019【日記】人の死について
度々思うことがある。
世の中の人は意外と人が死ぬ想定で過ごしていないのではないかと。
私だって、例に漏れず。
彼氏のお姉さんと話す機会があったとき、彼氏とも話したりするときと同じ違和感があった。
「自分に何かあったとき」「彼氏になにかあったとき」「(彼氏家)ご家族やお母さんに何かあった時」を考えて挨拶はちゃんとすべきだと思っていて、そこにこだわらなくていいじゃん、という話ではないと。
そういう話をしたとき、「何かあった時」などに死が含まれていないで向こうは話すのだ。
自分の親が何歳かわかっているのだろうか。自分が明日死ぬともしれないことをは考えていないのだろうか。
だとしたら薄情な人たちだな、と少し思うのだ。
私は小さい頃から直接死に触れてきた。
ペットの死は言わずもがな、(うっすらと覚えている)ひいばあちゃん、ひいじいちゃん、私の次に生まれた従姉妹、算数を教えてくれた優しい先生、もう一人のひいじいちゃん、看護学校では担当していた患者さんが土日挟んで亡くなっていた。
最近は実家の隣家のおばあちゃん。
先生に至っては突然だった。
私自身死にたい気持ちで過ごす時間があった。
人はいつそのときがくるかわからない。
今の段階で自分の両親の心配をしている。
でも、彼氏の家はそんな感じじゃない。
歳だから、そっとしといてやりたい、は言うけど、死んでしまうかもしれない可能性はそこに入ってない。
とても驚いた。
漠然とした死も抱えず生活している人もいるんだな、と初めて思った。
みんなは、どう思いながら過ごしているのだろう。
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