私は捨て猫

何年か前に共通の知人であり、
たまたま親友が携わってる映画を観に行った時
舞台に上がって挨拶をしていたりしている人に
何となくだけど、勝手に僅かなる縁を感じていた。

特別気にしてた訳でもなかったけど、
ある日突然、そんなある人から個人的に
メッセージを貰った。

夜遅くのこの時間帯辺り。

既視感のある名前が通知欄に流れてきた。

しばらくは、夢想なのか。
何かの間違いなのか。
と、すぐに受け入れる事が出来なかった。

やはり、何年か前に当時働いていた場所の
喫煙所で目が合った人からだった。

直接お話をした事がある訳でもない。

なんでだろう。

いまだに、わからない。

ただでさえ、医師からもPTSDと診断される程
男性恐怖症になってしまったので、
しばらくはひどく警戒してしまった。

今でも、あまり解けてない。

弄ばれてるだけなのか、
単純に自分の仕事のネタになるだけなのか、
それとも純粋に気になったのか。。

本当にわからない。

勝手に思い込み過ぎてるだけなのかすらも、
わからないしもしそうであれば、
申し訳ない気持ちになる。

そんな感情のまま、
しばらく話すことにした。

その夜は、
一通り語って、終わらすつもりでいた。

なんだろうか、
終わらなかった。

何となくどういう人望なのかは、
前提知識程度で認知していたけど、
別段それぞれを深く知らないからこそ、
いつの間にかどこか、居心地の良さすらも
覚えていた。

きっと、色々と死に際に居る事も
察してくれているだろうから、
そこまで包み隠さず居ても平気だろうと、
思う反面やはり少しこわい。

新しく触れるものに、
極度にこわくなってしまう。

それでも、大丈夫だよ、
触れてもへいきだよ。

と、言ってくれるような大きい器の人なら
私は少しずつ寄りそってみようかなと思う。

なんだろう。

自分が小さい子猫にでもなった気分。

酷くボロボロにされて、
人間の都合よく捨てられて、
雨の中必死に助けを呼んでいたら、
無垢な青年が傘を掛けて
新しい名前をその夜から付けてくれたみたいだ。

だからといって、
すぐに警戒心が解けるわけでもない。

何か特別な言葉を掛けてくれる訳でもないし、
ましてや特別なことをしてくれる訳でもない。

だからこそ、
本当に捨て猫を拾ってくれたみたいな気分。

拾い切れてるかは、
まだわからないけど。

警戒心がひどくついてしまったため、
そこまで期待することもなく、
ただSNSを消したいからもしお話ししたいなら
とだけ伝えて、連絡先をきちんと渡した。

まあ、どうせ何もないだろう。

と、思っていたが
やはりこの時間帯あたりに
また名前が小さい画面に映った。

もしかすると、
傘を私に掛けてくれたのかもしれない。

昨日の夕飯は何を食べましたか? 幸せなはずの毎日も、日常化すると人の記憶は薄れがち。 私はそんな毎日の中に、少しでも心がじゅわ〜とする瞬間を見つけてこれからも描き続ける。