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私が転職エージェントを選んだ理由

始めまして。ITエンジニア専門転職エージェントの内田と申します。
今回、自己紹介noteにおいて自分の人生や経歴からなぜ転職エージェントになる道を選んだのかについてお話させていただけたらと思います。

お時間があるときに、ご覧いただけると幸いです。



■自身のビジョン

まず、最初に私について説明する上で欠かせないビジョンを紹介します。

私のビジョンは「人の可能性を広げる」です。

なぜ、このビジョンにしたのか過去の経歴から説明していきます。

■これまでの経歴

出身

福岡県久留米市です。
豚骨ラーメンと同郷という、なんとも言えない感じです。
福岡で北九州に次ぐ3番目の市で昔は暴力団の抗争地帯だったみたいです。
その影響で治安についても飯塚、北九州に次ぐ三番目の悪さでした。

学生時代

・小学生
→よく言えば、オールラウンダー。悪く言うと得意がない
どちらかというと教育熱心な親や兄や姉の影響を受け、
野球⚾、サッカー⚽、ピアノ🎹、学習塾🏫、水泳🏊と
スポーツや文化系問わず複数の習い事をこなしてました。
あと、本が好きで、読み出したら話しかけられてもガン無視するくらい没頭してました。

・中学生
→何をやっても上手くいかない落ちこぼれ時代
友人の影響を受け、たくさんあった習い事からサッカー部を選択。
その結果、
80人規模の大きい部でしたが、ベンチ入りどころかCチームの控えという下手くそさを発揮。メンバーからは、「なんでサッカーしているの?」と言われる始末。グランドで練習させてもらえなかったのでひたすら走っていたら足だけはそこそこ速くなりました。
さらには、高校受験も第1志望どころか滑り止めの第2志望も滑り、第3志望の高校に。

・高校時代
→人生の分水嶺
マーチングバンド部に所属。その中でもカラーガードというダンスパフォーマンスを行うセクションに入りました。

ここで、人生を変える恩師と会います。

恩師はカラーガードの指導者でした。
どんな人か一言で言うと「めちゃくちゃ硬い飴でできた鞭」です。
練習は365日のうち年末年始とお盆を抜いた350日あり、
平日は朝練が7時~8時、夕方が16時~21時
土日が9時~21時
修学旅行もおっぽり出し、毎日練習、練習、練習と学校にほとんど住み込み
明け暮れてました。
内容も吐くまで休憩なしでひたすら踊らされたり、足から血が出るまで
グラウンドを転がってたりしました。

しかし、その甲斐があり結果としては全国大会に3年連続で出場することや某アイドルのコンサートに出演しました。


・大学時代
→福岡大学人文学部文化学科 専攻は犯罪心理学と近代西洋哲学
カラーガードを大学でも継続。世界に挑戦🔥
そのためにバイトもコンビニ、ブライダル、ダイニングバーの三つをしてました。

~挫折と絶望の前半~

世界大会自体は本場アメリカで野球のメジャーリーグのような形式で
行われるので、出場のためにはオーディションに受かる必要がありました。

初めてのオーディションでは、初海外を一人で経験。
その過程でまさかのロストバゲージ(空港で荷物が出てこない)しました。
オーディションも散々で練習中に足首を痛め継続するも、
痛みのあまり倒れて終了、帰国。
→帰国後、病院で靭帯を切っていることが判明しました。

この後、バーンアウト(燃え尽き症候群)に。
今までのカラーガードやバイト、大学、
全てから逃げ引きこもりになってました。

~Try And Errorの後半~
半年くらいバーンアウトしていましたが、活動を再開。
再度、オーディションにリベンジするも不合格。
→他の人のアドバイスをもとに自分のレベル感から二つ下のレベルのチーム
受けたので、ケガで受からなかったときより悔しく、帰りのアトランタ空港の中心で一人で泣きながら歩いていた苦い思い出があります。
オーディション期間が終了しましたが、
とにかく自分のパフォーマンスビデオを様々なチームにばらまく、
物量作戦を開始しました。
再度、期間外にオーディションのリベンジを行う権利をもらい
無事合格。


・最初のアメリカでの自分
過去最高に尖っていた時代でした。
→誰でも構わず喧嘩を売ったり、気に入らない練習やチームメイトのミスが多いと感情をすぐに表情に出してました。→今は反省してます…。
要因としては、
 自身の成長とチームの方針のミスマッチ
 集団競技ならではの「結果」と「自身の手応え」の違い
 粗悪な生活環境(脱走者も途中で出てました(笑))
が挙げられ、寝袋の中で自身の進退に悩みこんでました。
そんな中、最終的な結果も20チーム中18位と最下位争いで終わりました。

・このままでは終われないという思いから再度渡米
前回の世界大会中に、行きたいチームからスカウトを受け
次のチームが決まり、「ようやく自分の時代がきた!!」と思ってました。
前回の悔しさから、渡米を即決。

しかし、
どうにか「行きたいチーム」という結果は出ましたが、
最終的に大会途中でコロナが流行り中止、帰国。

・帰国後の自分
パフォーマンスの第一線から離れ
社会人チームに営業をかけ、指導者として過ごしてました。


社会人時代

新卒で人材のスタートアップ企業に入社しました。
最初の3年間はモバイル事業に配属される会社の方針に従い
楽天モバイル扱う代理店に配属され、営業の数字を追う日々でした。

意識していたことは、やはりtoC営業のモバイルは顧客からのイメージが
良くないことが多いので、客観的な事実である数字と主観的なものである
自身の意見を分けて伝えるようにしてました。

実績としては、全国の楽天モバイル約5000人のスタッフの中でも総販、副商材を合わせた項目で上位2%位内に入る傑出した実績とお客様からのアンケートをもとにホスピタリティを実現したスタッフに贈られるAceCrue賞を5ヶ月間獲得しました。

また、フロアマネージャーもやらせていただき、メンバーの営業の失注相談やクレームを処理してました。クレジットカードを顔に投げつけられたことも。

■ その他、趣味など

カラーガードと書きたいところですが、正直ストレッサーの一因になることが多く趣味に当てはまらないかと(笑)
なのでそれ以外で

・アニメ/漫画
ジャンルは幅広く、スポーツ系だと「ハイキュー」が一番好きですが、
それ以外にも大学の研究の時に使っていた「PSYCHO-PASS]や
「攻殻機動隊」も好きです。
→哲学の思考実験に当てはめて2倍楽しんでます。

・料理
学生時代のアルバイトのダイニングバーで少し教わった、フレンチやイタリアン系の洋食が得意で、休日は家で時間かけて作ることも多いです。

・好きなもの
スヌーピーが好きで、先日初めてスヌーピーミュージアムに行きました。

■ Why I’m Here(私がここにいる理由)

結論、自身のビジョンである「人の可能性を広げる」に一番合っていると
思ったからです。
理由は二つあります。

① 共感できるバリューの存在
Be Gentle/Do The Right Thing/Be Professional
人材という、ビジネスと人助けという相反するサービスを提供するにあたって、自身のビジョンを実現するためには上記の行動指針が必要だと感じました。

② 面接のときの佐治さんの言葉
「既存の人材紹介業を潰す」という言葉に個人的にとても共感し、
一つ目の理由と同じようにその矛盾性に惹かれました。

■ 最後に

ここまで、そこまで面白くもない話を呼んでいただきありがとうございます。

人って可能性があるということをこの自己紹介を通して少しでも感じてもらえるうれしいです。

そして、今度は自分が転職エージェントとして、
あなたの可能性を広げるお手伝いをします。












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