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合格と不合格は運命

さあ、2つ目のお話。
題名を見ると、勉強の話に思えるが、意外といろいろなところに通ずることがある。

この時期には、どうしても再確認したい言葉なのだ。

「合格」は本来、とても重い言葉だと思う。
よく「格が違う」「段違い」という表現があるところからもわかるように、格に見合っているかどうか判断される言葉だからだ。

そう考えれば、合格も不合格もその人にとっては、そうなるべくしてそうなっていると言える。
その格にふさわしければ合格するし、合わなければ不合格なのだ。運命として受け入れるには、その考え方でこと足りる。

しかし、その格の理解が難しい。

塾講師時代に、県No.1高校に合格率100%という実績を5年連続で叩き出した。
しかも、地方で10名近くの志願者がいて、なおかつ合格率30%程度の生徒が含まれながらもだ。
大きな校舎で中3生の受け持ちが100名程度いても、志望校の不合格になる者はごく少数だった。

やっていたのは、格のすり合わせだからだろう。
そこにあるのは、自己理解、他者理解である。
自分の特徴を知り、相手の特徴も知る。
その上で合うところ、充足しているところと合わないところ、不足しているところを探す。
当たり前にそこには深い分析力が必要である。
私はそこの分析の手伝いをしていただけ。

意外と子どもたちの方が敏感だからか、話しているだけで、どんどん差異を見つけ出す。
そのぶん、行動するまでは遅いのだが、相手がしっかり見えてくると、自分の行動が変わり、成長を実感できるのか、毎日毎日子どもたちは変化していくし、それを楽しんでいたのが印象的だ。

こう聞けば、社会人になってもずっと同じことの繰り返しであることがよくわかる。
徹底して、自分を知ることで、相手の望む格に近づくことを考え、トライ&エラーを繰り返し、行動していく。
その過程で、自分はそこに合わないと判断すれば、別のところを探すのが、受験。合わなくても合わせる、または自分側に引き寄せていくのが、社会とも言えそうだ。

こんな経験をしていると、変化を恐れない人になる。
なぜかって!?
相手が変わらないなんて、百も承知だから。
自分から変わらないと、格には当てはまらない。
勉強のやり方も提案する内容も、協力してもらう人も自分で考えて自己決定する。
そして、自分が導き出した答えの答え合わせに「合格」と「不合格」がある。

私が伝えたいのは、
「合格」「不合格」は運命で、結果だから、そこを気にしすぎることはいらないということ。
過程でどんな分析し、理解し、決定、行動したのかというその姿が大切だということ。

この癖がついた者は本当に強い。
なんせ周りを巻き込む力が段違いで違う。
自分と相手を理解し、足りないものを補おうとするだけでなく、ゴールまでの距離を具体的に考えることができ、力の使い方もうまくなるから。
しかも、これは経験値になるぶん、若いときから繰り返してやっている方が数倍も強い。
私はすでに教え子たちに負けていると実感することが多々ある。

やり方がわかったら、あとは、自分の価値観と相談。
達成までに3年かかるなら、違う道を歩もうなのか、3年だったら突き進もうなのか、それは外から口出しすることではない。

自分で決めたことをやったのであれば、どんな結果であれ、気持ちよく終われるはず。
ただし、より良い結果を求めるのであれば、運命を引き寄せる努力を惜しまないことだ。

私の学生時代は挫折の連続だった。
苦しみを経験することは大切だが、苦しみ続けてほしくない。
私が厳しく子どもたちに、授業ではなく、指導していたのは、同じ道を歩んでほしくないから。

立場が変わっても、笑顔で会いにきてくれる教え子が多いのは、本当に幸せだ。
この3月、私の関わった最後の学生が高校受験に臨む。
この先に幸多からんことを!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
少しでもヒントになれば幸いです。

                浅野 重幸



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