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元鬱病、苦手な謎解きを思う

謎解きが趣味だと言う人が一定数いる。体感として、大学受験等で好成績を修めてきた人が多いように思う。

私も苦手ではないのでよく付き合わされるのだが、如何せん好きになれない。この理由を少し考えてモヤモヤを言語化したい。

まず、問いに対して正解がひとつしかないことに物凄く抵抗を覚える。人間関係でも仕事でも、答えがひとつなんてこと、現実にないではないか。正解がひとつしかないから、謎解きをする人間は速さで勝負しようとするし、正解に関係ない発想や気づきは疎かに扱われる。そこが納得いかない。

本来は問題に対して一方的にアプローチするのではなく、他人と何度も頭を付き合わせて、粘り強く議論を続け、お互いが妥協して答えを出すから、速度よりも相手の意見を尊重することが優先されるはずだ。私はこういう頭の使い方が好きなのだ。だから、ひとつしかない正解を導くための速度重視の独りよがりな思考は、物凄くストレスがかかる。

何が厄介かって、自分を好きになる人は、謎解きが好きである傾向が強いのだ。なぜ苦手なものを大好きな人に好かれるのか。私も謎扱いされているのだろうか?だとしたら、土足で解き明かされるのもなんだか腹が立つ。君の好奇心を満たすために存在してる訳じゃないんだよ。

誰かが利益を得るために出した問いの正解を出して喜んでいる姿を見ても興ざめだ。地頭は良いんだから、どうやったらパレスチナ問題が解決するか、日本の貧困が軽減されるか、北方領土はどう決着をつけるのか、汚職議員をどう罰するか。そんなことに時間を使う方が楽しそうだが。

これからは答えのない議論を楽しめる人と時間を使いたいものである。

明日も自分に優しくできますように。


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