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元鬱病、デ・キリコ展へ行く

道端を歩くだけでとりあえずゲボを吐いて気持ちをスッキリさせたくなってしまう夏バテの今日この頃。デ・キリコ展へ行った。

私にはあまり共感されない趣味がいろいろあるのだが、そのうちの1つに「あまりにも意味がわからない催し物には逆に行ってしまう」というものがある。デ・キリコ展もその一つだ。これが「奈良大仏展」とか「ルネッサンス期のイタリア展」とか「ジブリ展」とかなら既に過去30年間で概ね見飽きているので好奇心は刺激されないのだが、デ・キリコ展の広告の絵をふと見かけた時、意図とか思想とかモチーフとか諸々が理解できなかった。即座に行かねばならぬリストにランクインである。

以下、デキリコ展の感想である。
・なぜかキリコは考古学者と詩人を推している(おそらく理由は確実にあるんだろうが知らぬ)
・不安を煽る色彩と、その背景の色とは対照的に群れていれば安心できる謎の型枠に強烈な違和感と既視感を覚える(おそらく鬱になった時に会社への猜疑心は強かったのに、それを同僚に伝えても皆目の前の業務さえこなしていれば事実を無視できるので、全く相手にされなかった違和感と重なった)
・Kpopや海外歌手がヨーロッパの貴族モチーフの格好をしてPVを撮っているのはよく見かけるが、キリコも自画像で同じことしていたので「この手法は遡ればあるあるなのか」と新鮮だった。

今回は流石に意味がわからない予感がしたので、人生で初めて有料の音声ガイドを借りてみた。やはり、見所の絵の解説や、右のマヌカン(マネキン)は画家本人を現しているなどの小咄が聞けて楽しい。何よりも、毎度のことだが人道に反しているのではないかと思われるような小ささの展示解説のパネル前に群がり、目を細めたり他人に横から覗かれながら小さい文字と絵画を交互に忙しなく見つめる必要がないことが素晴らしい。なるほど、お金を出せばストレスが減るのかと思い知った日であった。

明日も自分に優しくできますように。

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