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東北旅行1日目

バイトを一週間休みにして、一人で東北に来た。正確に言えば昨日の夕方東京を出て、いわきの祖母の家で泊まってから出発したので2日目だけれど、本格的な旅は今日から。

僕は人間としての質というか、純度が低いので、旅程など何も決めてないし、宿も取ってないし、祖母の家にも直前に連絡したくらいの有様なのだけど、祖母も叔父も叔母も従姉妹も快く迎えてくれた。何をどう間違ったらこの血筋から自分が生まれてしまうのか理解できない。

朝、叔父に地元の駅まで送ってもらう時、少しだけ震災のことを話した。僕が一度くらい被災地を見て回りたかったのだと話すと、叔父は「ありがとう」と言った。僕は言葉が出ず、曖昧に笑い返してしまった。なぜそこで感謝の意を述べられるのか、と胸が締め付けられる思いだった。単純に興味本位で東北に来ただけの人間に、なぜ「ありがとう」と言えるのだろうか。仮に僕が被災者だったとして、更に僕の家族や友達が被災して亡くなっていたとして、9年後に唐突に来た若者にそんなことを言われたら、きっと僕は怒りを覚えてしまうと思う。

僕の知っている範囲では被災して亡くなった親族はいないし、叔父の知り合いが亡くなっているのかどうかも聞かなかったけれど、彼の「ありがとう」には、僕が今まで過ごしたような浅い人生では到底辿り着けない深さがあるのだと思う。面倒なことから逃げてばかりいる今の自分では到達できそうにない。

常磐線に乗っていると、明らかに昔は家が建っていたであろう更地が広がっていたり、時には当時のまま放置されたのか、ぼろぼろの家があったりして、それらを見る度にはっとさせられる。切ないわけでもなく、悲しいわけでもなく、恐ろしいわけでもなく、ただ、何か見えない力で胸を突かれるような感覚に近い。震災の翌日くらいに家でテレビを見ていた時の感覚と似ているような気もするけれど、あの時よりも明確に色を持っている気がする。限りなく透き通った白色。

被災地のことはツイッターで言ったのでもう書きません。これ以上書くと心が死んでしまう


暗くなってしまったので明るい話をします

仙台に来ました 仙台といえばアレですね、みなさんもうおわかりだと思います、アレです。アレのために仙台は存在しているといっても過言ではありません



仙台二郎ですね

平日だし……と思ってたかを括っていました。驚異の43人待ち(オタクなので列を数える)
2年くらい前に夜の関内二郎に行った時が46人待ちとかだった気がするので(オタクなので列を数えた)それに匹敵する。凄まじい

めちゃくちゃうまくて笑ってしまった ごちそうさまでした

ホテルに泊まって今日は終わりです 1日中歩いてると疲れる

明日は青森まで行きたい

地獄か?

絵を描く頻度が上がる(かも)