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099 #100日後にムスリムになる僕

いよいよ、明日。③

連投、最後です。
これで一応、整合性をどうにか、という感じです!
よろしくお願いします!

ついに、明日です。
ついに明日、僕はムスリムになります。
どんな気持ちだい?と問われれば「不安だらけ」です。

予定ではマスジドに50人ぐらい集まるようです。
知っているムスリムが多分、15人ぐらいで、あとは知らない人ばかり。
というかこれから知り合いになる人たちばかり。
これから始まる日々のファンファーレみたいなものかと思って、楽しみたいと思います!

ムスリムになるということ。

100日前にはわからなかったこと。
それは「アッラーの印」の中で僕は生きているということ。

「アッラーの印」とは何かというと「森羅万象の理りすべて」のことで、それは「神の数式」もその一部ですし、クルアーンもその一部。この世のすべてのものはアッラーに創造されたもので、そのすべてが「アッラーの印」といえます。

森羅万象すべての理りにアッラーの存在を感じることができます。
むしろ、アッラーの不在などありえない、ということに近いかも知れませんね。

僕がムスリムに憧れたのは「生活様式」であったり「生活規律」だったりしたのですが、今はもう「来世の清算」に待ち焦がれているという感じになりました。

僕は「やることはない」と決めていますが「ジハードにおけるその場の心境」がほんの少しだけ、ほんの少しだけ、理解できるかもしれない、そんな気持ちになります。

イスラームにとって「現世」とは「仮の住まい」であり、本当の住まいは「来世」にある。それを信じることが六信五行のひとつではありますが、これは現世においては心の拠り所になりえる。どんなに辛い毎日でもムスリムとして正しい道を歩いていれば来世で必ず報われる。この真理がイスラームにとって大事な要素であることは間違いありません。

ムスリムになるということは、毎日をしっかりと正しく生きることであり、その結末には「素晴らしい来世」が待っていることを信じて生きていくことなんだと思います。

そのために、1日5回の礼拝を行い、喜捨を行い、1ヶ月の断食を行い、お金を貯めて聖地巡礼(ハッジ)を行うことは、苦難ではなく「神への貸付」であると考えれば、すべて喜んでやれることなのですね。
だから、何も難しいことなどは、ない。

今だからこそ。

その一つの答えを導き出すのに、そのことを理解するのに、100日間を要しました。

これが長いのか、短いのかはわかりません。

色々と勉強をしてきました。
たくさんのイスラーム関係の本を読んだり、動画をみたり、友人のムスリムとたくさんお話をしました。
けれども、この答えという名の見解に至るためには、そのすべての行動を含んだ上で、クルアーンを読破するということが、大きなポイントであったと思います。

ムスリムになろうと思って、興味本位で購入してあったクルアーンをちゃんと読み始め、信仰告白の二日前に読み終わりました。

ひょっとするとこの100日間というのは、神の啓示である「クルアーン」を読み終えて、信仰告白の準備を整えるための、100日間であったのかも知れません。

今だからこそ、そう思えるのです。

明日、僕はムスリムになります。
慣れ親しんできた慣習を一旦、リセットします。

明日、世界が終わるとしても、今日、僕は林檎の樹を植える。

明日のnoteで一旦、「#100日後にムスリムになる僕」は幕をおろしますが、継続してnoteを書いていけたらいいなあと思っています。

とにかく、明日は、楽しみます!
読んでくれた方、ありがとうございました。

#ムスリムになるまであと1日

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