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元気100倍アソパソマソ

引っ越しまで残り1週間。
実家は猫がいるからまぁまぁ好き。
朝は猫のトイレ掃除して帰ってきて晩御飯の洗い物。
それ以外は私が仕事から帰ってくるまでにやってくれている。母と兄が長年築きあげたルーティンを崩さず当たり障りないお手伝いマンである。
たまには晩御飯をご馳走するし、お金も渡している。
昨晩母と引っ越しの話をしていた。
「休みは自分のために使ってええな〜あんた」
あー思い出した。
うちの母はこういう人だった。


進学や就職などよくある理由と関係なく私は19歳で家を出た。
最長14連勤するほど社畜を極めていた七夕ちゃん。
みんながキラキラスクールライフを送る中
蕁麻疹が出るほど働き給料の半分以上は家に渡していた。
休みの日はほとんど家で寝ていたけれど
たまには私だって友達と遊ぶ。すると決まって
「休みの日に自由に遊びに行けていいご身分」
なんだコイツ。
ここまで三兄弟をほぼワンオペで育ててくれたことには感謝しきれないほど感謝している。
だけどなんだコイツと思った。
仕事を辞めて家でのんびり暮らせるように
娘は37キロまで体重が減っても働いてるのに!?
なんだコイツ。
長年育児家事仕事の呪縛に囚われていた母を解放したら捻くれババアになっていたのだ。
でもそれを誰も責めることができない。
そうして捻くれババアDXに更に進化した。


母が好きだ。
私はずっと母の味方をしてきたし兄弟唯一の母親っ子だった。

中学生の時両親が離婚。
私に残された選択肢は公立高校への進学(絶対)or働くだったのである。今世紀最大のバカだったので死ぬほど勉強して無事に美術を専攻して受けれる公立高校へ入学した。
入学式前にはすでにバイトを始めていた。
学費に教科書代、制服代や定期代を稼ぐために。
朝6時に起きて学校に行き帰ってきて22時までバイトして学校の課題をして寝る。一年生の一学期にはヘルペスが友達になり原因不明の咳に苦しめられて授業中に廊下に出て咳が止まるまで歩いてた。
そして人間は恐ろしい。この生活に慣れるのである。


3兄弟全員大学へは行かずすぐに働いた。
だけど私は絵を描きたくて進学を希望した。
お金は自分で払うから迷惑かけないバイトも続ける、と母に話した。
すると私立高校へ進学した姉兄の奨学金の返済残高を見せてきた。行くなって事だ。働け。
とことん運のない私はこれを機に絵を描くのを辞めた。


母親に3兄弟ランキングをつけられた事もある。
子供をランク付けするのはどうかと思うが。
母親っ子だった私は華々しく3位だった。


夜な夜な勃発する小さな声での夫婦喧嘩。
私は起きてしまい隣の部屋で布団の中で聞いてきた。
盗み聞きは良くない。

子供はどうすんねんと母が言う。
親権についてだ。兄弟バラバラは悲しい。
七夕はいらん そう父親が言い放った。
誰がお前になんかついて行くか。
本当に愛されてなかった。
私には母しかいない。


離婚が決まった朝。
泣いている姉を母は抱きしめた。
私は座りながら高校へ行けるのか、生活できるのか、色んな不安が裸の私に容赦なく攻撃してきて泣いてしまった。珍しく泣いている私を見て母が言った
「何泣いてんねん」
冷たかった。
父親っ子の姉は抱きしめるのに。
誰にも抱きしめてもらえず
家族を思う言葉さえ口に出す権利もなかったのだ。
私には母もいなかった。


父親が家を出る日。
私と父親だけが昼間家にいた。最悪。
すれ違うことも同じ空気を吸うことも嫌だった。
そしてアイツは私の前に座り泣いて喋り始めた。
なんだコイツ。
「あの夜の喧嘩、私聞いてたよ」
って言ってやりたかった。
お前に泣く資格なんてない。私と同じように。

ここから今に至るまでとことん運のない私は痛覚の麻痺した感情を手に入れた。実質無敵。カロリーゼロ。エコロジー。チョコレイトディスコ。

土日は何故こんな話を書いてしまうのか、、、でも

私のことを抱きしめてくれる人が少なからずこの世界にたった1人だけいる。

私が彼を抱きしめてあげる時は私が経験したことない
100倍のやさしさと100倍の愛で。



下書きに残し数時間後に見てみたら
なんだコレミステリー。
まぁこの記憶を成仏するためにいいか。
タラコパスタ食べたい。

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