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創作怪談「Dさんの話」

お話をしてくれたDさんはスポーツブランドのアウタージャケットにカーキ色のパンツ、インナーは白のシャツ。スニーカー。と最近寒くなって来た季節に合わせた服装で登場した。服なんて数年買ってないなぁ。と、思いながら軽く挨拶して自己紹介して、お話を伺わせていただく代わりに飲食代こちら持ち。を伝え、了承を貰ってホットコーヒーとコーラを注文をする。

Dさんは社会人3年目で、現職に不満があるわけではないが転職を考えるらしい。「同業他社や自分が知らない業界に興味を持ち始めたんですよ」
きっかけは「なんとなく」でしかないらしいが。隣の芝生は青く見える。ってのもあるかもしれない。だからと言って、抽象的な退職理由で再就職先も見つけず、独り身で貯金もある程度はあるけど、いきなり辞める。と言うのは現実的に無理。けど、ちょっとだけ出来た気持ちはそれから大きく広がる事は無かったけどモヤモヤした感じで胸に残った。

「そんな中途半端な状態で仕事するのも申し訳ないですし、だからと言って職場の人や友人に相談するのも出来なかったので・・・」
Dさんは占いを選択した。「赤の他人である第三者に相談するのも良し。モヤモヤを解消出来れば尚良し」と思ったらしい。
占い師探しをするにも、ネットや口コミではなくて飛び込みで行った。けど、納得いく。と言うのはおかしいけど、当たり障りの無い「現状維持でも新しい道でも、後悔はしない」と言われて見料のお金を支払い、余計にモヤモヤしてしまった。当たり前と言えば当たり前かもしれない。

「その占い師さんのいるビルを出て、駅に向かってたんですけど」
急な珈琲の良い香りがしてきた。少しは一息入れよう。と思って、匂いに誘われ路地裏の喫茶店に入った。
そこは、渋い。レトロ。落ち着く。と言う良い雰囲気の喫茶店で客はDさん一人。落ち着いた感じのマスターに注文して、自身でも珍しいと思うほど待ってる間にスマホも触らず、のんびりと店内の内装やメニュー、珈琲豆の香りを楽しみながら出てきた珈琲を味わって、しばらくぼんやりしてから会計を済ませて出ようとした時だった。それまで何も言わずにいたマスターが「転職はやめなさい。転職先はちゃんとうまく選べるし出世も大金も得られるけど、そっちの運命は気が狂った方がましな人生になる。けど今の職場なら、大きな病気もケガもせずに給与は人並みより少し多く、幸せな家庭とトラブルの無い明るい人間関係が手に入るよ」と言った。

ぽかんとしてるDさんに「今回だけのサービスですよ。これでモヤモヤも無くなったでしょ?」とニコニコしてお釣りをトレイに載せて差し出した。有無も言わさぬ優しい圧力に負けて「はい」と返事をしてから喫茶店を出て、帰宅した。
「そこの珈琲が美味しかったので、ちょいちょい行ってるんですけどあの時の事は聞けないですね。聞いちゃうと無粋と言うか。もう行けない気がして」
で、モヤモヤは晴れて、めでたく今の職場で頑張ろうと決めたらしい。
「代わりに、転職先の人生が気にはなりますけどもね」
冗談っぽく笑ってDさんは、出て行った。

「その喫茶店、行ってみたいけど知ってて行ったら、マスターに全部見透かされそうだなぁ」とコーラをすすりながら思った。

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