伝えた言葉と伝わらない意図
僕に届くお悩みDMのおよそ3割を占める内容が
「今の恋人と結婚に踏み切っていいのでしょうか。最近会話がなく思いやりもすれ違っているように感じます」
「今の恋人と合わない気がします。何も理解してくれない。」
「Sexレスなんです。誘っているのに。」
などの、恋愛ないしは異性との心身の対話に関するものだ。
とりわけ、『今の恋人が察してくれない男でムカつくんです系相談』については年間何百件と多種多様の内容が届く。
だけど、僕の返す返答は毎回ほぼ変わらない。
「その言葉、伝わってる?」
*
日本語というのは不思議なもので、カタカナにすればするほどその日本語を聞いた人間が想像するイメージが散らばっていく。
明確な定義のないカタカナ語は、確かに会話に使うには便利だが、果たして「伝える能力」を充分に持ち合わせているだろうか?
なぜいきなりカタカナの話をしたかって、冒頭のお悩みDMの話もほぼコレと同じような話なんだ。
今の恋人が察してくれない男でムカつくんです系相談の中身を紐解くと、十中八九の確率で
「彼が会話してても頷き以外何も返してこない」
「手分けして大掃除してたら、私が彼にお願いしたことと違うことを彼がやってた。しかも自己満足している」
「とにかく、彼が察してくれない」
「旦那が家事を、言わなきゃ手伝ってくれない。しかも言ったことしかやらない」
このような言い分だ。
そんな彼女らの鬱憤を一通り聞いたあとで、僕は聞いてみる。
「ところで、なぜ彼はわかってくれないんだろうね。」
この一言は、もはや凶器だ。10人いたらほぼ10人が多かれ少なかれ沈黙する。
凶器を発した僕自身も、凶器の刃先が相手に食い込んだことを毎度確かに感じる。
それでも、僕は続ける。
「あなたの意志が、その言葉で伝わってる?」
女の子は僕に声を荒げる。
「伝えてます!!!」
まるで返り血のような言葉を受け止め、僕は再度口を開く。
「伝えたかどうかじゃなくて。伝わってるかな?」
自分でも少し意地悪で冷淡だと思う。ビジネスでもない限り、個人間のコミュニケーションで情報の齟齬を完全に阻止することは恐ろしくくたびれるし、契約や義務がない以上、そこまで気を払う人はきっと少数派のはずだ。
(それが日常生活でも徹底できている人なんて余程の神経質な人か、もはや一種の変態だろ)
しかし、確実に伝えた(伝わった)結果、事故で齟齬が起きるのはしょうがないとしても、伝えずして...そして伝わらずして恋人間の別れや悲しい結果に繋がるのは余りにも寂しい。
さらに言うなら、恋人や伴侶という自分の大切な人に対してであれば、コミュニケーションの齟齬の阻止を意識するなんてことは、気を払って本望とも言える精神的コストではないかとも思う。
その努力やコストの覚悟もせずに「伝えた気になっている人」が世の中にはかなり多い気がする。
世の中全員に気を使えとは言わないけど、
一番大事な人になら、一番大事に見合う「伝えるコスト」を払おうよ。
*
もしこの記事を読んでいる人で、冒頭のお悩みをお持ちの方がいたら、是非自分に聞いてみてほしい。
貴方が便利だからって無意識に使っている言葉たちは、相手に十分な情報を与えられている?
「最近原宿で食べたタピオカがマジヤバかった。またマジで行きたい。どれくらいヤバかったかっていうと.....マジヤバいの」
...こんな語彙力になってない?
貴方が伝えた希望は、「誰に」「どこで」「いつ」「何を」「どのように」どうして欲しいかを的確に表現している?
勿論、全てを完全に網羅している必要はないけど。
※あ、可能なら「なぜそうして欲しいか」もあるとベスト
つまり、所謂5W1Hってやつだ。学生の時に習った英文法のヤツね。
5W1Hを意識して、適切で的確な言葉を選ぼう。
そしてもし、「私を理解してほしい」なら、
「私を理解して!」と叫ぶより、
理解して欲しい「私」の情報をありったけ相手に与えることを推奨する。
それでもわかってくれないなら、もう直接子供のように単純に、そしてストレートに言うしかない。
「〇〇を◯時にこんな感じで〇〇の場所でやってくれ。理由は◯◯だから!!!」
みたいな感じで。そこはもう工夫も捨てて、泥臭くていい。とにかく無理やりでも伝わってればいい。
伝えても理解されず、徒労に終わってしまったというストレスで、貴方の心が壊れないためにね。
*
一部の例外を除き、物事をカタカナを多用して伝える人を僕は信用しないことにしている。
よくいる胡散臭いカタカナ語多用してくるIT系の人とかね。
なぜならカタカナの融通性や汎用性に頼って、具体的に相手に伝える努力を放棄していると受け止めているから。
自分が伝えたい事象や感情を、いい加減な表現やどうにでも捉えられる言葉を使うことで相手に解釈や判断を丸投げするなんて、敬意も礼儀も感じられないでしょ?
それで相手が解釈を間違えたら、嗤ったり怒ったりするんでしょ?
人も言葉も、義務と役目を果たしてない。......そんな地獄、誰も見たくないよね。
最後に――
人が貴方へ使う言葉は、その人の人間としての信頼性や、その人から貴方への評価を判断するには重要な判断材料になりうると思う。
大切な人なら丁寧かつ双方が理解できる言葉で、適切に...そして的確に伝えるだろうからね。
『その人の使う言葉は、その人を表し、その人から自分への評価を表す』
僕はそう思って他人と接している。
そしてそう思っている人は決して少なくないとも感じる。
この記事を読んでる方々、どうか「伝える」ことを怠けないでほしい。
「伝える」ことは、貴方を表し、貴方の見られかたをも左右するから。
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