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005 #日本人ムスリムになった僕

おひさしぶりの。

アッサラーム・アライクム。
みなさん、こんばんわ。もう深夜ですね。

久しぶりの投稿です。およそ1ヶ月ぶりの更新となりました。
何をやっていたかというと、何もやってなかったのです。

会社を退職してから、久しぶりの休暇を楽しみつつ、事業立ち上げの準備で色々と動いたりしつつも、生産的とは言えない生活を送っておりました。

いいかわるいかでいえば、よくない感じでした!

クリエイティブな活動は極力、事業用のみに控えて、今は異常な量で情報を詰め込む時期だと判断して、ひたすらインプットしてました。

そろそろ、アイデアをアウトプットすべきかなあと思ったのでテキストを描き始めた次第だったりします。

信仰の日々。

自営の準備中なので、時間だけは自由にできる環境なので、タイミングがあえばマスジドに行ってサラート(礼拝)をしていました。

ご存知かもしれませんが、金曜日のお昼の礼拝(ズフルの礼拝)は「アル・ジュムア(金曜礼拝。合同礼拝とも)」なので、極力、参加します。

在職中ではなかなか1日5回の礼拝はできないのですが、イスラームに改宗して間もないタイミングでこの時間的猶予は非常に有意義でした。

礼拝し放題というか、そういう特別な期間。
これもアッラーが望んだことだと納得している感じです。

こういう時間を過ごしていると、サラートを行わないことが非日常的になってしまうというか、歯を磨かない就寝前のように、なんだか気持ち悪い感じになります。

日本はイスラーム文化が根付いた国ではないので、日常的に礼拝を意識することないと思うのですが、イスラーム文化圏の人たちは幼少からこういう経験を積んでいるので、礼拝の時間に礼拝ができないのは、想像できない感じの苦痛なんじゃないかなあとも思います。

東京ジャーミー、再訪。

年末、東京ジャーミーに寄れるタイミングがありました。
ムスリムになって初めての東京ジャーミーでした。

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14:30から始まる見学会の時間だったので参加していたのですが、もうなんか、気もそぞろになってしまいました。

開始して10分ぐらいでアザーンが流れてきてしまい、念のために「ウドゥー」を事前に済ませていたのですが、このままだとアスルに間に合わない感じなのです。

説明をしてくださる下山さんも少し焦っている感じ。

「サラートの時間に間に合わなくなるので」ということで、前回とは違った案内手順で見学者を礼拝堂へ誘います。

30名ほどの日本人が参加していたのですが、観光的なノリもあって、なかなか、礼拝堂へ向かう階段の流れが進みません。

「ああ!これはやばい!」と焦りながらも、無事に礼拝堂へ入りました。

前回、参加した時は4/5ほど見学と説明が終わったタイミングで、下山さんはサラートに入ったのですが、今回はまだ説明が1/3も終わってない。

「ああ!これはもうだめだ!」と説明の途中でサラートに参加してしまいました。

初めて東京ジャーミーの礼拝堂で礼拝をしたのですが、僕がよく参加しているパキスタン系のマスジドとは少しだけ作法が違っていて、こういう差も面白いなあと思いました。

以前にこのnoteにも書いたかと思うのですが、日本に建立する130近くのマスジドにおいて、どこにも縛られない、どの国のマスジドコミュニティーにも参加できる軽さというのが、日本人ムスリムの特権だと思うのですね。
その身軽さというのを改めて実感しました。

東京ジャーミーはトルコ系ムスリムが中心なのですが、その流儀というか作法というのは、他のイスラーム文化圏の国とは違うものだったりします。
その違いに「なんか違和感」を覚える在日ムスリムは母国系のマスジドに通いたがりますし、そういう風潮は全国のムスリムコミュニティーにあるみたいです。

イスラームの文化圏において、日本人ムスリムというのが、そもそも、無国籍みたいな感じだと思っているので、そういう差異に対して「違う」と判断するのではなく「そういうのもあるんだ」というライトさで向き合うと、全部が全部、楽しくなるのになあと思ったりもします。

今回のまとめ。

もうどっぷりと信仰の中に生きています。
信仰告白にある文言である「ラー・イラーハ イッラッラー ムハンマド ラスールッラー」、「アッラーの他に神はなく、ムハンマド(SAW)は使徒である」ということの当たり前さが染みつきはじめているので、イスラームに関する批判に「おや?」となる感じです。

少なくとも僕は自分を「ムスリム」と自覚している感じ。

サラートのない人生(信仰)は意味がないよ!という感じ。

#49日前にムスリムになった僕

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