見出し画像

故人には会えます、てか会ってます!


今年3月の暮れに最愛なる祖父がこの世を旅立ちました。あまりにも急な出来事であった為、そんな状況下に置かれた最初の約1週間ほどは現実を上手く受け入れることができませんでした。こうしたことから、本来祖父の様子を覗くことが可能であった施設の窓外へ足を運んだり、顔が変形するくらい何度も頬をつねって夢確認を行ったりしてしまっていました。
しかし、いざ葬儀当日を迎えた際には決して幻や夢には値しない紛れのない事実であるとういことをしっかりと悟りました。そのため、今日からは祖父は完全にいなくなったわけではなく日常生活において登場する役目を終えただけであり、この先も常に身を潜めつつ私や家族を観察し、いざという時は助けを与えてくれるような見えない存在に変身したという考えを念頭に置いて生きようと決心しました。こんな形で新しい気持ちを維持して日常を歩み出してから数日程経過した際に私はアルバイトで小さなミスを犯してしまいました。それにより何事も器用にこなすような人材に対して憧れを抱く気持ちが強くなり、自分も何とかしてそうなりたいと考えました。しかしどうすれば良いのだろう?考え抜いた挙句思いつきました。


そうだ!夢の世界を通じて祖父から器用になる方法について教えてもらおう!!


そう願って眠りに着きました。しかし、残念なことに器用な人間になる方法を教えてもらえるどころか夢すら見ることはありませんでした。さすがにこれ以上過度に願う行為は祖父に対する失礼にあたると思ったことから辞めておこうと判断し、諦めました。
それから淡々と日常生活を歩んでいくうちにいったい自分自身がどうすれば器用に近づくことができるのかについて少しづつ分かってきているような感じがしました。そんなこんなで夏休みに突入した今となっては完全に答えを知ることができました。答えがこちらです。

行動を起こすうえで自分の短所をしっかりと把握し、そこを工夫して補い続けること!

これを繰り返しているうちに各事態ごとに応じた適切な判断や対処が素早くできるような適応能力が身につき、気が付けば物事を器用にこなせるような自分に変化している可能性が十分に高いと言えるでしょう。まさに、ただ器用になりたいといった願望だけを持つのではなく、そうなるのに必要な条件の中で自分が足りないものを理解し、補うことがとにかく重要なのです。
正解を導き出せた私はとても満足感に満ち溢れた気分で勉強やサークル活動、趣味に没頭することができております。そんな清々しい日常を謳歌していたある日なんと祖父が夢の中に登場し、私にこんな一言を告げました。

「これで分かったよな」

「これ」といったらもう先ほど紹介した正解を指していることにおそらく間違いありませんよね。おそらく祖父は最初から答えを与えずに考えさせることで私に主体性を身につけさせ、願望だけを持つような人間に成長してしまう悲惨な事態を防止する作戦を行ってくれたのだと考えられます。かなり作り話感が満載となってしまっていることから、「こんなの絶対にお前が考えたフィクションに過ぎないだろ」と解釈してしまいがちなことに無理はないでしょう(笑)
しかし、実は私自身が本当に体験したノンフィクションであるため信じてくれたら嬉しいです(笑) 別に無理にとは言いませんが(笑)
また、こうした教訓のみならず祖父が登場する夢から私なりの説も1つ導き出すことができました。それがこちらです。
比較的多くの人が不可能であると考えてしまっていることでしょうが・・・


実は故人には会うことが可能です、って言うか皆さんは既に会っているはずです。

いったいどうして私はそう考えるのか?その根拠を説明していきます。しかし、今から説明する内容もあくまで私というたった1人の独自的なものに過ぎないためそんなガチに捉えなくても大丈夫です。世間にはこんな意見を秘めた人も存在するんだな程度に思ってくれるのがベストと言えます。では、私が「故人には会えるし、既に会っているはず」と考える理由はずばり夢の世界というものはあの世とこの世の狭間であり、生者と故人が交流できる場であると思っているからです。もう少し詳しく説明すると私たち人間は就寝し、夢を見る際には魂が肉体から霊視線を伸ばす形で離れていき、あの世とこの世の狭間である夢の世界へ行きついている状態となっている可能性があると考えられます。また、逆にあの世で生活している人々も夢までなら行くことが許されているのです。そのため、夢の中では故人との交流もあれば霊子線によってこの世の肉体と結ばれている生者同士の交流もあると考えられます。

生者は夢が覚めると霊子線に引っ張られて肉体へと魂が戻ります。夢の世界において魂が霊子線から切り離されてしまい、この世へ帰れない状態になると死んでしまうのです。
まさに例え家族や友人といった自分にとって身近な存在の人が亡くなってしまった場合でもこのように夢の世界を介して交流を頻繁に行うことができていると考えればある程度前向きに受け入れることが可能であろうと言っても過言ではないでしょう。
この他にも私は故人に関してこんな可能性も十分あり得ると考えました。

故人にとってはあの世をこの世としている!!

これはどういうことかというと、故人が生者と交流が可能な場の夢までなら行ける点に着目するとこんな可能性も決して否定はできません。実は故人もあの世で睡眠をとっており、その際に幽体離脱して魂だけが夢に行っていることも考えられます。つまり、あの世にも肉体は存在するということです。

こうしたことから人は亡くなる寸前になると夢の中で霊子線が切れた後に私たちからしたらあの世に再び生を受けるとも考えられます。つまりこれこそ私たちが日常でもよく耳にする生まれ変わりという概念であります。だとすると生命という存在はこの世へ生まれて人生を送り、やがて亡くなったらあの世へ生まれて人生を送り、そして亡くなったら再びこの世へと生まれて人生を送るといったサイクルをひたすらこなしているという可能性も十分に考えられます。そして夢の世界で時々親しい向こう側の人と出会うのです。しかし、この段階においてこんな風に突っ込みたくなる人もおそらくいるでしょう。

「人は生まれ変わると前世の記憶を忘れてしまうにも関わらず、夢を通じて前世で関わった人に会いに行くのってなんかおかしくない?」


確かに一見してそう考えてしまう気持ちも大いに理解できます。しかし、私たちが普段就寝時に見る夢について深く考えると家族や友人のみならず時には見知らぬ人が登場することだってありますよね。まさにあの人たちこそが前世で関りを持った人なのでしょう。また、繰り返しの説明にはなりますが夢を見るというのは肉体から魂が抜ける現象であるため夢の世界へと入ることができるのは当然自身の魂のみとなります。おそらく、魂というものは自分の力では動かせず、前世の情報などを全て把握している神の力によって動いているのでしょう。そのため、前世の記憶をとっくに忘れていても自動的に前世で関りを持った人に会いに行くことができるのであろうと考えられます。
しかし、この段階においてこんな突っ込みも入れたくなる人だって中にはいることに決して間違いはないでしょう。

「それなら守護霊は存在しないってこと?」

確かにドラマやアニメなんかでは守護霊が登場する作品は稀に存在するし、スピリチュアルの研究においても守護霊という存在はほぼ真実に近い形で捉えられております。そのためこのような疑問を抱いてしまっても全く不思議ではないでしょう。
しかし、結論から言うと私は守護霊は存在すると思っています。なぜなら、魂は亡くなった際にあの世へ向かう魂と守護霊となる魂の2つに分離される可能性もあると考えているからです。だとすると、今の私は常にこの世の日常生活を歩んでいる意識しかないためおそらく前世で亡くなった際にはあの世へと向かう方に割り当てられたのでしょう。もう一方の守護霊となった魂も確実にどこかをさまよっていることでしょう。
このように私なりの死後の世界に対する考えは様々となっております。まさにこれら全てに共通しているのは、例え大切な人などを亡くしてしまったとしても必ず何かしらの形で会うことができるし、仮に自身がこの世を去る事態になってしまったとしても次のカテゴリーは存在するという点です。ちなみに、ここまで私が述べてきた内容は全て人生において重大な悪事を犯さなかった善人に限る話であります。そのため残念ながら重大な悪事を犯してしまった人に関しては私が述べたような安定した次のカテゴリーへは進めず、地獄に進んでしまう可能性が高まってしまうことでしょう。しかし、例えそれであってもこれから努力して優れた行いを積み重ねれば地獄に落ちる事態は回避できるであろうと私は考えています。もちろん私が述べたこれらの内容はほぼ確実に生粋の正解ではありません。しかし、こうした考えを抱くことによってこのように前向きな捉え方ができるようになります。

亡くなる=全てが終わりではない!!

このように比較的誰もが安心できる点が1つもなく、この上ないほどの悲惨な事態と捉えてしまう特徴が大きいあの世への旅立ちをやや前向きに捉えたりすることなどができます。だからといって気軽な気持ちでこの世を去っても大丈夫と考えるのは多大な禁物ですよ!!

命を粗末にする行為は何があっても絶対にいけません!!そんなことをしてしまった場合でも地獄に落ちてしまいます!!今世の命はせめて最後の最後まで大切に維持し続けましょう!!

生命というものは必ず有限であります。そのため、私もこの先は祖母や母、父、など様々な身近な人が旅立ってしまうといった経験を次から次へとしていくことになるのは間違いありません。さらに、最終的には私自身もこの世を去る時が必ず訪れます。その際にはどうしても最初は前気力が抜けてしまうほどとてつもない絶望感に襲われると思いますが、当記事で述べた内容をしっかりと生かしてすぐに前向きな気持ちへ切り替えることを心がけていきたいと考えています。もちろん当記事を読んだ方々もそうしてくれると私も嬉しいです。
それでは思い出が詰まった楽しいお盆休みをお送りください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?