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父と甘栗と私


 あれは、高校1年生の冬休みのこと。
父から突然、「カリン、冬休みに父さんのところで、バイトしないか?」と誘われて、私は「え、いいの?」と喜んでO Kしました。その頃の父は、池袋にある甘栗工場の責任者を任されていたのです。

「でも、ここから池袋までは2時間近くかかるから、朝6時には家を出ないと間に合わないよ」と、父は言いました。
「うん、わかった、大丈夫よ」
この寒い冬に毎朝6時に家を出るのは辛かったけど、お金を貰えるんなら、何てことないや。ラッシュアワー大変だけど、それは毎日の通学でも同じだから、きっと大丈夫🙆‍♀️
 でも、これが結構、キツかった!
同じ満員電車でも、通学の時は朝7時半に家を出ても、十分間に合ったし、通学時間も1時間もあれば学校に着いた。バイトとはいえ、家から仕事場まで2時間はキツイです。でも、工場長の父は、毎朝5時には家を出ていたと思う。

大きな窯に熱した石で栗を焼いて
最後に蜂蜜を絡める

 工場では、いつも甘栗の焼けるイイ匂いが広がっていて、私はその香りに包まれているだけで幸せな気分に包まれました。工場には、私の他にも、高校生の子達が数人来ていました。みんな、パートのおばちゃん達の子供でしたが、私は違う学年の女の子達とは少し距離感があって話すことが出来ませんでしたが、一人だけ同じ1年生の男の子がいて、その子とは楽しく話すことが出来ました。

 小さな作業用のテーブルを向かい合わせて、甘栗の袋に会社の印旛をペタペタとスタンプで何百枚もニ人で押しながら、よくお互いの学校の話に花を咲かせていました。
 でも、その割には、お昼とか一緒に食べたことなかったなあ。恥ずかしかったのかも? 

甘栗工場では、甘栗の製造の他にも、世界のナッツ類やドライフルーツ🥭などをスーパーや、デパート等に卸していましたが、私の仕事は、甘栗の選別や、(傷の有無など)焼き上がった甘栗が冷めると軽量しながら袋詰めをして、最後に赤い紐でキュッて袋を🧧締めたり、箱に詰めたりしていました。

父やみんなと作った沢山の天津甘栗

昼休みには1人で外へ出てお蕎麦屋さんとか、ケンタッキーに行って休憩して、それでも時間が余った時は工場の見晴らしのいい屋上へ上がり、空を見ながらユーミンの「飛行機雲」や「瞳を閉じて」などを口ずさんでいました。

飛行機雲の下を白い鳥が飛んでるみたい!

 父はいつも残業しているので、帰りも別々でしたが、ある日珍しく父が「今日は仕事が早く終わったから」と、一緒に帰ることになりました。帰りの電車は混んでいて、座る席はありませんでしたが、その時、一人の青年が、突然、「よかったら、どうぞ」と父に席を譲ってくれました。でも、私は少し悲しくなりました。父はそんなに、おじいちゃんに見えるのかな?

帰りの電車で若者に席を譲られた父

 父の白髪は確かに目立ちましたが、その当時はまだ、50代だったはずです。私は父がせっかく親切にしてくれた青年に「俺はまだ、そんな年寄りじゃない」と怒り出したらどうしよう?
と、内心ヒヤヒヤしていたのですが、父は、
「ありがとうと」言って座席に座りました。
実は、父は家の中ではいつも機嫌の悪い人という印象しかありませんでした。
 でも、工場の中での父は、とても穏やかで、
一度として職場では部下を注意したり叱ったりする場面もなく、みんなにテキパキと、指示を出して頼もしく感じました。
 父と一緒に仕事をしたのは、高校1年生と、
2年生の冬休みと春休みの計4回でしたが、親子して同じ場所で働けるなんて、そうそうない経験だと思うし、優しい父も見れて嬉しかったです♪

そして、何より嬉しかったのは、私の家の近所の商店街でも、甘栗が売られていたことです。
もちろん、いろんなスーパーやデパートでも!
あ、私とお父さんが作った甘栗だ!
と、つい嬉しくなって、近所の友達に買って帰ったこともありました。近頃は商店街も少なくなって、焼きたての甘栗を見かけることも無くなりましたが、いまでも冬になると、ハチミツが溶けて少し焦げたような、あの鼻をくすぐるような甘い香りを思い出します。

#焼き甘栗
#天津甘栗
#飛行機雲
#冬休みのアルバイト







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