見出し画像

871ンスタライブ #004(自己紹介)



#871ンスタライブ #004
2020年12月1日(火)

テキスト:宙組(https://note.com/soragumi_com)

主催:柳井貢

こんにちは。
さて、今日は先週と変わって、自分のお話、自己紹介を出来たらなと思っているのでよろしくお願いします。
自分のnoteを振り返りながら話しますね。


キャリアの始まりはDJクラブの店長

僕は1981年の1月生まれで39歳です。小学校5年生から高校までずっとサッカーをやっていました。プロになりたい気持ちはあったけど、なれるような技術ではなかったので何となく無理やろうなって思ってましたが高校までずっとやってました。あとは絵を描くのが好きだったので、漠然とデザインの勉強をしたいと思って、地元の大阪芸術大学のインテリアとか建築とか空間デザインの勉強をするコースに行きました。でも寸法測って図面を書いたりするのがあんまり面白くないなと思ってしまい、大学とか高校の友達がDJイベントをしていたので、そういう友達とつるんでる4年間でしたね。

大学2年生の時は広告代理店でアルバイトをしていたんですけど、時給1,000円で課題を与えてもらってデザインの勉強ができるみたいなめっちゃ良い条件でした。そこに10か月ぐらい行ってIllustratorとかPhotoshopの基本を学びました。

大学3年生の終わりぐらいから、心斎橋のclub STOMPで働き始めましたね。
当時、風営法の問題でお店が軒並み営業停止とか閉店とかしてたんですけど、club STOMPは凄く小さなお店で大繁盛してる訳でもなかったので、風俗営業の取り締まりもかいくぐり、なんと今も続いてます。20年ぐらい経つのかな。DJクラブの中ではかなり老舗の方になったと思います。そこで25歳まで働いてました。
大学卒業する時に就活をチラッと考えたんですけど、就職するっていうのがピンと来なくて。大学4年生の時にはお店を全部任せてもらってたので、誰かの下について仕事をするより、規模感は小さくてもバイトの採用から酒の仕入れ、家賃の支払い、店の収支計算とかをしている方が経験になるんじゃないかと思って25歳まで店長をやっていました。
並行してグラフィックデザインの仕事もちょこちょこやってたんですけどね。

でも24歳くらいの時に、"今のまま30歳~40歳までいくのはちょっと難しいかも、自分の未来をもう少し広げたい"っていう気持ちがあって、1年後に辞めることを伝えました。1年あったら辞める準備もできると思って。当時いた後輩で音楽好きな見込みのある子がいたので、今でも覚えてるけど、その子に「お前、来年店長な。相談じゃなくて申し訳ないけど、命令やから」って言いましたね(笑)僕もお店のことを全部やらせてもらえるのが凄く良い経験になったので。
「2.3年で辞めるんやったら辞めても良いけど、20代前半にこういうことを任せて貰えるのは、その後何の仕事をするにしてもいい経験になるはずやから。絶対やりな」つって、半ば強制的に店長を押し付けました。

引き継ぎの間はお店を使ってくれている人にご挨拶をしたり、よっぽどのトラブルがあったら相談に乗りに行くみたいな感じで、ほぼ半年は仕事してなかったですね。グラフィックの仕事ばっかり事務所で勝手にやってたり。で、その時期に並行して、「今年の年末で、僕お店辞めるので誰か興味のある人いませんか?」って遊びに行く先々でお話してて。
何個か東京のデザイン事務所に相談しに行ったり、ファッション系タブロイドの編集部で人探してるらしいよ、と声をかけてもらう中で、HIP LAND MUSICの中に当時あった、RD Recordsっていうレーベルに、club STOMPの時に一緒に仕事をしていた仲の良い先輩がいて。この3つの行き先の中で、具体的にスピード感をもって採用の話が出来たのがRD Records、つまりHIP LAND MUSICだったというわけです。



「自分を活かして誰かの役に立つ仕事なら何でもよかった」
過去の自分


あと、HIP LAND MUSICにしたもう1つ理由としては、『cutman-booche』(以下:カットマン)っていう関西出身のバンドがいて。
今はもう解散しちゃってるんですけど、club STOMPでライブもしてくれてて、年も近くて仲良かったんですよ。で、当時の担当さんが1年後ぐらいに辞めるから後任探してるタイミングだったということもあり、仕事の内容もはっきりしていたので、HIP LAND MUSICになりました。


だから実は、音楽の仕事が凄くしたくて音楽の仕事をしているわけではないんですね。それよりも自分の能力が誰かの役に立ったらいいなっていうのがずっと根幹にあって。
それを活かせるモチーフは音楽でもいいし、料理でもいいし、スポーツ選手のマネジメントとかエージェントみたいなことでもいいかもしれない。縁があったのが音楽だったっていう感じですね。club STOMPで働くことになったのもたまたま友達がDJをしていたから音楽に接点があったというわけで。勿論好きは好きなんですけどね。



そこから30歳くらいまでの5年間はずっとカットマンのことばっかりやっていました。1人でほぼ全部やってましたね。メンバー3人と僕とPAさんの5人でハイエース1台でツアー回ったりとか、経費削減で夏場は車で泊まったりも全然してたし。なんとかバンドを理想の状況に持っていけたらっていう一心で色々やってたんですけど、なかなか思うようにいかなかったりもして。
その後バンドメンバーの脱退とか多少色々ありながら、結果としてカットマンはHIP LAND MUSICのマネジメントを離れ、バンドが解散するっていうのもありました。

その時に節目だったので、どうしようかなと色々考えました。
さっきから何回も言ってるように、何が何でも音楽の仕事をしていたい!っていうことでもなかったんですけど、カットマンの仕事をしてた時の僕の姿を見ていた周りの人とか、自分と一緒にお仕事をしてた人達が「別のアーティストもやってみたら?」とか「もうちょっと頑張ってみたらいい気がするけどな」っていうアドバイスをくれたんです。

あと現社長で、当時の上司の野村達矢さんからは「1.2年はアーティストが見つからなかったりするかもしれないけど、もう少し自分がやりたいことをやれるアーティストを探してもっと頑張ったら結果も出るかもよ?」みたいな事を言ってもらって。そこでよくよく考えると、カットマンを担当していた時に好き勝手やらせて貰ってたしお給料ももらってたし、辞めるのはその恩恵を返してからかな、と思い、もうちょっとやってみようってなりました。

それからはもう手当たり次第目の前にある仕事を全部やってました。ほぼボランティアみたいな感じで、イベントの手伝いも行ったりしてました。デザイン会社ではなかったけど、イベントのチラシを作ってギャラ5000円とか1万円とかだったとしても、それで会社にお金入るなら、役に立てるならっていう感じでとりあえず何でもやってましたね。


それと並行して当時出逢ったバンドのCDリリースもやってました。『完全にノンフィクション』、『AWAYOKUBA』(=現在マネジメントを担当しているDENIMSの前身バンド)、『空きっ腹に酒』のリリースや『ユナイテッドモンモンサン』とかも一緒にお仕事していました。
この辺はマネジメントまでには至らなかったですけど、まだまだCD出す時代だったのでCDリリースのお手伝いをするレーベルみたいな立ち位置でお仕事をしていました。

あとは当時新宿LOFTにいた塚越さんっていう人と、下北沢SHELTERで「Daybreak NIGHT」っていう若手バンドのイベントもしてました。良い出逢いになったらと思ってやったんですけど、今考えるとまあまあなメンツが出てましたね。『Mrs. GREEN APPLE』とか『WHITE ASH』とか、『THE ORAL CIGARETTES』(以下:オーラル)も1回出てもらったのかな。そういうイベントをやってたこともあって、事務所の友達も増えたし下北沢SHELTERも今でも良くしてくれています。

それで2012年から2013年に、奇妙礼太郎さんのお仕事をお手伝いすることになります。
2年前に奇妙さんの独立してやりたいっていう意思表示もあって僕はマネジメントを離れたんですけど、FUJI ROCK FESTIVALに一緒に出たり、渋谷公会堂でワンマンライブをやったりしました。奇妙さんは『天才バンド』っていうのもやってて、こないだインスタライブを一緒にやったSundayさんも『天才バンド』をやってたりとか。そんな感じでした。


関わる音楽ジャンルをあえて縛らない


それと同時にMASH A&Rのオーディション(現在は「MASH HUNT」に名称を改定。詳細は→ https://mash-hunt.com/)の話があって。A-Sketch、SPACE SHOWER TV、MUSICA、MASH A&Rの4社でオーディションを軸としたことをやろうっていう話なんですけど、それも野村さんが一緒にやろうって声をかけてくれたんです。

そこで1年目のオーディションでオーラルがグランプリを獲って担当になりました。さすがに4社が関わったオーディションの初代グランプリアーティストっていうこともあって、そこそこのプレッシャーはありましたけど、楽しかったですね。僕が初めて押さえる会場がどんどんでかくなっていったのはオーラルのお陰だったりもするし。
なので30代前半は奇妙さんとオーラルの二組を軸に仕事をしてました。

20代に担当してたカットマンってブルース、ソウルやファンクとかにバックグラウンドを持ってるバンドで、奇妙さんもオーラルと比べるとジャンルが違うので、オーラルを担当するってなった時は周りからびっくりされましたね。

例えばカクバリズムの角張渉さんとか、SEEZ RECORDSの吉田さんとかPIZZA OF DEATHとかTHE NINTH APOLLOみたいに、担当なり所属アーティストのジャンル観が似てることもあると思うんですけど、僕はジャンルを縛らない方が自分にとって色々良いかなと思っていて。色んなアーティストと関わることで自分の経験値も広がるし、正直、“柳井っていうマネージャーは音楽ジャンルでものを見てないんだ”っていう評価にもなるなぁと思ったので。若干、敢えて色んなジャンルと関わるようにしてます。
アイドルグループをやりたい、とかはそんなに思ってないんですけど拒否もしてないから縁があったらやるかもしれないですね。

4社合同オーディションの発足と、オーディションが好きではなかった自分




仕事観みたいな話で言うとオーディションの話が面白いかもしれない。当時はオーディションが好きじゃなかったんです。
やっぱりライブハウスとかクラブでバンドを見てきたので、お客さんを増やしていったりレーベルとか事務所に所属する経緯って、とりあえずライブハウスにお客さん集めてたら勝手に関係者が見に来るし、事務所やレーベルのプロモーションがなくても自分達のライブパフォーマンスでお客さんが集められるところは自力でいけるんじゃないかなと思ってて。今でもその気持ちが無いわけではないんですけど。

その過程をすっ飛ばして「オーディション受かったー!グランプリとったー!わーい!」っていう、そこがゴールみたいな印象を勝手に持っていたんです。だからオーディション好きじゃなかったんですけど、そんな時に野村さんにオーディションを一緒にやろうって言われて、「うわぁ…悩むなぁ。オーディションなぁ…」っていうのは正直、最初の最初はありましたね。

でもすぐスイッチは切り替わりました。
っていうのは、カットマンが解散してから色んな事があって、経験って思って手当たり次第に何でもやってたけど、先輩方がそういう取り組みをやってみるっていう中に入って自分の役割を見つけたり、オーディションの仕組みを考えたりするのが楽しくて。それこそオーラルもオーディションで出逢ってるけど、自立心が強い人達だったので最初の1年目とかは僕、ライブにも全然ついて行ってないし。自分等で何とかする力を凄い持ってて。オーディションの見方も変わりましたね。


その辺りからどんどん毎年忙しくなっていって、『天才バンド』がワーナーミュージックと契約してメジャーでやることになったり、2017年にMASH A&Rのオーディションで『Saucy Dog』がグランプリを獲って担当することになったり。グランプリを獲ったのは、『LAMP IN TERREN』(以下:テレン)の方が先だったんですけど、僕はその途中の2017年の夏からテレンを担当することになりました。テレンも定期公演やってみたり、日比谷野音の話をしたり色々してますね。今は『ユレニワ』も担当することになって、『DENIMS』も今年の頭ぐらいから関わり始めて。今、『bonobos』も入れると全部で6組のチーフマネージャーとして関わってるんですけど、そんなこんなでHIP LAND MUSICでも一部署を任せてもらえるようになり、執行役員というポジションをやっています。グループ全部入れても100人弱ぐらいの会社なので、200~300人の中小企業の役職とは全然違うので、企業の中間管理職っていう感じですね。

仕事とは「自分が関わることで相手のプラスになれること」

こうやって振り返っても、都度都度“仕事って何だろう”ってずっと考えているんですけど。とにかく仕事相手とかお客さんの役に立つこと、自分が関わることでその人達のプラスになれること、がイコール仕事みたいな感覚なので役に立てそうなところでお手伝いをしてたら今に至るっていう感じです。だから、“何の仕事しようかなぁ”って悩んだ時は、唯一club STOMPを辞める時にちょっと考えたぐらいです。でも結局その時も、何の仕事をするかっていう内容で選んだ訳じゃないんですよね。

時系列でいくと現時点まで辿り着いたので、コメントを見ていきたいと思います。

視聴者さんからのコメント&一問一答

【役に立てそうなところが見つからなくて転職はしたいけど動き始められません】
必ずしも転職をしないと動けないか?っていうのもありますよね。このインスタライブだって誰にも命令されてないし、これが仕事でも遊びでもいいけど自分の為になりそうだからやってみようって感じなんです。それを他の仕事に置き換えられるケースもあるんじゃないかな。例えばサラリーマンをしながら毎朝早朝サーフィンしてる人とかもいると思うんですけど、サーフィンのやり方によってはそれが副業になったり本職になったりすると。それって転職活動とは違うけど、“本業と違う事をやってる“っていう状態にはあると思うんですね。働いてない時間を全部プライベートに使うのか、将来のきっかけになりそうなことに使うのかっていうのは、人それぞれ、その人次第だなって思います。それがもしかしたら転職のきっかけに繋がるかもしれないし。”動く“っていうのは必ずしも転職活動だけではないかもって思います。

【やりたいという気持ちよりも自分の得意分野を活かしつつ、人との縁もあった、という感じでしょうか?】
そうですね。で、この“得意”のニュアンスって、それを上手に出来るかどうかではなく、自分が没頭できるかどうかっていうこともあると思います。没頭できることには時間を投資できるので、気付いたら人より突出してる可能性があがる。そういう点で言うと、僕は人と話すこととか情報整理すること、プランを形に起こすことが得意かなと。あと、情報を整理してホワイトボードに書く事も好きですね。そうやって人に伝えることを勉強してたりします。

【自分の為より、人の為の方が力になることありますよね】
そうなんですよね。凄い極論を言えば、自分しか生きてない世界だったら何も欲がないし生きてたいと思わない。周りに人がいてくれて、その人との関係性自体が自分の存在感っていう気がしていますね。

【自分が人の役に立てているという実感はありますか】
ないことはないです。けど、不安もめっちゃあります。ずっと不安と実感を行き来してる気がしますね。お節介になってないかな、とか迷惑になってないかな、とか。凄く気にしいですね。あの言い方で誰か傷つけてたりせえへんかな、嫌な気持ちにさせてないかな、みたいな事は結構気にしています。

【興味というか、感情を込められるようになったきっかけはありますか】
一回没頭してみるっていうことかもしれないです。自分の時間を投資するとその投資を回収したくなるので、自分が時間なり労働コストを投資したものでレスポンスを感じられると、それがまた実感に繋がっていく。だから先に実感を得ようとするより、とにかく一回没頭してやってみるっていうのがレスポンスを受け取るきっかけになるかなと思います。

【自分の捉え方と取り組み方が大事なんですかね】
捉え方も大事だけど取り組み方ですね。僕も自分で、"やった方がいいのは分かっているけどやれてないこと"がいっぱいあって。例えば朝会社行って、大きな声で「おはようございまーす!」って絶対言った方が良いのはわかってるんですけど、周りの反応が冷たかったら寂しいなぁと思って控えちゃったりする。そこはまだまだ自分も弱い人間だなあって思うんですけど、誰とでも気持ち良く朝の挨拶をできる人ってそれだけで価値がある。自分がやれることを頑張ってみるっていうことから始まるかもしれない。

【誰かのプラスになるために自分を犠牲にするような経験ってありましたか?】
この“犠牲”って面白い表現ですね。“犠牲”って何だろう。例えば、サッカーの練習ってめっちゃ疲れるんですけど、疲れる為にやってる。疲れることが楽しい。むしろ楽するプロスポーツ選手っていないですよね。しんどいことを楽しく頑張ることで“上達した自分”を得られる。じゃあそれを得る為に、自分が先に何かをすることが犠牲という表現になるなら、自分を犠牲にすることがあった、で間違ってないと思います。でもやっぱり自分が先に何かをすることが誰かのプラスになるので、自分を犠牲にしてるとは思ってないです。むしろ自分が時間を投下することがレスポンスをもらえることに繋がっているので。

【転職したいのですが、オーラルの近くで働きたいっていう無謀な夢しか見つからず、動き出せません。人脈もないので自分から動くしかないのですが、何をしたら視野が広がりますか?】
オーラルの近くで働きたいっていうのをもう少し発想転換できたらいいですね。特定の個人とかアーティストとかに縛られちゃうと…。有意義な仕事とか自分にとっての仕事っていうのが、オーラルなのかどうかっていうのを確認作業してみるといいかも。ダメっていうわけじゃないし、いつかできたらいいですよねっていう気持ちもあるんですけど、そこをゴールに設定して良いのかなっていう気持ちもあります。

【好きな事を仕事にして、嫌いになってしまうことが怖いです。柳井さんは思うことありますか?】
好きな事にどういうフォーカスをしているかによりますね。カレーが大好きな人でも毎日カレーを食べていたら嫌いになるかもしれないけど、例えばカレーを作るところから勉強して毎日色んなカレーを試行錯誤しながら作ってみようとか、そのカレーを食べさせて喜んでもらおうってすると、食べることは好きじゃなくなるかもしんないけど作ることは嫌いにならないんじゃないかな。“好きな事”っていうのも柔軟な捉え方がある気がするんですよね。僕の場合は、音楽が好きだから音楽の仕事がしたい、ということではないので、そもそも音楽が嫌いっていう発想もないですけど、しんどいなぁは全然ありますよ。でもしんどくない仕事をしたいっていう発想もないんですよね。

【二度目の転職に向けて、ものすごく不安です】
そうですよね、でも悩んでいる間も人生の時間は進むので。悩んでる時間って案外動けてなかったりするから経験値は増えてない。えいやーっ!って動き始めちゃえばその間に経験値は溜まるので、3回目4回目になってもいいや、っていう気持ちで思い切り挑んでみるのもいいかも。ぶっちゃけ今からの時代は全然会社潰れるし、株を買収されて経営陣が変わって、全然違う風習の会社になっちゃうこともあるので、転職ウェルカムなスタンスで生きていた方が楽な気がします。

【自分の仕事のチームメンバーと接する時に何か気を付けていることはありますか】
迷惑はかけちゃうんですけど、なるべく自分の考えてることがちゃんと伝わるように、言葉のコミュニケーションをサボらないことです。端的に伝えられる判断は端的に伝えるけど、ニュアンスがすごく大事なことはかなりの長文LINE、もしくは電話で喋る感じかな。思いやりの交通事故とか言葉足らずのすれ違いってものすごく勿体ないので、そこは先にコストかけちゃった方が最終的にはコスパ良いかなって思っていますね。

【就活が決まらなくて不安です】
今、コロナも大変だしね。就活が決まらないっていうことは就職活動っていう方法自体、いわゆる新卒採用が合ってないのかもしれない。そこは色んな道があると思います。

【専門知識全然ないですが、バンドに関わる仕事に就きたい気持ちも諦められないです。でも音楽業界って狭き門ですよね】
表玄関に表示されてる門は確かに狭いかもしれないけど、探してみたら裏口めっちゃいっぱいありますよ。僕もどっちか言うと裏口から入ってるので。

【柳井さんは仕事や給料についてどう考えていますか?お金の為に仕事をするのは窮屈だけど、お金がないと生活できないしお金で買える楽しみもあるから、仕事をする上でどのくらい大切なのか聞いてみたいです】
生活とか家族に必要なお金とか、活動に必要なお金をどうやって産んでいくのかは凄く重要なんですよね。レジ打ちを1時間やって900円っていう仕事はロボットとかに置き換えられてしまう。でもたまにTwitterとかで出てくる、むっちゃテンション高いコンビニの店員さんみたいな、地元の名物みたいな人って労働対価じゃない部分で、お店から価値への対価を貰っていて。そういう部分をどれぐらい作れるかでお金のもらい方とか産み方が変わってくるような気がしています。なるべくロボットに置き換わらない仕事を自分でやっていきたいですね。人間だからこその仕事を、自分は周りにどれくらい提供できてるのかっていうのと、お金をどう交換していくのかっていうのを考えると、“お金もらうための仕事”と“楽しい仕事”を分けずにやれる可能性もあるのかなって思ったりもします。

【自分より先輩だけど、仕事に対する考えがどうしても納得できない場合は相手に伝えますか?年下から伝える場合どうしたら角が立ちませんか?】
これは色んな方法があると思いますけど今パッと思いついたのは、先に結果を出して、自分のやり方を伝える。方法論を口で説明するだけだとなかなか理解してもらえないので、自分でまずやってみるっていうことですね。

___________________________________________________

*第4回のアーカイブ映像は非公開となっております。
▼他の回を映像でご覧になりたい方はこちら▼


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?