日本と韓国 結束できるか

日本と韓国 結束できるか
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」147/通算579 2023/3/6/月】今朝は小雨だったが、直ぐに止んだ。寒くないから春雨だ。チャリで東京側の多摩川土手を行くと河津桜が満開だった。春はいいものだ。日韓に春は来るか?

3/3に図書館で「朴正熙選集」3巻を借りてきた。朴正熙(ぼくせいき、パクチョンヒ、日本名は高木正雄)は、1965年頃に中学生以上だった小生の世代では知られているが、それ以降の人にはピンとこないだろう。そもそも高校でも現代史を教えていないから、小生の愚息なんぞ大学へ入って「親父、日本はアメリカと戦争していたんだって?!」とビックリしていた。体育会系で小さい頃から剣道とマンガで育ったから朴正熙を知るわけはない。

「朴槿恵の親父」と言えば「ふーん」となるかも知れないが・・・まあ、そんなもので、夏彦翁曰く「健康とは嫌なものである」。戦後、最貧国の韓国をそれなりの立派な中進国にしたのが朴正熙大統領だ、くらいのことは知っておいた方がいいと思うけれど。

先日、小生の誕生日に来た愚息曰く、「親父、映画のスラムダンク見た? 俺、2回も見たよ! 2回目は子供2人を連れて行った!」。大卒、39歳、子供2人になってもこの有様だ。この快晴のような幸せがいつまでも続けばいいが・・・「オヤジと言うな、安西先生と言え、人生は『投げたらそこで終わりだ』!」と言ったら、小生の次女曰く「『あきらめたらそこで試合終了』だよ」だと。小賢しい、ウッタク、可愛くない奴だ。

映画は感性を、読書は知性を刺激する。小生は「知の巨人」を目指すのだ、「痴の虚人」で終わりそうだが・・・旺文社世界史事典やWIKI の「朴正熙」の解説から引用する。

<1917年生〜1979年没。大韓民国の軍人・大統領(在任1963〜1979)。日韓併合(1910)後の朝鮮半島に生まれる。大邱師範学校経て教師を務めていたが、やがて軍人を志して同じく日本の影響下にあった満洲国陸軍軍官学校(士官学校)に志願入隊する。

卒業後は成績優秀者が選抜される日本の陸軍士官学校へ留学、第57期生として日本式の士官教育を受ける。帰国後は満洲軍第8団(連隊)副官として八路軍や対日参戦したソ連軍との戦闘に加わり、内モンゴル自治区で終戦を迎えた。

第2次世界大戦後、韓国軍に勤務。李承晩引退後の政情不安に際して1961年、クーデタにより軍部独裁政権を樹立し、62年大統領代行、63年大統領となる。

1965年「日韓基本条約」を締結し、日米の援助をもとに“漢江の奇跡”と呼ばれる高度経済成長を実現した。72年末、維新憲法下の大統領に選出され、大統領緊急措置で国内の自由化運動を抑えた。

一方で、日本との友好姿勢も国内の民族主義(左派ナショナリズム)から敵視される背景となった。政権後半には単独での核武装などの自主国防路線や、日本に滞在していた政敵の金大中を諜報機関(KCIA)により拉致する(金大中拉致事件)など強硬な政策を進めた。

しかし国内での反発も根強く、1974年には夫人を暗殺され、1979年10月26日、大規模な民主化デモの鎮圧を命じた直後、側近である金載圭情報長官により射殺された。享年61>

朴正熙が強引ながらも経済発展の土台を作ったから今の豊かな韓国がある、と言える。そういう評価をする韓国人は80年代は圧倒的多数だったが、北朝鮮やアカの影響を受けたのだろう、年々少数派になっている。

<2017年5月20~22日に世論調査専門機関リサーチビューが行った歴代大統領の好感度調査で朴正煕は25.2%を記録し2位であった(1位は54.2%を記録した盧武鉉)。

世代別では60代と70代以上で1位。60代は42.5%、70代以上は55.0%が朴正煕を選んだ。しかし、20代で朴正煕を選んだのはわずか2.7%、30代は4.1%、40代は11.4%、50代は26.5%で、1位の盧武鉉に圧倒的な差をつけられた>(WIKI)

歴史、史実を冷静に見るのではなく、今では自分の好みで都合よく書き換えるのが韓国人の常套手段になってしまったようだ。赤色TVや北の影響だろう、意に沿わない論稿、歴史観、批評は寄ってたかって叩き潰すのが韓流・・・これでは国際社会から敬意は表されない。軽佻浮薄そのもので、その自覚もないから、やがては亡国の危機を迎えるようなことになるかも知れない。そうなっても「日本のせいだ!」と言うのだろう、まったくつける薬なし。

一般的に「独裁政治は悪い」と言われるが、薬と一緒で使い方次第では良い面もある。民主主義は政策を実現する際に議会=立法府で野党と侃々諤々の議論を交わし、野党のメンツもつぶさない必要があるから調整するのに時間もかかり、さらに司法府、行政府との擦り合わせも必要で、発案から実行までに1~10年ほどかかったりすることが珍しくない。

独裁政治は武力を背景に緊急避難的に政策立案から公布、実施まで強引に進めることができるからとても効率は良い。独裁国の中共では通常、立案し、特定市等でお試し実験し、修正などをし、実施するのだが、民意の了解を必要としないからスピード感があり非常に効率的だ。発案から施行までたった1年ほどのよう。

それは独裁政治の強みだが、どうも長続きしないようだ。ナチス・ドイツは1933~1945年の12年、強大なソ連でも1920~1990年あたりまでの70年で消滅した。スターリンが1953年に往生したあとのソ連は下り坂が始まりガタついてきたから、独裁政治の賞味期限は40年間あたりだったろう。朴正熙の開発独裁も1961年~1979年の18年間で終わり、それ以降は主に北朝鮮に対する容共左派と親米民主派の左右対立で政治は随分不安定のようだ。それでも「反日」だけは一緒というのが凄い。

「朴正熙選集」の興味深い個所を要領よく短くまとめた。まずは第1巻「韓民族のすすむべき道」から紹介する。

<国際経済学者によると、後進国が貧しい原因は、1)できるだけ少なく働こうとする国民の考え方、2)企業家の低い平均才能、3)行政の低調である。貧困は国民の悪習や反民主的政治によると仮定すれば、「後進民族は怠惰である」というのが一般的な見解だ。

貧困国の特徴は、1)原始的生産、2)人口の圧迫、3)自然資源の未開拓、4)資本の不足などである。結局、近代化の過程で資本投資もできず、実所得も低く、経済活動に対する意欲が挫けてしまう。

李朝末期に外国列強が入って、資本主義発達の契機があった時にも、我が国では何よりも企業心を発揮すべき経済的余裕も国家的補助もなかった。

他方、各国の近代化の原動力は、民族主義という宗教的情熱が国民を奮い立たせ、急激な経済開発と海外市場拡大を強行したところにあるが、我が国では近代化の土台も出来上がらぬうちに極東諸国の「餌」となり、民族資本が形成される余裕などなかったのである>(引用終わり)

【小生の見解】極東諸国の「餌」(えさ、餌食)になった・・・これは「日本に侵された、食われた」という意味だ。弱肉強食の帝国主義時代、戦争という縄張り争いが日常的な時代であり、韓国(大韓帝国)は強国に成りそびれたために、朝鮮と南満州(中国東北)の支配をめぐる日露戦争(1904/明治37年~1905年9月)の餌食になったということだ。

「日露戦争開始とともに韓国保護国化の方針を決定した日本は、1904年2月の日韓議定書、および以後3次にわたる日韓協約で実質的に韓国主権を手に収めた。抵抗運動に遭ったが、安重根による伊藤博文暗殺事件を機にその実行を急いだ。1910年8月「日韓併合ニ関スル条約」に署名し、併合は完了。以後韓国は「朝鮮」となり、1945年8月の日本敗戦まで朝鮮総督府の支配を受けた」(コトバンクなど)

気の毒とは言え、韓国の為政者はボロボロの国の立て直しのために日本のパワーが必要だと判断、涙ながらに「屈辱的な苦渋の決断」をしたのだと小生は思っている。大東亜戦争で負けた日本も米国GHQにグチャグチャにされ憲法まで押しつけられるという「屈辱的な苦渋の決断」を強いられ、未だに米国に安全保障を依存しているから偉そうなことは言えないが、米国依存は韓国も同様だ。

現在の日韓米の共通の敵は「中露北」である。日韓が角を突き合わせていればモンゴル・高麗などの連合軍が日本を襲った蒙古襲来も喧嘩のタネになってしまう。まったくの不毛、中露北が喜ぶだけだ。日韓が今求められているのは「小異を捨て大道に就く」ことではないか。長くなったので以下次号。
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