見出し画像

旦那デスノートは男性の急性腎不全死亡を増やしたのか検証する

 人口動態統計の急性腎不全死亡が、旦那デスノートが発売された2017年の翌年2018年に急増し、2021年には死者数が男女逆転したのは、旦那デスノートというサイトや書籍が不凍液を飲ませ急性腎不全で殺害することを広めたからだという説がX(旧Twitter)で注目を集めているそうです。

 まりめっこ氏は、年代別にみると急性腎不全死が増えているのは70以上の高齢男性であり、旦那デスノートと死亡者数の増加は関係ないと言い切ってよいと投稿しています。
https://twitter.com/mrmk0120/status/1710110317156708617

 私も同意見で、アメリカでも急性腎不全死亡数は増加し男女も逆転しており、2018年の上昇は標準偏差1個分にも満たないこと、エチレングリコール中毒の報告数や死者数、DPCデータに現れるエチレングリコール治療薬のホメピゾール使用量、我が国の疾病構造や死因統計のダイナミズムを踏まえば根拠は薄弱であると考えます。


アメリカでも急性腎不全死亡は増加し男女も逆転した

 日本だけでなくアメリカのCDCのデータでも急性腎不全死亡数は増加していて、近年は男女の死者数が逆転していました。
Source: https://wonder.cdc.gov/Deaths-by-Underlying-Cause.html よりICDコードN17で抽出した

日本の急性腎不全死亡数の推移

 日本の統計は厚生労働省や総務省の人口動態統計などで確認できます。

 男性の急性腎不全死亡者数は2016年1,566人→2017年1,176人の24.9%の急減は死因統計に使用する国際疾病分類(ICD-10)改訂の適用が影響したと考えられます。

 厚労省が2016年の死亡票をサンプリング調査したところ改訂版適用の影響で急性腎不全の死亡数が21.4%減少しました。
Source: https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/icd_2013_eikyo.pdf

 1997年~2022年の男性の急性腎不全死亡者数は年平均1,677人、標準偏差230人になります。 
2017年1,176人→2018年1,305人の129人の増加は標準偏差1個分の変動にもなりません。
正規分布では平均値から±標準偏差2個分の間に95%のデータが収まるので、標準偏差2個分を超える場合異常値とみなすことが多いです。

 2018年の増加の理由ならば、他にもいろいろな仮説が立てられるでしょう。例えば2018年は寒暖が激しく熱中症や凍傷による死亡も多かったので、気候の影響も考えられます。

 凍傷死亡者数を説明変数に急性腎不全を目的変数に回帰分析するとよく当てはまってるようにみえます。夏の暑さで腎前性の急性腎不全が増えそうなものですが、熱中症死亡数と急性腎不全死亡数は、熱中症死亡が増えるほど急性腎不全死亡が減るという直感に反した動きをしています。
経済発展により医療が高度化し急性腎不全死亡が減り、温暖化も進んでいるからなのかもしれません。温暖化の影響を調整すると逆転するかもしれません。

 2017年には日本臨床救急医学会が「人生の最終段階にある傷病者の意思に沿った救急現場での心肺蘇生等のあり方に関する提言」を公表しています。
治療をあきらめる事例が増えれば原因究明がなされず、原因が特定されない急性腎不全の病名が増えても不思議ではありません。
2018年は6年に1回の診療報酬改定、介護報酬改定、障害福祉サービス等報酬改定の3つの報酬改定が行われるトリプル改定の年でした。
2020年からは当然コロナの影響もあります。

https://www.mhlw.go.jp/content/10801000/000766008.pdf

 
 こうした様々な要因がある中で、一つの書籍やサイトの影響だけで説明できるのでしょうか。

エチレングリコール中毒による死亡者数のピークは2018年ではない

 不凍液を疑われずに飲ませ、不エチレングリコール中毒により急性腎不全を起こし、原因物質を隠すというのが百発百中でできるのでしょうか。
もちろん診断は難しいのは確かですが。この前提の疑問は実際の事件も踏まえて後の項目でさらに検討しますが、まずはエチレングリコール中毒の病態について整理しておきます。

 まず、不凍液に含まれるエチレングリコールは甘く、保冷剤にも高濃度で含まれており小児の誤飲事故も時折みられます。エチレングリコールそれ自体の毒性は低いのですが、体内でアルコール脱水素酵素によって代謝されるとグリオキシル酸を経てシュウ酸に代謝され、シュウ酸カルシウムとして腎尿細管に沈着、急性腎不全を惹起します。
 飲酒に似た酩酊様の中枢神経障害から始まり、急速に進行する代謝性アシドーシスが特徴です。
 24-48時間で代謝され排泄されてしまうので、死後に発見されにくいのは確かですが、生存中に急性腎不全として治療を受ける場合、輸液や昇圧薬、利尿薬で適切な血行動態の管理をしながら、必ず原因探索を行います。
 血液検査で浸透圧ギャップが増大していればメタノール若しくはエチレングリコール中毒を強く疑います。
 尿からシュウ酸カルシウム結晶が見つかることもあります。
エチレングリコール中毒が疑われる死亡例では、検死で腎臓の組織検査により尿細管へのシュウ酸結晶の沈着を確認することがあります。
 もちろん数ある原因物質の可能性の中からたどり着くのは容易ではありませんが、多くの人が実行すれば、エチレングリコールが原因と特定される件数も増えるはずです。

 死因統計に使用されるICD-10では急性腎不全はN17-に分類されるのですが、エチレングリコール中毒が原因による場合は除外ルールでT52.8その他の特定の有機溶剤中毒にコードされます。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/sippei/dl/naiyou19.pdf

ICD-10の除外ルール
https://www.mhlw.go.jp/toukei/sippei/dl/naiyou14.pdf

 T52.8 その他の特定の有機溶剤中毒による死亡者数は、2018年ではなく2016年がピークで、女性の死者も多いく毎年の絶対数も非常に少ないです。
ここには旦那デスノートの痕跡は見られません。

 原因物質の範囲が幅広くなってしまいますが、薬物を使った加害行為が原因と特定された死亡者数は女性の方が多くなっています。

日本中毒情報センターの受信報告ではエチレングリコール含有自動車用品のピークは2019年

 日本中毒情報センターは中毒についての問い合わせを受けた件数を原因物質ごとに公開しています。
 起因物質が「エチレングリコール含有自動車用品」の問い合わせ件数、そのうち医療機関からの問い合わせ件数も、うち患者年齢層20-64歳の件数も2018年ではなく2019年がピークでした。

治療薬であるホメピゾールの使用量の増加がみられない

 先ほどの説明のとおり、エチレングリコールは体内でアルコール脱水素酵素により代謝されることで毒性を発揮します。
そこで治療にあたり、アルコール脱水素酵素に対してエチレングリコールよりエタノール(お酒)の方が親和性が高いことを利用し、お酒を飲ませたりすることで、シュウ酸への代謝を遅らせ、その間に透析でエチレングリコールの排泄と代謝性アシドーシスの補正を行い治療します。
 2015年1月に発売された「ホメピゾール」のアルコール脱水素酵素に対する親和性は、エタノール(お酒)よりも8千倍、メタノールの8万倍、エチレングリコールの80万倍とフリーザ様のように強さで、副作用発症率が低く、投与方法も簡便ですが、140,398円/瓶と非常にお高くなっています。
16バイアル投与して220万円を超えたケースもあるほどです(請求ができず破棄した分も含めると400万円以上だそうです)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/jja2.12212

 だんなデスノート仮説が正しければ、被害者は増え使用量は増えているはずです。
NDBデータではずっと使用量0ですが、おそらくDPCなどで包括請求されていてデータに出てこないのでしょう。

 そこでDPC公開データを使ってみました。
エチレングリコールによる急性腎不全はICD(国際疾病分類)ではT52.8その他の特定の有機溶剤中毒にコードされます。DPCは入院中に最も医療資源を投入した傷病名(ICDコード)とどのような手術・処置をしたかで診断群分類が決定され保険診療において一日ごとの支払額が決まります。
T52.8その他の特定の有機溶剤中毒に該当する診断群分類は161070薬物中毒(その他の中毒)になりますが、これだけだとメタノール中毒や貝毒など他の物質の中毒も含まれてしまいます。

https://bone.jp/dpc/22/161070.html

 幸いこの分類は処置でさらに分類がされ、「ホメピゾール」が処置コードの4に設定されています。この番号4にはメチルチオニニウム塩化物(メチレンブルー)という薬剤も設定されており、ホメピゾールはメタノール中毒にも使用されるので完全な特定にはなりませんが、かなり絞ることができましたので、大勢を見るには十分でしょう。
 診断群分類番号161070xxxxx4xx「薬物中毒(その他の中毒) 手術・処置等2 4あり」この診断群分類番号に該当する入院患者の数を「ホメピゾール」を使用した患者数に近似するわけですね。


 男性患者は減り続けて、2018年は11件しか入院が無いようです、ここにはメタノール中毒も含まれていると思われますから、非常に少ないですね。

ここまでどこにも旦那デスノート2018年ショックの痕跡が見つからないということがあるのでしょうか。

疾病統計のダイナミクス

 死因統計はかなり揺らぎのある統計です。 
2017年に適用された国際疾病分類のルール変更だけで、急性腎不全による死亡者数が試算によれば21.4%も変わってしまうのです。
他にも、高齢化による死者数増加と治療技術の向上がせめぎ合いによっても揺らぎが生じ、単純に増え続けたり減り続けたりするとは限りません。

 男女間での差があるのは急性腎不全だけではありません。
2017年から2022年にかけての増加率を見ると
総死亡は男性15.7%、女性は18.4%ですが、
急性腎不全は男性29.4%、女性2.2%
老衰は男性93.6%、女性71.38%
敗血症は男性18.4%、女性4.46%
ほかの病名もデスノートで説明できるのでしょうか。

 敗血症は感染症によって臓器障害が生じている重篤な病気です。
敗血症は集中治療を要する患者に生じる急性腎不全の原因の30~70%を占めます。肺腎連関と言って腎疾患と肺疾患がともに関連しながら発症・進行する病態がありますが、COVID-19でも肺炎を起こしそれが急性腎不全を起こしその腎不全がまた肺に悪影響を与えるという悪循環をきたす肺腎連関が指摘されています(感染によるサイトカインストームが関わっている)。
このように、病気は独立ではなく相互に連関していることも多いのです。
 近年は治療薬、手術、カテーテル治療後のコレステロール塞栓症などによる医原性の急性腎不全も増えています。病気を治療したことで増えてしまうこともあるということです。

 急性腎不全による死亡が増えるのは必ずしも悪いわけではありません。
人はいずれ死ぬので、ある死因が減れば別の死因がその分増えるだけです。
他の病気で死なずに長生きしたことで、最後は体のどこかにガタが来て心不全や腎不全になって大往生するは理想的ではないでしょうか。
医原性の急性腎不全もまた、リスクに見合った効果的な治療法が増えていることの裏返しなのです。

 ですから急性腎不全死亡者数の性別の経年変化だけで結論付けてしまうのは非常に乱暴で危険だと思います。

非現実的な前提

 原因不明の急性腎不全による死亡に見せかけ、隠し通せるという前提はかなり無茶ではないでしょうか。
 飲ませた相手が医療機関を受診しない、受診しても発見されない、検死も不十分になるだろうという他人の不作為に期待するギャンブルを幾人もがチャレンジして、発覚の可能性は無いとするのは現実的なのでしょうか。

エチレングリコールが殺害に使われた事件

 2021年4月に叔母にエチレングリコールを飲ませ昏倒させ、階段から突き落とし、家に火を放ち殺害したという事件がありました。

https://bunshun.jp/articles/-/64411?page=4

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/373/092373_hanrei.pdf

 ウイスキーに入れる、海外の薬だと偽るなど摂取させるのに苦労した様子です。

 メタノールによる殺害は国内で何件か確認できます。
2021年には、なんと第一三共で薬品の研究開発をしていた薬学の専門家がメタノールを妻に飲ませて殺害し検挙されました。行政解剖の結果、胃の内容物や血液などからメタノールが検出されました。

2016年には西宮市で夫にメタノール入りの酒を飲ませ殺害した事件がありました。病院の血液検査からメタノール中毒の疑いが出て警察に通報されました。
https://www.news-postseven.com/archives/20160602_416543.html?DETAIL

 エチレングリコールよりメタノールの方が無味無臭なので飲ませやすいこともあって使われることが多いのではないかと思います。
メタノール中毒もエチレングリコール中毒と同じくアルコール脱水素酵素によって生じた毒性代謝物に起因します。治療薬も同じくホメピゾールやエタノールを活用します。
飲酒に似た酩酊様の中枢神経障害から始まり急速に進行する代謝性アシドーシス、血液検査で浸透圧ギャップが増大していれば、強く疑うという点でも共通しています。
死後時間がたってからはともかく、生きている間に受診すれば発見率にあまり変わりはないように思われますから、やはり全く露見の可能性がないという想定に根拠があるとは思えません。

創作物にみるエチレングリコール殺人

 旦那デスノートが現実の殺人に影響するかもしれないとしたら、旦那デスノートに書き込んだ人は何に影響を受けたのでしょう。やはりニュースや創作物ではないでしょうか。

 2016年11月17日に放送されたドラマ科捜研の女 SEASON16 第4話では
不凍液をホームレスの麦茶に混ぜエチレングリコール中毒で殺害されています。代謝が早く死後に発見されにくいことも紹介されています。

 流石に麦茶に入れたら分かるやろという野暮な突込みは置いておいて
こういうものを視聴してイキって書き込んだのではないかと邪推してしまいます。

 2018年の3月16日に放送された石原さとみ主演のドラマ「アンナチュラル」最終回でもエチレングリコールがキーになります。治療薬のホメピゾールも出てきます。

 ネットコンテンツやアニメ漫画の影響ばかり叩かれ、犯罪の手口を子細に描写した実写の創作物がプライムタイムに放送されるのは叩かれないというのはなんだか納得しかねますが、いずれにしても統計的に有意な増加は確認されていないのですから規制というのはいかがなものでしょうか。

 自由には犠牲が伴います。
コロナ禍で鉄道輸送量の減少に伴い痴漢検挙件数は大幅に低下しました。
だからといってその頃に戻り不自由の中で安全を享受したいでしょうか。

 自由の制限には、強い因果関係が示され、定量的にメリットより害悪が大きく、他の手段で軽減できない場合に、最小限に行うべきものだと思います。

ご高覧ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?