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愛しい君にはグリンの庭と花吹雪を(創作)#シロクマ文芸部

花吹雪は、眩しいほどのグリンの庭へ。
スプリィンクラァの水飛沫と、まだ空(カラ)のままのプール。

君が、30億光年も離れた火星へ行くと言い出したのは、ほんの二週間前のことだ。

私はサイエンティストでありジェネティシスト。
この世に生まれ体験してきた境遇から、遺伝子の解析について様々な角度から研究を積み重ねてきた。

何万年も前に禁止された異種動物を掛け合わせるという遺伝子操作の賜物である私は、一日たったの四時間程度放映されるホログラムで、猫科動物の頭部を持った珍しい動物学者と面白がられている。

人類移住計画が始まって未だ百年余り。

此処と同レベルの気候、風土に調節するにはまだまだ綿密な調査と研究、ましてや膨大な時間がかかるはずだ。

あっさりと移住を決意するとは、あまりにも早計すぎるのではないか。
危険すぎる。

電動ミルで挽いたコーヒィ豆に、電動ポッドで沸かした湯を注ぎながら、W7,280㎜✖️H450㎜ガラス張り壁面から外を眺める。グリンの庭には、眩しいくらいの陽光が注いぎ、スプリィンクラァのモータァ音は、まるで永遠のように静かに鳴り響いていた。

ダディ。

突然の静寂を解く、大気を凛と振動させる人の声。

彼女は部屋着のまま私の書斎へ、するりと入り込んできた。
その笑顔は庭に咲く黄色いガーベラのように、明るく希望に満ちている。

ダディ、まだ機嫌を損ねてるの。

娘のアデリヤが私の目を覗き込むようにしている。

何という瞳の色。
私の庭と同じ、輝くようなグリン。

どんなにダディが反対したって、わたしは行くわよ。

まるで、ついそこのマーケットへでも寄るみたいな言い方だ。

ねえダディ、聞いてちょうだい。
どうしても、行かなければならない理由があるの。

その理由については何度も聞いた。
だが、納得などできるはずもない。
インパラがチーターを捕食するくらいあり得ない、断じて許容できない話だ。

学者が必要なの。
火星を何万年も昔のような状態に戻すには、研究者が足りないのよ。
大気があって、緑が生い茂り、川が流れて、海には星の数ほどの生物たちが生死を繰り返す。
そんな環境をすぐにでも、早急に作らないと、わたしたち大変なことになるわ。

そんなことはとっくに理解っている。
私だって学者の端くれだ。

だからといって、サイコロジストの君がわざわざ志願してまで行くことはないはずだ。

私は左右にピンと張った数本の髭をピクピクと動かしながら、わざと強めの声色で応える。
大体そんな事のために心理学を学ばせたのではない。

マムが生きてたら、賛成してくれるわ。
絶対に。

アデリヤはそういうと、ぎゅっと口をつぐんでしまった。

こんな時、父親は無力だ。
君が30億光年も離れた火星に行きたがっている本当の理由を、私は知っている。

ダディ、少し横を向いて。
梳かしてあげるわ。
ふわふわの猫毛が台無しじゃない。

アデリヤは幼い子を慰めるような手つきで、私の毛並みに沿って撫で付ける。

ああ、わかっているさ。
君ももうあの頃のような子供じゃない。

娘がまだ幼かった頃のことが脳裏を駆け巡る。

アデリヤ。

学者として駆け出しの頃、私たち夫婦も貧しかった。

やっとのことでガタゴトと軋む風車のある家を買った。
足りない電力は、大方この風車で補う事が出来た。
庭は広く、雑草で覆われ、原色の草花が自由奔放に咲き乱れていた。
それはそれで美しかった。

そして、妻に似たアデリヤが産まれ、私はこれまでにも増して研究に精を出した。

将来の夢は、プールのある豪邸に住む事です。

アデリヤがスクールで発表した言葉を間に受け、がむしゃらに働いた。
そして今がある。

愛しい娘。

私たちの娘が行ってしまうなんて。
30億光年先の惑星にだと。

アデリヤは巻毛の色と同じ金糸の睫毛を揺らし、燃えるグリンの瞳できっとこちらを見据えた。

わたしね、これまでの何不自由ない生活を全て無くしてしまうことを、どうでも良いって思えるくらいは大人になったのよ。

わかっている。
アデリヤ、君は行ってしまうのだな。
君の愛する、あの鹿顔のエンヴァイロンメンタリストと共に。

ふう、吐息を吐いてアデリヤは巻毛をくるくると畳みながらひとつに束ねた。

ダディ。
お昼はダディの好きなミートパイよ。
庭で一緒に食べましょう。


君のウェディングには、庭の薔薇を千切って花吹雪を作ろう。

私はバスケットの花びらを君に掛けながら、祈るのだ。

どうか、どうか私の愛しいこの娘が、幾年月、末永く、健やかであれ。

人類移住計画と称して宇宙船はせっせと火星へ人々を運んでいく。

しかし、火星から帰ってきたという船を、私は未だ見たことがない。

#シロクマ文芸部 #花吹雪
シロクマ文芸部様の「花吹雪」から始まる企画に参加させていただきました。
前回の「風車」の中で、ホログラムで熱弁している猫頭の学者のお話です。
鮮やかな花吹雪が、庭の緑と空(カラ)のプールに降り注ぐ光景、そして止む事のないスプリンクラーのモーター音。
空想するのはとても楽しいです。
面白い企画、ありがとうございます。

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