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002 #日本人ムスリムになった僕

ムスリムになった日のこと。つづき。

群馬県館林市にあるクバモスクで信仰告白をした僕は、クバモスクのイマームの勧めもあって、千葉県の市原市にある行徳モスクに行くことになりました。

目的は信仰告白の当日にお会いする予定だった日本人イマームと対面するためでした。

館林から下道でおよそ2時間半で市原に到着しました。

ご存知な方も多いかも知れませんが、行徳駅周辺は外国人の方が多く住む街です。
特にイスラームの方が多いとのこと。

モスクに到着し、勧められるままに二階へ向かうと、説法というか会議というか、そういうものが行われていました。

場違いなほどの異国感といいますか、みんな、ジロリとこちらを見る感じ。
ムスリムワッチとバングラディッシュの民族衣装を着ているので「多分、ムスリムなのか?」「誰だ?見たことないぞ?」という感じ。

久しぶりにゾクゾクするこの感じ!
千葉まで来た甲斐があったといいますか、この異国風情の非日常感がこれからは日常に変わっていくのだなあと思うと、もう、なんか、すごいのです。
これを求めてムスリムになったわけではないですが、これが当たり前になっていくことに興奮を覚えるのです。

会議?が終わると三階へ通されます。
そこではご飯が振舞われていました。

館林のイマームのイクラーム先生が紹介してくださると、アッサラームアライクムの挨拶が僕のところで飛び交います。

みんな祝福してくれるこの感じ。
やはり改宗というのはお祝い的なイベントなのだなあと感じました。

僕も食事誘われ、まあ、座れ、座れとビリヤニとカレーなどが盛り付けられた紙皿を渡され、一緒に食事をします。

「誰だこいつ?」と思われながらも平然とみんなでご飯を食べる空間。
僕はムスリムなので、当たり前の同胞や兄弟のように座って食べているその感覚。

「誰だこいつ?」が「この日本人ムスリムは誰だ?」に変わっていく感じがとても面白いのです。だからというか、この風景を観光客的な雰囲気で写真を撮ろうともしないというか、部外者だけれども部外者ではない感じ。在日外国人ではないけれども同じムスリムとしてここに感じが、傍観者ではない自覚を覚えたのでした。

食事が済むと「日本人イマームが来たので紹介します」とのことで再び二階へ。
すると僕の目の前に現れたのは「クルアーン やさしい和訳」で監修をされた杉本恭一郎先生でした。

さすがにびっくりしました。
杉本先生が出演されているYOUTUBEなどもよく拝見していたので、まさか、ここで杉本先生とつながるとは!というこの巡り合わせというかなんというか。

杉本先生から「日本人ムスリムとしてのスタートの仕方」的なお話をしていただきました。心構えというか、日本人がムスリムになるのは、実はとても恵まれているのだということを教えていただき、なるほど!と思ったり、ウンマに属するべきだということや、「イスラームの道」とはなんであるか、そしてどう捉えるべきかなどをお聞きし、膝を何度も打つのでした。

杉本先生と連絡先を交換し、色々と相談に乗ってもらえることになりました。
杉本先生とこうやって繋がれたのもアッラーのお導きのおかけだなあと思いました。

帰りは高速で帰ったのですが、夜の22時近くだったこともあって、80分ぐらいで館林に着きました。近いですよね。

帰りの車の中で、
「お昼にムスリムに改宗して19時には千葉県にいて、全く知らないムスリムたちと混じって夕飯を食べて、礼拝をするって、なんか、すげえな!」と一人でなんだか驚いていたのでした。

信仰告白で変わったことは感覚。

信仰告白を行いムスリムになりました。

正直、勉強もまだまだなので、イスラームのイの字もわかっていない新米ムスリムなのですが、皮膚感覚というか、ムスリムの中にいて、完全なる孤独感を感じなくなりました。

もともと、透明人間になってその空間を勝手に共有するのが好きでした。そこには自発的に選んだ「孤独」を感じるためだったりもしました。

ムスリムになったことで、ムスリムのコミュニティーの中に居場所を見つけたというか、透明人間にはなれない場所ができたというか、そういう傍観者ではなく、当事者としての意識が芽生えています。

実は今日(11/24)、館林のクバモスクに行く用事があって寄ったのですが、モスクが「イスラム教徒の教会?」ではなく、「アッラーの家」であり、「僕たちムスリムの家」という意識がなんとなく僕の中にあり、ただいま!に近い感覚を覚えました。

個ではあるのですが、個ではない。
そんな風に僕は感じています。

#2日前にムスリムになった僕

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