいる。

 さて、入口を入り、階段を3階まで上がるとそこがアトリエになっていた。正面に「ユピテルとセメレ」の巨大な絵が掛かっている。他の壁面もすべて絵で覆いつくされていた。3階から4階へは木造の螺旋階段を上がる。

                               螺旋階段
4階に上がり階下のアトリエを見る。正面に「ユピテルとセメレ」が掛かっている。

 4階の壁面も隙間なく絵が掛かっていた。

                                  「人類の生」
                                  「三角獣」
                      「出現」(写真がぼやけてしまった)
                             「出現」(部分)
                        水彩画も自由にみられる

 2階には私的な部屋が並んでいた。

                            母親ポーリーヌの寝室

 モローは生涯独身だったが、アレクサンドリン・デュルーという名の女性を愛していた。二人の関係は25年続き、モローがアレクサンドリンに贈った絵などを展示した小部屋もあった。

                     アレクサンドリンゆかりの小部屋
                                     同上


 


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