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【凸凹考察】普通という名の幸福

ある人との会話で「普通」や「障害」の捉え方について思うところがあったのでこのタイトル。
カバー画像を探すために「普通」で検索したら結構な数のカレー写真が出てくるところ、日本っぽみあっていいですね

ところで本題ですが、アカデミーでの活動を通じて自信がついた(またの名を調子に乗った)ので、割合身近な人にもグレー診断のことを公表しました。といっても、会社で働くにあたってなんとなく子供の事情は伝える機会があったので、この親あっての子供感というか…驚かれたり引かれたりは多分なかったです。

その上で、一応マネージャー見習いの立場なので個々の同僚(部下って言える偉さじゃないよ)との対話も少しずつ始めているのですが、とある方からしきりに私の遂行能力やリーダーシップ、キャリアアップへのモチベーションを持ち上げてくるので「そうなんですか?」と躱していたら

「私はもう普通に子育ても終えて、普通に仕事して、普通においしいもの食べたりして、とりあえず多分老後もなんとかなればいいから…普通に…」

的なことを仰っていました。
その場で卒倒しなかったことを褒めてほしい。
私、そんなに普通を謳歌できないよ。いろんな意味で

でもなんだか、告解ほどじゃないけど楽しそうでもなく、謙遜なんでしょうけど、普通でごめんくらいのトーンに聞こえて
その状態を維持していることがどれだけ尊いのか…ということをちょっと違う表現ですがどうにか伝えてみたり、なんだかよくわからない会話になって終わりました。

一応私の年代が平均年齢くらいの会社ですが、当然上の世代も人口比でそれなりにボリュームゾーンなので、下手すると私の親に近い年齢って方も出てくるんですが
定年・老後というキーワードが近い時に今更「自律的キャリア」等と言われても…という困惑はあるんだと思う。
アカデミーにも来年で最後なんです、という方がいたけど、あと10年くらい働けるのでは?ってガッツガツな人もいたなー。
会社が盛り上がってて頑張ってほしいんだろうけど、ついていけないよみたいな雰囲気にも感じられるし
まぁぶっちゃけ私には関係ないわ…貴方は大変ね、のニュアンスもゼロではなかったんで(実際これが全面に出ていたのかもしれないけど私が鈍いんで…)結局その方の真意はわかりません。

ただ、このやり取りが妙に引っ掛かって
確かに私は生き方も自分自身も、育児のスタンスも子供との向き合い方も結構「変」だったり「細かい」んだったりするそうなんですが(過去に関してはよくそんなに覚えてるね?の意)
別に意識しなくてもいいんだったらしないんだよな、これは私なりの生存戦略なんだよな、と思うと
褒められたとてやっぱりやるせない気持ちが残るのは仕方ないのかな。
羨ましいとは思わないし、歩み寄ってほしいとも思わないけど、
間接的に「自分と”普通”の距離」を強調される瞬間が印象に残りました。

どちらが幸福なのか、どちらも不幸なのか、誰かと語り合ってみたいですね。

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