見出し画像

20代で会社員を辞めてテニスプレイヤーに⓷

テニスとは何故か縁が切れず…そして鬱で苦しむ新人時代


こんなにテニスが好きじゃないはずなのに、しかも練習したくないのに、一旦体験に行ったら入らなきゃいけない圧を勝手に感じてテニス部に入部、

会社でも部のエースになってしまい(高校のテニス部は公立校だったため3年間エースであった)、辞めたくて仕方がないのに、期待されているから辞めると言い出せないなと思い込み、2年が過ぎた。
ちなみにテニス部の活動は週1であり、半分以上は参加しないといけないし、春と秋のリーグは参加必須だった。毎度、試合も憂鬱でガットはビヨンビヨンで試合に行くし、お古のラケットと靴で試合していた。

テニスからは逸れるが、社会人2年目は仕事も忙しくパワハラ上司にあたってしまい、先輩からの飲み会の誘いも2つ返事で全て行っていたので、寝る時間もなく食べる時間もなく鬱病になった。朝の3時に帰って、7時に起きて通勤して、理不尽に説教されての日々が続くと、段々頭もおかしくなってきて、毎朝身体の感覚がなく、色々な箇所が痙攣しながら通勤していた。電車では自然と涙も出てくるし、毎日同じ車両に乗っていたので、毎朝泣いている子がいると思われてたであろう。確か男運もなくて恋愛関係でもズタボロだった時期だった気がする。。ボロボロの身体で夏休み期間中も家でずっと見積もりを作りながら休む暇もなく、動悸がひどく、その時は実家に住んでいたけども、家族に話しかけられても何を話されているのかもわからず上の空だった。
夏休み最後の土日はテニス部の合宿に行かなければならなかったので、参加してずっと仕事のことを考えていた。

合宿の翌日?胃痛があったので病院に行くために会社を休んだ。おそらく全く表情がない私を見た先生が「大丈夫ですか?辛ければ診断書も書くので」と言ってくださり1回は断りつつも、「もう誰かに殺して欲しい」、「気絶して倒れて入院したい」と思ってもできなかった私は胃炎の診断書を1回書いてもらって5日ほど休んだ。
今だと笑えるが、電車の中や風呂場、砂利の駐車場でスマホで「気絶 方法」と調べて頑張って試していたww

そういえば、とある営業先に行った時に初めてのお客様から「ちょっとおいで。ごめんね、この提案のコンサル料をうちは払えないから契約できないのだけど、仕事どんな感じなの?そんなの転職した方がいいんじゃない?」とジンジャエールを出してくれて声を書けてもらったことがあったが、おそらく顔色の悪い表情のない私を見てすぐにやばいと思って声をかけてくれたんだろうなと思う。もう何年も経つし、お礼を言いたいけど1回しか会ってないし覚えてないかな。

話を戻すと胃腸科の先生からは精神科に行った方が良いと言われ家族には内緒で精神科を受診した。
鬱病の診断書を出すので1カ月休みなさいと言われたが、鬱病=弱い人間というレッテルを貼られると思って拒否した。凄く死にたかったけど自殺=弱い人間だったと思われるのではと思うと死ねなかった。これは誰にも言ってない…

昔から弱音=弱い人間でダサいと思っていたけど、人に弱味を見せられない自分が弱いのではないかなと最近は思ったりする。
今でも人に考えを否定されるのが怖くて自分の本音は隠してしまう。本音を明かした方が人間味があるし、仲の良い友達も増えるんだろうなとも分かってはいる。

話が少し逸れてしまったが、この頃、ちょうどストレスチェックが届いていたので、受けると高ストレスのため産業医を受診しろと書かれていたので産業医に相談した。
精神科医に休職しろと言われているが、自分はしたくないと言ったら、妥協案として残業禁止となったのですぐに上司に連絡が行った。その頃、私の2つ上の先輩も同期も会社に来れなくなっていたので上司の焦りはもの凄くて私に対して優しくなった。

上司のパワハラは社内で有名になっていたので人事面談があった。
お母さんのような人事の偉い人から(元営業部長)身体を壊すくらいならもっと楽な場所に異動するように取り計らうと言われたが、「先輩たちが物凄く頑張っていて、何もできていない私がこんな未熟な状態で異動するなんてできない」と言いそのまま残ることになった。

今思うとなんて言葉だろう。。部署の先輩たちはとてもいい人たちでおそらく上手くサボっていたと思うけど、めちゃくちゃ仕事しているように見えた。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?