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20XX年、成果や能力を完全に定量化し数値で評価する時代がやってきた

海は枯れ 地は裂け
あらゆる生命体が絶滅し・・・なかったが、
人類は別の問題に悩まされるだろうなというお話。


ちなみに北斗の拳大好きです。

ずっと前に6歳くらいの子供に知識量で勝負になり、普通に負けました。子供の学習意欲、恐るべし。




コミュ力なんかより成果や実力で評価すべき!と憤る

はじめにはっきり述べておきますと、
私も不公平感というものを感じること多々です。

おそらく人間誰しもが「あの人は〇〇でいいなあ」といった感情をおぼえることは人生一度くらいはあることでしょう。

たとえば会社に勤めているAさんは、同期のBさんは課長と仲がいいから、コミュ力があるから評価が高いんだ。許せない。自分のほうが良い成果を出しているのに、実力があるのに・・・!なんて、つい考えてしまったり。

誰が悪いということもなく、きっと人にはそういう一面があるものなんです。


では、完全に公平な数値化をしようじゃないか!と試みる

となると、完全に公平な数値とはなんでありましょうかという話が最初にきます。

さて、おなじ人間によっての完全に公平な数値化というのは事実上不可能です。だっておなじ人間ですもの。そんなものは不公平です。

それでは何らかの上位存在によって、人間ポイントなる概念でも設けてもらってはどうしょうか。
これには中途半端はあり得ません。成果、実力、ルックス、コミュ力、資産、信条、信教、運、身体的特徴・・・ありとあらゆる属性を完全に公平な数値に落とし込んで、全世界の人間ポイントと順位をランキング形式で常に見られるようにしてみましょうか。

ああ差別なんてものはあり得ませんよ。そりゃーもう完全に公平な世界です。人間より上位の存在によって設けられたポイント制なのですから。

さてさて話が怪しくなってきましたが、あえてもう少し話を続けてみましょう。


そんな数値は公平ではない!と嘆く

冒頭の、会社に勤めているAさんの話に戻ります。仮にAさんが人間ポイントでランク付けされ、「あなたはBさんにコミュ力も資産も運も身長も腕毛の長さでも何千ポイント劣っています。ですので、Bさんが評価が高いのは明らかに正しい状態です」とはっきり数値で示されたらどうでしょうか。

そりゃーまあキレるでしょう。私もたぶんキレます。腕毛の長さなんか仕事に関係ねーだろ不公平だろと。

いやいや不公平は決してあり得ないのです。なにより上位の存在が規定したポイントでして、
いいやそんなもん不公平だろ!いい加減にしろ!

・・・もはや何の解決にもなっていません。人間ポイント制の行き着く果ては、今度こそ世界が核の炎に包まれるか、上位存在によって粛清され優れた個体数体のみが冷凍保存されるか、せいぜいそんなところでしょう。

人は事実を突きつけられると、基本キレ散らかすものなのです。


不公平をこそ愛そうじゃないか、と悟る(?)

かなり無茶苦茶な例えでしたが、別の事例に置きかえてみたところでおそらく不公平だとキレ散らかすのには変わりはないでしょう。

それに、出木杉くんにだって出木杉くんなりの悩みってもんがきっとある。

真の意味での公平はあり得ない。どうせなら現実を受け入れ、折り合いをつけるほうがずっと建設的。

不公平であるからこそ公平を求め、あるいは上を目指すことができる。そう考えれば多少のことは飲み込んで総合力をもって為すべきことを見極め、為そうと思えてくる・・・かも?

奇しくも、それは人間ポイントを高めんとするための行為と何ら変わらないものでもあります。


腐らずベストを尽くしていれば、どこかで誰かが見てくれている、人生とはそういうもの・・・なのかも?
という話でした。

それでは。


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