ぼくはただのひと
自分のことを、
ただの出戻り(帰国後カレーライスから)のファンで、むしろどちらかといえば、ライトなほうのファンなんだろうだと自覚してました。
2023年11月17日までは。
CDもぜんぶ持ってるわけじゃないし、
札幌のライブだって全部行けたわけじゃないし、
DVDは買ったことがないし、
素数トランプも新曲聴けるデモもうさぎ竜童も持ってないし、
KANさんのブログやTwitterはずっと読み物として見ててコメント残したこともないしmpも集めてない。
当然ファン同士の交流なんてしたこともする勇気もなくてずーーーっとぼっち。
(正確にはリア友がひとりいたけど遠方になって疎遠)
札幌は、発売日に慌てなくてもライブのチケット間に合うからファンクラブはいいかって。再開発に所属したのもは、クラップスホールの閉館で特別公演したときの1年間だけで。
(初めて生KANさんを観たホールだったので、競争率高そうなこれはどうしても行きたかった)
ストキン!の語源になった投稿をリアルタイムで読んで知ってはいたけど、
KANさんが札幌で食べたものを見ても、そのお店をわざわざ特定して行くのは、プライベートに私なんかが踏み込んじゃいけない気がしてて、一度も行ったことがなかった。
(でも行ってきた投稿はいいなと思いながら見てた)
(あと単純に食の好みが少し合わなそう?って思ってた←雲丹牡蠣苦手)
こんな私なんかがストキン!を名乗るなんて、烏滸がましい。もっと熱心に作品もグッズもぜんぶ購入したり、遠方からライブ遠征したり、ブログに毎回コメント残したりしているような人のことをいうんだろう。と。
そして私はあちら側の方たちからは相容れないほうの、ただのライトなファンだろう。と。
洒落にならないご報告のときは、精いっぱいひとりで楽観しながら。
新曲は闘病を支えてくれた奥さまへの壮大なラブソングかな。カワイイ看護師さんに叱られた曲かな。
アフラックのCMにすんごい衣装で出ちゃったりして、櫻井翔と視聴者を困惑させるのかな。
そんなふうに妄想して、必ず戻ってくると思ってた。
じぇっっったいに1回は、わたしたちの前に戻ってくるって思ってた。
でも何度ももしかしたら、をどうしても考えてしまって…。
めずらしい部位の、痛みが出てからの受診。ふつう楽観してられる病状じゃないことは、医療従事者じゃない私にだってわかる。
もし…、「その時」がもしきたら、私はどうなるんだろうって。
だけどやっぱり、出戻りファンを自覚してから発売されたアルバムはぜんぶ購入してるし、子育て真っ裸中でも行けるライブは観てきたと思うし、休止発表前最後の25歳札幌公演行けたし。(←後に伝説になるはずの払い戻し公演だし)
人はみんないつかいなくなるもんだし。
「自分のふつうの人生の中で出来る範囲での応援」をしてきたつもりだったし、「ファンとしての後悔のようなもの」はそんなには無いだろうなって。そんなふうに想像してた。
そして17日。
あの日はパート中で。
休憩に入ってスマホを見たら、夫からのラインとニュースアプリの速報通知があって。
そのあとはもう、どうやって仕事して帰ったのかは覚えてない。
ただただ夫からのラインにずっと腹を立ててた。
冗談だとしたら絶対に許せないけど、それでも冗談であってほしい。
信じられなすぎて涙も出なくて。何も手につかなくて、でも夕飯は作らなきゃいけなくて、メニューが全然思いつかなくて。
献立決まらないまま野菜切ってたら、つけっぱなしのSTVテレビからKANさんの歌声が流れて、福永俊介が訃報を伝えてた。
STVでも言うんだから本当なんだ。
でもいやだ。誤報であって欲しい。
その日ずっと頭の中を流れてたのは、
「信じられない人」で。
こんな時にラテン系のノリだしてごめんねで。
やっと出来上がったのは「カレーライス」で。
食べさせて片付けて子どもたち寝かせて家が静かになってから、やっと公式見に行った。誤報じゃなかった。
「あーる日突然ータイトルはご報告〜」
この日どうしたって流れるのはふざけたほうの曲ばっかりで私の頭の中どうなってんの。
Twitterを開いて同じ気持ちの人の投稿を探しては眺めて、スクショ撮りまくった。
ときどきくすっと笑いながら。だってKANさんだもの。
ずっと見る専だったから、知らない人にいいねとかはできなかった。
一度も直接会ったことのない、遠い世界に居る人がひとりいなくなっただけ。
身近な人はそりゃ悲しいだろうな。
だけど、私のふつうの日々は、私が彼の新しい作品に出会えなくなったことと、彼の札幌のワンマンライブに行けなくなったという以外何も変わらない。
なのに、なのにー。
この気持ちは知ってる。自分は経験したことがある。
身近で大好きな人を亡くしたときとおんなじような心境。ちゃんと悲しい。
ずーっと鼻の奥がツンとしてて、でもなかなか涙は出なくて。ずっと肺の下の左奥がつらい。ちゃんと苦しい。
ああ。私。
ちゃんとずっとKANさんが好きだった。
ちゃんとずっとストキン!だったんだ。
そう自覚したらやっと少し泣けた。
でも私にはタイミングをはかってハンカチを出してくれたり、サキソフォンを吹いたりしてくれるパートナーはいない。
(譲りあうふりで取りあうようなパートナーならいる)
それから、夜な夜な画面を覗いてしまっては寝不足が続く中、いやでも続く日常。
うっかり子どもの提出物やごみの日を忘れてしまったり、ずっとふわふわぼんやりしてて。
落ち着いて甘いコーヒーでも飲もうと思ったら、ものすごくしょっぱくてびっくりして噴き出してしまって、そして決めた。
ああ。もうだめだ。
つくろっても本質はバレバレだ。
一度、ちゃんとひとりになろう。
一度、ちゃんと悲しんで泣こう。
私もこれからも、真面目にふざけて生きていかなくちゃいけない。
そして、KANさんならきっとそうしてきたんじゃないかなって思った。
夫に「お願い」するのは少しシャクだったけど、次の休日の終日フリー権を勝ち取った。
(意外にも砂糖と塩を間違えたのはこのときが初めて)
さて。その日をどう過ごそう。
17日編は以上です。
おつきあいありがとうございます。
『わたし的KAN労KAN謝の日編』に続く(ウルトラタブン)