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名古屋に来て分かったこと3選


GWも終盤に差し掛かりましたこの時期に私は親戚の事情により生まれて初めて名古屋の地を訪れました。私はこれまで主に東京、大阪、神奈川の三か所に住んでいたことがあるため、それぞれ三か所の独自文化に関する情報はよく知っております。しかし、私は是非他の町の独自文化に関する知識も習得してみたいと考えていました。そんなものは様々なサイトや観光パンフレット等を見て勉強すれば良い話じゃないかと考える人もたくさんいると思いますが、私は新しい情報を得る際にはそれに関する実物を直接目に焼き付けることで頭に入れやすいタイプの人間ですから何か知りたいものが発生した時はそれがある場所へと足を運ぶ場合が多いです。だからと言ってあまりにも頻繁に様々な場所を訪れていたらお金だってもったいないと最近気が付いたこともあり、比較的それを遠慮してしまいがちな性格へと変化しました。そんな中でたまたま名古屋に行く機会が訪れたため、せっかく行くならば様々な独自文化を直接見て感じ取り、その詳細事項について調べて知ってから帰りたいと旅立つ際に感じました。そのため、私が頑張って習得した名古屋文化の内容をこれから発表したいと思います。間違っていたらすみません(笑)
私が今回名古屋を訪れて知った情報は車が特に多いこと、名古屋市民は名古屋駅を「名駅」と呼ぶこと、味噌を使った料理が非常に多いことの3つであります。

その3つはいったい何故だろう???


それぞれ調べたことで分かった理由を私なりに解説していきます。まず名古屋において特に車が多い理由は近くの豊田市に日本どころか世界規模でシェアを伸ばす大手自動車メーカーであるトヨタの本社があることも大きく関係していることは間違いありません。しかし、その他にもこういった理由があります。

名古屋地区における国鉄(今のJR)は特にやる気がなかったような背景が存在しているからです。それは具体的になぜかというと名古屋は日本のメイン路線と言っても過言ではない東海道線や東海道新幹線が通っていることで鉄道面は比較的立派な役割を果たせているためこれ以上頑張り過ぎる必要はないと国鉄は考えたからです。それにより、名古屋市内から東海道線や東海道新幹線の東京あるいは大阪方面以外の市外へ向かうための路線はあまり多く建設されませんでした。こういった理由で多くの人々が車を運転することで東海道線や東海道新幹線が通っていない近郊の市外へと向かうようになったといった歴史的背景があったからという要因も深く関係しています。
その他にも、製造業に携わる人が非常に多いからでもあります。製造業において活用される工場は基本的に駅からは離れた場所にあることがほとんどで、鉄道よりも車で向かった方が圧倒的に便利である場合が多いということは確かに間違いありません。
こういった事情が組み合わさって名古屋は立派な車社会となり、今となってはすっかり車保有台数と新車登録者数は日本1の状態であります。車が多いことで誰もがどこでも楽に移動しやすいようなメリットがありますが、その分交通事故も多発しやすくなってしまうようなデメリットも存在しているのが事実です。
次に名古屋市民が名古屋駅を「名駅」と呼ぶ主な理由を説明します。大雑把に考えてみると「単純に呼びやすいから」などと考えてしまうでしょう。しかし、もっと深い理由が存在しています。

それは1842年に編集を開始した名古屋城の百科事典と呼ばれる「金城温古録」にて名古屋城を省略した言い方である「名城」が頻繁に使われているからです。それが明らかになったことで名古屋を「名」と略して呼ぶ習慣が誕生し、名古屋駅を「名駅」と略すような現状へつながったとされております。また、名古屋市を走っていた路面電車の切符において昭和8年以降に発行されていた全ての切符に名古屋駅を「名駅」と記していたといった由来も関係しています。おそらく多くの市民が利用していた路面電車の切符に記されていた「名古屋駅」の表記が「名駅」に変化したことであっという間に市民の間で「名駅」という呼び名が定着したのだと考えられます。その他にも、名古屋市が地名と番地の間に町名が付くスタイルの住所に変更するプロジェクトを行いました。その際に名古屋駅周辺は「名駅」という地名にすると決断しました。こうしたことで行政の間で「名駅」という言葉が誕生し、多くの人に親しまれる言葉になったからでもあるとされています。
次に名古屋に味噌を使った料理が特に多い理由を紹介したいと思います。名古屋では味噌カツや味噌おでん、味噌煮込みうどんなど味噌を使用した料理が非常に多い様子が全国的にも目立ちますよね。では、どうして名古屋はここまで味噌料理に熱く手を加えている傾向があるのでしょうか。

これは一説の逸話に過ぎない話ではありますが、江戸時代に徳川家康が生まれた岡崎城から西に8丁離れた場所に位置する八丁村(今の八帖町)で味噌が生産されていました。それが八丁村で生産されていたことから八丁味噌という名が付き、八帖町以外の岡崎市や名古屋市といった愛知県のほぼ全域にそれが行き渡ったという由来が関係しています。また、愛知県では江戸時代から味噌の原料の調達、譲造の環境、運搬の面で非常に適した土地であったことが大きな理由でもあります。よって味噌の活用が盛んであるのは名古屋市のみというわけではなく、愛知県のほぼ全域において味噌の活用が盛んといった感じですね。
といったわけで名古屋独自の文化に関する3つの情報の由来をそれぞれ知ることが出来ました。しかし、それでもまだ知り尽くした達成感があまり感じないためここからは名古屋における偏見や市民の生活習慣についても研究し、分かったことを発表したいと思います。
まず、名古屋における偏見1は名古屋市民はエビフライを「えびふりゃー」と呼ぶことです。本当にそうなのかについて話が弾んだタクシー運転手に聞いてみたのですが、名古屋市長の河村たかしさんが自分なりの口調で述べているからこそ感じてしまうだけであり、実際は誰も「えびふりゃー」なんて呼んでいないことが分かりました。偏見2は新聞というと基本中日新聞を指すことです。なぜなら、名古屋には中日ファンが多いといったイメージが全国的には定着しており、中日新聞では中日ネタが多く掲載されているからでしょう。しかし、実際は名古屋在住で中日以外のファンの人だってたくさんいますし、地下鉄の中でも朝日新聞や日経新聞を読んでいる人もそこそこ見かけるので必ずしもそんなことはないでしょう。
次に市民の生活習慣についてわかったことを発表していきます。生活習慣あるある1はお茶する店は基本コメダです。なぜなら、名古屋市内にはコメダが107店舗も存在し、日本屈指レベルでコメダの数が多いからです。コメダの発祥は名古屋であるため、コメダの数が名古屋では圧倒的に多いのです。市民の生活習慣あるある2は名古屋駅における待ち合わせ場所は基本的に銀時計です。

名古屋駅には銀時計の他に金時計がありますが、そこは銀時計よりもはるかに有名であり、全国からやってきた人々から地元の人の一部までたくさんの人が集まってしまいます。それにより例えお互い時間通りに到着できても探す際に困難が生じてしまいがちなことから生粋の名古屋市民の間では銀時計が主な待ち合わせ場所となっているのです。これはあまり知られていない情報ですよね。
さて、名古屋に関する情報を色々と知り尽くし、満足した気分に浸っていると気が付けば帰りの新幹線時刻に近づいていました。次に名古屋を訪れる時は今回学んだ情報と照らし合わせて町の様子などを観察してみたり、観光してみたりすることでなおさら楽しい気分が味わえるような旅にしたいと考えています。
新幹線に乗車する前に私は駅構内で販売されている名古屋名物ひつまぶし巻きを購入し、車内でゆっくり召し上がりました。

ひつまぶし巻き自体が想像していたよりもやや大きいサイズで、中のウナギもしっかりとしていたためとても食べ応えがありました。次はどの町の文化について研究してみようかを考えているうちにふと気が付いたらあっという間に新横浜到着の放送が流れました。当たり前ですがやはり新幹線は速いもんですね。
それでは皆様、残りのGWを有意義にお過ごしください。




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