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亀の出てくる今昔物語

今はむかしの話なのですが
『今昔物語集』の秀逸な作品をより抜きで紹介してくれる本を読んだ際に、とても面白い短編を目にした事がありました
こちらではそれをご紹介したいです

その前に『今昔物語』についてごくごく簡単にご説明しますが
平安時代ころに成立した、民話や神話、説話をたくさん集めた膨大な量の短編集で、芥川龍之介の『羅生門』や『鼻』の元となった話集でもあります
収録されている作品は日本のみならず
天竺(インド)や震旦(中国)のものも含まれていて、異国情緒あふるる驚きの展開の話がいくつも入っていて、とても読み応えがあります
そして、こちらでご紹介したい一編も、天竺(インド)のものです

今は昔の話…
後に立派な王となり、そして悟りをひらきブッタと呼ばれる方がまだシッダールタ王子であった頃の話です
王子は王宮での権力争いに破れ、ひとり妻だけをともなって、荒れ野をあてなくさ迷っていました
食べるものもなく、ふたりでどうにか木の実やら貝やらを集めますが、なかなか腹が膨れることはありません
ある日、一匹の大きな亀が砂浜にうち上がり事切れているのを、ふたりは見つけました
産卵のために浜に上がったところで力尽きてしまったのか、しかし飢えるふたりにはまさに恵みでした
きちんと煮炊きをしてスープにして食べよう、とふたりは手分けをし、夫は火を起こし、妻は水を汲みにその場を離れました
しかしあまりに空腹に耐えかねた夫は、まだ生焼けの亀の肉を切り取り、一口、また一口と堪えきれずにほお張って、ついには亀をすべて食べつくしてしまったのです
そこへ水を汲んできた妻が戻って言いました

「あらあなた、亀が見当たらないわ、どうしてしまったの?」

夫は言いました

「いやそれが、少し目を離した隙に逃げてしまったようなのだ、亀は千年を生きるという、焼けてしまっても動くのだなあ」

しかし妻は冷たく、言い放ちました

「あなたはなぜそのような嘘をつくの? あなたの指にも唇にも、亀を食べた脂がしっかりついているではありませんか
食べてしまったのなら正直にそうおっしゃればいいものを、ごまかすために嘘までつくなんて…あなたという人は!」

その後、ふたりは王権を取り戻し、王宮で何不自由ない暮らしを送れるようになりました
しかし妻は夫に微笑むことはありません

「なあお前、そろそろ機嫌を直してほしい お前のために新たな王宮も建てたし数多の宝も贈ったではないか、いい加減に愛想を見せてくれてもよいだろう」

「私はあなたを許すことはありません あの浜辺で私は飢えて死ぬところでした この安全な王宮でなにを贈られても、それを忘れることはできません
だってあなたは、亀を食べてしまったのだから」

そしてこのお話は、(食べ物の恨みは恐ろしいものだ…)というような締めで終わります
読んだ当時は、食べ物の恨みは恐ろしいものだと!?
そんな締めでシッダールタくそやろうを許してよいものか! 妻に機嫌を直してほしいだと?
まず亀を食べてすまなかったって、あやまれ!

と、わりと真面目に怒りましたし、今これを書き出してても同じようなテンションでムカムカしました
しかしその一方で、偉人とされるブッタもただの人であった頃の話として意外な面白さもあるし、亀を食べてしまった夫を論破する妻のセリフも読み応えがあって、すごく好きな話です

ちなみに『今昔物語集』はその編成の成り立ちが、民話を集めるだけでなく、仏教の流布、プロモーションのための説話集であった側面もあるそうです
なので収録されている話の中には
(様々な苦境に立たされて絶望し死を望む人が、仏教を信じ念仏を唱えることで幸せになったし極楽へいったということだ…)というような話もたくさんあって
それが夜中や朝方にやってる、ドキュメンタリーかと思ったら青汁の錠剤のCMだった、みたいな味わいがあって、それはそれで好きです

でも仏教ってアレじゃん、亀を食べ尽くしたやつの宗教じゃんっていう恨みも当然忘れません
そんな今昔物語集は、とても面白いんですよ、というお話でした

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