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ロシアを追いつめたもの

ウィキペディア日本語版から引用して論を進める。「」内に引用を記す。

1991年のソ連解体からロシアを巡ってどんな重大事件があっただろう。

1.ボスニア・ヘルツェゴビナ
「1992年、ボスニア政府はセルビア人がボイコットする中で国民投票を強行し、独立を決定した。」
その後
「独立の可否や国のあり方をめぐってボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人がそれぞれ民族ごとに分かれてボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で戦った。」

2.コソボ紛争
「1998年 - 1999年:1998年2月から1999年3月にかけて行われたユーゴスラビア軍およびセルビア人勢力と、コソボの独立を求めるアルバニア人の武装組織コソボ解放軍との戦闘

1999年:1999年3月24日から6月10日にかけて行われた北大西洋条約機構(NATO)によるアライド・フォース作戦、この間、NATOはユーゴスラビア軍や民間の標的に対して攻撃を加え、アルバニア人勢力はユーゴスラビア軍との戦闘を続け、コソボにおいて大規模な人口の流動が起こった。」

3.グルジア(ジョージア)
「1992年に日本と国交を樹立して以降、ロシアの首都モスクワを経由せずに現地の情報が直接入るようになったことから、特に主要民族たるカルトヴェリ人の間で根強い反露感情について日本でも広く知られるようになった。2000年代半ばには特許分野や一部のワイン輸入業者が「グルジア」の使用を取りやめて自主的に英語名の「ジョージア」を使用するようになった。」

「2008年、ロシア連邦が軍事介入し、ジョージア北部の南オセチアとアブハジアの「独立」を一方的に承認。」
アメリカが反露感情を利用し、完全独立を煽ったのだ。

4.ウクライナ
「ソビエト連邦の崩壊に伴い、1991年にウクライナは独立を果たした。

独立後、ウクライナは中立国を宣言し、旧ソ連のロシアや他の独立国家共同体(CIS)諸国と限定的な軍事提携を結びつつ、1994年には北大西洋条約機構(NATO)とも平和のためのパートナーシップを結んだ。」

「2013年、ヤヌコビッチ政権がウクライナ・EU連合協定の停止とロシアとの経済関係の緊密化を決定した後、ユーロマイダンと呼ばれる数か月にわたるデモや抗議運動が始まり、後に尊厳革命に発展し、ヤヌコビッチの打倒と新政府の樹立につながった。これらの出来事を受け、旧ソ連圏への影響力回復を目指すロシアのウラジーミル・プーチン政権はウクライナ国内の親ロシア派を通じた内政干渉や領土蚕食を進め、2014年3月のロシアによるクリミアの併合、2014年4月からのドンバス戦争の背景となった。」

5.NATOの東進
「1999年に3か国(ポーランド、チェコ、ハンガリー)、2004年に7か国(スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、旧ソ連バルト三国および旧ユーゴスラビア連邦のうちスロベニア)、2009年に2か国(アルバニアと旧ユーゴスラビア連邦のクロアチア)が加盟。」

以上、主要な事件を挙げた。

次に北方領土問題について、90年代後半から2013年について主要な事跡を記す。

「エリツィン - 橋本時代

1997年
11月:両国はクラスノヤルスクでの首脳会談で「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす。」と合意した。

1998年

4月:両国は川奈での首脳会談で「平和条約が、東京宣言第2項に基づき四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けての日露の友好協力に関する原則等を盛り込むものとなるべきこと。」と合意した(川奈合意)」

「プーチン - 森時代

2000年

9月:ロシアのプーチン大統領が訪日し、両国は「平和条約問題に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の声明」において「クラスノヤルスク合意の実現のための努力を継続すること」と「これまでの全ての諸合意に立脚して、四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を策定するため交渉を継続すること」を確認した。」

「プーチン - 小泉時代

2003年

1月:日本の小泉純一郎首相が訪露し、両国は共同声明において、両首脳の間で四島の帰属の問題を解決し、平和条約を可能な限り早期に締結し、もって両国関係を完全に正常化すべきとの「決意」を確認した。また「日露行動計画」において、56年日ソ共同宣言、93年東京宣言、2001年イルクーツク声明の3文書が具体的に列挙され、その他の諸合意と併せ、今後の平和条約交渉の基礎とされた。」

「プーチン - 安倍時代

2013年

4月:日本の安倍晋三首相が訪露し、両国は共同声明において、「戦後67年を経て日露間で平和条約が存在しないことは異常である」との認識を共有し,「双方の立場の隔たりを克服して,2003年の共同声明及び行動計画において解決すべきことが確認されたその問題(四島の帰属の問題)を最終的に解決することにより平和条約を締結する」との合意を表明した。また「平和条約問題の双方に受入れ可能な解決策を作成する交渉を加速化させるとの指示を両国外務省に与える」ことで一致した。」

さて以上で、西側からロシアへの攻勢と、ロシアの日本への傾斜、融和が同時期に起きていることがわかる。ロシアは日本をアメリカとのパイプ役にしたかった。ドイツのメルケルではできないことだったからだ。

アメリカ、ヨーロッパは旧東欧やロシア周辺地域に軍事的干渉、介入を行い、NATO勢力をウクライナの隣まで進めてきた。思いつくだけでも

ズビグネフ・ブレジンスキー
マデレーン・オルブライト
ロバート・ケーガン
ディック・チェイニー
ヴィクトリア・ヌーランド

グランドデザインをジョージ・ソロス

などの名前が浮かぶ。

ロシアは独立と尊厳を維持しながら、西側と協調し共存することを望んだのだ。

そのことはG8についての以下の記述に見てとれる。

「ロシア連邦が参加していた1998年から2013年までは、G8、主要8ヶ国首脳会議などと呼ばれていた。」

昨今の世界情勢において、ロシアに非がある、とはいえ、アメリカの強硬な対露姿勢がここまでロシアを追いつめたのである。一触即発で第三次世界大戦になりうる。

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