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私の居場所はどこなの?

昨日の夜、知り合いの人から電話があった。
ここ何日か電話することが
続いていた。
たいしたことは話してないけど
色々話せて楽しかった。

不穏な空気は気がついていた。
その予感通り
「いつまで電話してる‼️ダラダラと!
うるさい👂️⚡毎日毎日😠」
お風呂からでてきた母親が
鬼のような顔をして怒り始めた⁉️

ほら、やっぱりね。
いつも肝心なところで
この人は自分の価値観を押し付けて
私を上から押さえつける。

確かに声が大きかった。それでも何時間も電話してるわけでもないし。
時刻はまだ8時、9時のレベル。

この家は電話もろくにできないのか?
とがっかり😖

いつものように私は言い返しもしないで
気持ちに蓋をした。

いつも、そう。
歯向かえないし、言い返せない。
この人のいうことが一番。
母親だから正しいのか?

母親だからいうことを聞いておかないといけないのか?

こんな言い方はしてはいけないけど。
私は母のいうレールを歩くしかなくて
それを、実行した結果、ひどく痩せて
半分死んでるような人生を送ることになった。

そんな風に思ってはいけないけれど。
一理あるとも思っている。

あの時、母の望むような人生が正しいのか?と疑えば。
母の気に入るようにと生きなくてもいいと
気がついていれば
もう少し普通の人生を歩けたように思う。

いまさら仕方ないし。
歩いてきたのは私だから。

私の意志で選んだのだから。
攻めるのはしたくないし。
後悔もしたくない。

ただ、支配されてる、かごのなかに入れられてると感じることからは
これからも母がいなくなるまで思うのだろうなあ。

母が居なくなり、寂しいと思うし悲しいけれど。もしかしたら、心のなかで解放されたと思うような気がする。

いまは元気だから
今のうちに後悔しないように
親孝行しないととは思うけど。

そうしなければならないわけでもない。

完璧主義、こうあるべき、こうしてはいけないと拘るのは辞めよう。

私が本当にしたいと思うこと
してあげたいと心から思うことだけをする、

したくないことは無理やりしない。
そのかわり、相手にも望まない。
冷たいかもしれないけれど。

私の人生、私がやりたいように
生きたい。
だれのためでもない、私自身のために😃

きようもわたしは頑張った。

💮💮
最後まで読んで頂いてありがとうございます🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐲🐲

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