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感想もザクザク書いていく

読書感想文が苦手だった。今も苦手だ。教師の気に入る書籍を題材に教師の気に入る文章で原稿用紙を埋める行為に費やす時間のなんと無駄なことか。面白かった、つまらなかった、好き、嫌い…何故それだけじゃ駄目なのか。

そんな「読書感想文」の呪縛から解放されるべく、小説でも漫画でもアニメでも映画でもゲームでもとにかく何かに触れた時に発生した感情をフリーダムにインターネットに書き残していきたい…と思いはじめて10年以上になる。Twitterでは熱心にツイートするたびにフォロワーが減る程度には自由にやってるし、noteはそれよりもう少しまとまった文を投げておく場所として使っていきたいと思っていた。

だが書けないのだ。何故か?

先日、仮面ライダーの映画の感想を書こうと思い立ってノート作成画面を開き、しばらく悩んでからふと冷静になり、愕然とした。大雑把に頭の中にあった構成はこうだ。

ぼくはこのあいだ仮面ライダーの映画を観ました。この映画は平成ライダー20作品記念の云々…公式サイトはここで…監督脚本は誰で…あらすじはこうで…この登場人物に心打たれ、こういう気づきと学びを得ました…云々…

…馬鹿な。これではわたしが忌み嫌う「読書感想文」そのものではないか。未だに呪いが解けていなかったのか。「文章」を書こうとすると「お行儀の良い作文」にしようとして手が止まってしまう呪いが。

この呪いは今ここで捨て去らなければならない。書きかけの下書き(タイトル以外白紙だったが)を削除し、さっきの構成も全部忘れることにして、まず一行目に「良かった。超良かった。」と書いた。超良かったからだ。

作品紹介など要らない。作品名は正式名称で記してあるし、同作を観た人しか読まないだろう。観たと書いてあるのだから映像であることは伝わる。このノートを読めている人はインターネットにアクセスしている、つまりここではじめて作品の存在を知っても興味を持ったなら自分でいくらでも調べられる。これは推薦文でも批評でもない。そういうのはうまく書ける人がやればいい。これはわたしの感想だ。わたしの、わたしだけの心の内側から今ここで出た感情…それだけをキーボードに叩きつける。

そうしてザクザク書いたのがあの感想文。作品紹介のための文章ではないと言いつつも最後に公式サイトのURLは貼りたいから貼った。

全体的にとっちらかってて文章はメチャクチャだし、これがもし読書感想文だったら確実に0点だろう。でも自分だけの感想を書き記すことにはまあまあ成功してると思う。

わたしはあの忌々しい作文行為の呪縛から今度こそ解放され、またひとつ自由になった。これからも自由になりつづける。

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