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突然おきた不思議な出来事

先日、ある駅の構内の本屋で本を買い、乗り換えのホームに向かう途中で見知らぬおばあちゃんに声をかけられた。

『あの〜、すいません』

乗り換えのホームがわかなくて迷子になってるのかな?と思い、立ち止まった。

『エッ!僕ですか?どうされました?』
と尋ねると

『実は、今日病院で3,5000円くらいかかってしまって、そこのコンビニでパンとお茶なら300円くらいで買えるんですけど・・・』

とおばあちゃんは続けてこう話し始めた。

『お兄さん、綺麗な格好して優しそうだから300円頂けないですか?』

なにやら変な展開だ。
なんでそんな状況でおばあちゃんが駅の構内にいるんだろうかとか、まさかの発言にこっちも状況がよくわからなくなってしまい、ちょっとテンパりはじめてきた。

でもそのようなことを見知らぬ人にお願いするって相当なことだよなと思い、300円で少しでもおばあちゃんのお腹が満たされるならと300円を渡し『お大事に!』と言ってお別れした。

そしたらおばあちゃん喜んで去っていった。

その後しばらくして電車に乗り、このあまりにも不自然な出来事について、過去に似たような事例はなかったかをインターネットで調べてみたところ『寸借詐欺』という言葉に出会った。

確かに見知らぬ他人から普通に個人的な都合のために300円とはいえ、お金をせがまれて渡した経験ははじめてのことだった。

でもよく考えてみたら、そのおばあちゃんから『綺麗な格好で優しそう』って褒めて頂いたし、300円でおばあちゃん喜ぶ顔も見れたし、自分は困っている人を助けたことには代わりないから、個人的にはこれでよかったのかもしれないと思った。

逆にそのとき詐欺だと疑って対処したらどのような状況になったんだろう?

本当に詐欺の人だとしたら、自分のした行為は正しかったのだろうか?次の被害者を増やしてしまうだけなのではないだろうか?

他人にお金をせがんで受け取った時点で、そのおばあちゃんは犯罪者になってしまうのだろうか?

もしかしたら自分は被害者だったのかもしれない、でもそのおばあちゃんは本当にお腹が空いていてお金が無かったのかもしれないし、それとも善悪の判断ができずに理性が制御できない状況にあったのかもしれない。

いずれにしてもその人はその時可哀想な人な状況だったのでないだろうかと僕は思った。

そんなことを色々と考えさせられる出来事だった。

〜追記〜

その後、こうしたときの判断基準についてようやく整理がついた。

自分なりの徳が積めたと思えばそれだけでいいのかもしれないということだ。
その先どうなるかとか、その人は本当はどういう人なのか?とか考えたらキリがない。
だから考える必要なんてないんじゃないかってこと。

自分は自分の人生の中での徳となる行動を選択した。ただそれだけでいい。
300円でおばあちゃんの笑顔を買えた。
それだけで立派な対価に値する買い物だったと思えばそれでいい。

見ようによっては他人に300円くださいって、笑える話しだと思った。

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