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この道は

急に、金木犀が香った。

自転車を飛ばして毎日のように通うことになってしまった集合住宅の、駐輪場のそばに、大ぶりな金木犀の木が3本立っていたことに、気がついた。
今日一斉に咲いたなんてことがあるのか、昨日までは全く意識に上らなかった。

金木犀の匂いで季節の移ろいを感じる、なんてもうとっくに擦り切れた感覚だと思っていたのに。

日々、川べりに出て、草木を眺め空を見上げ風を浴びていると、おのずと季節と歩調が合わさっていく。
しかし、次々押し寄せる毎日をただ必死に過ごす内に時に置いていかれ、川べりにも久しく出かけられずにいたその時の私は、暑く長い夏の最中から急につまみ上げられて「今」に落っことされたようなものだった。
いつの間にか、知らない場所にいる ってことに気がついた瞬間だった。

それから数日後、義父は亡くなった。
亡骸の傍を離れられない義妹の、子どもたちを連れてすぐ隣の公園に行った。駐輪場の脇ではあの金木犀が、何度か雨に打たれ山吹色を減らしつつも、まだ仄かに匂いを残していた。
ブランコの囲いに腰掛けて、ふと真上を見ると大きな桜の梢に縁取られた空に、雲が、どんどん流れていくのが見えた。

その空の色、雲の模様で、自分がどこにいるのかがやっとわかった。
それは、日常に戻っていく予感、新しい日常を歩き出すためのスタートラインだったのかも知れない。

よその金木犀の花は、その後咲き始めたようだ。
漂ってくる香りに首を巡らせながら、迷子なのだと気づいたあの日の感覚を思い出すことが何度かあった。

今はまだ非日常の余韻の中を生きているけれど、自分にとって確かなもの を少しずつ取り戻しながら歩いている。
私自身は何も変わらなかった、ただ激変した家族の心身を支えるための無理が日常をねじ曲げていっただけ。
もういいかな、そろそろいつものお散歩コースに戻っていいのかな。ワガママだって自覚はあるけど、叶う限りは、好きな道を、好きなように、私の歩調で歩いていたいんだ。