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【インド回想記③】インドと人生

人生の目標

今まで私は「社会をより良い方向に変えていく仕事をしたい」と思っていた。「将来何かを残したい」とも。抽象的だけれども崇高な目標だと心底思っていた。自分はその目標を具体化するフェーズに自分は居ると思っていたし、「何も残せない人生」になるのを嫌がり、そんな人生になることを、(傲慢にも)軽蔑しているような節さえあった。

でも、インドで何日も過ごすうち、そんな目標やそれに付随する焦りの根本が、ぽっかりと無くなった感覚があった。

でも、例えば道端に止めてあるトゥクトゥクで昼寝をしているオッチャンも、寂れた小売店でじっと道端を見ているオッチャンも、すごく安いお金でひたすら紐を編んでいるにいちゃんも、お土産を売ろうとしてくるおっちゃんも、恐らく教育はあまり受けていないけれど彼女たちの世界を築いている女の人たちも、今までの目標が空虚なものに思えるほど堂々していて、力に満ちていた。

「私どう生きていくんだっけ」という、根本がぽん、と無くなったような感覚とその問いを、私は日本に持ち帰ることになった。

追記
日本に帰ってきてから、大学でインド哲学の授業を履修し、インド人の死生観を学んだ。ヒンドゥー教においての話になるが、最重要の価値観の一つとして、「自分の職務を全うする」という思想があるという。「ヴァルナ」「ジャーティ」西洋風には「カースト」として知られる知られる身分制度は、このように守られてきたようだ。私が見たインド人たちの自分の、まるで自分の生に疑いが無いような迫力、自信は、ここからきていたのかも知れない。

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