病んでるって言ってあげたい

ぼくは自分で自分をおいこみすぎなのか。毎日通学路でみる30から40とかもっといってるひとたちの顔、服をみてなぜか心の底で軽蔑している自分がいる。僕はracistなのか。自分はそうはならない、とか思ってるんだろう。今冷静にかんがえればどこからそんな自信やら考えがわいてくるのかわけがわからない。そういえばずっとそうだった。小さい頃からいつもまわりから劣っているか優れているかばかりきにして生きてきた人生だったと思う。ある人がいればすぐ自分の優れている点を一つでも見つけて優位に立っていると思ってあんしんしてた。たぶん、大学に来て自分が一つもかてると思うところがなくて、その結果劣等感を感じて、ていう出会いが死ぬほどあったせいで病みっぽくなったんだろう。みんなすごい。すごい。ぼくになにがあるのか、こればっかりかんがえている。ひととくらべることでしか幸せになれない、悲しい人生ですね。だから人生のゴールがどこにあるのか見失っている。
こっちにきて身の回りの人とあわない。心から通い合えない。人ととうまく?付き合えない。すぐに孤独を感じる。これが大人って言ったらそれまでだけど。だから仲良くしているグループがあるとすぐうらやましくなる。自分が浮いているような気さえする。高3の夏にみたアニメが完結した。「青春の価値」。感情のぶつかりあい、心の底で思ってることを言い合えること、お互いを認め合えること。高校生のとき、そして地元が懐かしくてたまらなくなる。なんでかわからない。高校生までは少なくとも親と教師にはある程度自分を気にかけてくれていた、いまはちがう。ひとり。高校のとき一人でいることは嫌いじゃなかった。物思いにふけられるし、自分を見つめなおせている感じ、自分の世界に入れる感じ。いまはひとりでいることが嫌だ的な位置づけにかわってきている。どこかで自分を認めてくれる人がいる実感がわかないから、世界から取り残されているような気がする。
自分を認めてくれるパートナーとして彼女がほしかった。大学に入ってからいろんな女の子と話す機会があった。けどどこかよそよそしさを感じる?
そもそも初対面とか2回目とかの人に本心で話すひとがいますかねって話なんですけど。だから自分を認めてくれる人が誰なのかわからない。わかってくれるひとがだれかわからない。元カノ、合コンの人、ごはんにさそって断られた人、飲みに行った人、寮のひとA、寮の人B、サークルの人、とか、結局分かり合えてる気がしない。それって自分が相手を理解しようとしてないからなのか、自分を理解してくれとしか思ってないからなのか。ただ話す時間が少なすぎるだけなのか。もっと時間がかかるのはあたりまえか。
みんな目標があっていいな。僕はわからない。なににでもなれる。けどがんばれない。大学ってなにをするとこなんだろ。
夜飯つくれる元気がわいたのでたべます

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