22.猫娘に見る女性の尊厳と上昇志向(棒)

 はい、今回のタイトルはウソです(真っ白な)。いや、ウソではなくて「それっぽいキーワードを適当に並べました」が正解です。では、『ゲゲゲの鬼太郎』を、TVアニメシリーズのみに限定して喋ってみましょう、個人史(史観)と合わせて。

 鬼太郎は10年に一度のペースでアニメ化される…って某所に書かれてますけど、それ、西暦マジックですから! モノクロ版と2期目(以前の表記は「カラー版」)って、確かに1968年(~69年)と1971年(~72年)ですけど、それ昭和40年代半ばですから!(昭和43年にモノクロ版が始まり、47年にカラー版が終わる) そこから考えると、第3期は昭和60年~63年(1985年~88年)で、干支が一回りしている上に、昭和の終わりに差し掛かってます。本当に隔世の感がありました(過去完了形)。80年代に何が有ったか? と言うと、個人的にはアニメブーム(と言うかリアルロボットブーム、と言うよりガンダムブーム、実態はガンプラブーム)とSFブームですけど、社会的には漫才ブームでしょうね。私は辟易しましたけど(ただでさえ愛媛県は大阪の文化的植民地で、お笑い系の番組多いのに)。ここで正義(真面目)が嘲笑される風潮が形成されました、パロディ(と言う名の悪ふざけ)の蔓延で。

 さて、リアルロボットに押されたのか(そもそもヤマトブームの時代からSF有利になっていた気が)、鬼太郎がブラウン管(当時ね、当時)に帰ってきたのは1985年でした。昭和60年、大台です。1期のちょっと前に生まれ、「カラー版」が心底恐ろしかった私も、高校卒業が迫る時期です。本当に久しぶりでした。しかし、「有り得ない事」が起こります。それは、「声優さんの入れ替え(鬼太郎が戸田恵子さんに、ねずみ男が富山敬さんに)」と追加キャラクター「夢子」の登場でした。しかも夢子のデザインは水木キャラには不似合いで、完全に世界観を異にしています(なので、3期以降は未見)。声優さんは、声優ブームの煽りを受けたものと解釈してますが、追加キャラは…。言うなれば「原作レイプ」キャラな訳です、この少女は。しかも当世受けるであろう「萌え」系(当時、そんな言葉は無かったと思いますが)。私は前述の通り反感を覚えましたが、足かけ4年のロングラン放送になった、と言う事は、それだけ「受け(入れられ)た」と言う事でしょう。テレビは視聴率が優先されます。高ければ続き、低ければ打ち切られます。その為には受ける要素は出来るだけブチ込むのが正解で、当節の流行りを読み込んだスタッフの勝利でしょう(私は讃えませんけどね。「受ければ良い」ってものじゃないんで)。3期以後は「続編と言うスタンスを無くし、当代の流行を取り入れる」、と言う方向になったようで(未見なので間違ってるかもしれませんが)、その意味で3期は記録されるべきターニングポイントだったと言えます(そういや、EDも変更されてたし、歌手も…。これも見ない理由です)。あ、スーパー戦隊と同じ構図ですね(80年代的、と言う事か。ウルトラは第3期、ライダーは2期だったし)。

キバ●シ「つまり、6期の猫娘はイキナリの変化では無かったんだよ!」

…と言う事です。

 そもそも、昭和40年代(1960年代)以前から、女児はモデルに憧れていた訳です(と言うか「スター」に、ですよね)。『好き! すき!! 魔女先生』の主演女優である菊容子さんも表紙モデルでしたし、『仮面ライダー』第4クール~第5クールのレギュラーだった高見エミリーさんも表紙モデル、そしてお二人とも女優へ。と言う事で、「モデル体型の猫娘を叩く」などと言うのは周回遅れも良いとこで、「白村江のカタキ!」って韓国に宣戦布告するぐらい、時代錯誤です。あきれ返ってモノも言えません(言わずに書いてますけど)。ましてや、猫娘(6期型)が時代をけん引したのではなく、プリキュアシリーズに引っ張られた訳で(近接戦闘の件から推測。ただ、これはセラムンも先駆で、ここ書き始めると長いので割愛)、両者の違いはギャラクシー賞を取ったか取っていないか? であり、それをサブカルに興味の無い人が「気に食わない」と噛み付いた、としか思えません。

 (西村繁男氏(週刊少年ジャンプ3代目編集長)の『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』もしくは『漫画王国の崩壊』によると、「敗戦の暗闇から最初に抜け出した民間人は「スター」と呼ばれる人たち」と言うような記述があり、「雑誌『明星』の知名度は出版社である集英社より高かった」、とも記されている。つまり、戦後のヒーローは高度成長期以前から「スター」であり、それは俳優であり歌手であり、モデルも含まれていた。彼らに憧れるのは不変の感情であろう)

 3期以後も、アニメ化の度に絵柄が変化していって原作からドンドン乖離していて非常に寂しい気持ちがありますが(個人的に)、水木先生やファンが受け入れているなら、それで構わないでしょう。「外野がとやかく言うな」と言う事です。

追記:猫娘は、1期ではゲストでしかなく、元々存在が軽かった訳で、2期で(準)レギュラー入りする事自体、女性の価値が上がった、と言う見方も出来るでしょう(え? オタクの女性キャラ志向が反映されただけだって? 2期ってそんな時期でしたっけ?)。女性キャラが少年向けジャンルに必要か不要かは、作家の方向性によりますが(変身人間シリーズとか『ゴジラ対メガロ』とか。これも長くなります)、物理攻撃能力の低かった(ねずみ男へのお仕置を除く)猫娘が6期で近接戦闘に長ける辺り、かなりの地位向上と言えます(パーティの戦力として計算できるので。シーフがニンジャにクラスチェンジした印象)。なお、「色々な体ガー!」と言うのであれば、1期で結成された日本妖怪軍団(2期以降は準レギュラーだが、本作ではほぼゲスト扱い)の面々(砂かけ婆、子泣き爺、ぬりかべ、一反木綿など)をオススメします(棒)。

補足:ちなみに私は昭和42年(1967年)生まれ。1期は(第1次)怪獣ブームが終わり妖怪ブーム(とスポ棍ブーム)になる時期で未見(当時)。2期は第2次怪獣ブーム(変身ブーム)の折でした。2期は高度成長期の終盤でのあり、公害に悩まされている時期でもあります(「マンモスフラワー」とか)。1期は原作ありきで、2期は続編なのですが、1期で原作をほぼ使い尽くしてしまったので「他の水木作品からの転用」が行われます(「水木作品ありき」)。ここまでは原作(の雰囲気)を遵守する傾向が強かった、と言えるでしょう(余談ながら、時期の近い『サイボーグ009』が東映オリジナルの要素が強い理由は「映画が先に作られた」からで、「明るく楽しい東映まんが」的な方向に舵を切ったからだと思われます)。あと、モノクロ版はスカパー!(東映チャンネル)が初見で、そもそもモノクロ作品自体、再放送していなかった印象があります。ただし、同級生は『エイトマン』の再放送を見ていた、と言う彼の母親の証言があり、どうやら私がテレビを見れる環境になる以前は、モノクロ作品の再放送もあったようです。これはつまり「後進側における先進性」と言えるでしょう(長いのでいずれ)。

付記:『真っ白な嘘』は、フレデリック・ブラウン先生の短編及び短編集のタイトル。

公開後の追記:まとめを見ると、6期型猫娘は実写版(田中麗奈氏)からの影響(逆輸入)らしいです。

さらに追記:肝心な事を忘れていました。東映の平山Pは、『河童の三平』の際に水木プロに入り浸り「妖怪の国に半年留学したみたいだった」と述懐えおられました(元々『聊斎志異』が好きな方でしたが)。その結果(?)、「妖怪は怖いので、主人公は明るく」と言うバランス取りを心掛けたそうです(『悪魔くん』が先に放送されてるし、その時のノウハウだったか?)。つまり、視聴者が取っつき易い環境を製作陣が整える事が数字に繋がる訳で、その原則からも、女児を引き付ける為に猫娘を「現代風に」マイナーチェンジするのは必要な措置でした。

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