186.サイボーグ・ブルースは歌わせない?

 1990年代の漫画『特捜サイコップ』の1エピソードは「サイボーグ・ブルースは歌わない」でしたが、元ネタは平井和正先生のSF短編集『サイボーグ・ブルース』です(もしくは短編(表題作)の「サイボーグ・ブルース」)。

 「サイボーグ・ブルース」は連作短編の第2編で、元々は『8マン』のノベライズでしたが、執筆に際し時代設定を近未来に、舞台を北米に移し替え、主人公も黒人にされたのでした。故に、白人からの侮蔑や差別が当然の様に描写されます(第1作「ブラック・モンスター」に顕著)。

 (個人的には、上司が温情派の田中課長から理性派のブリュースター長官に変更されたのが最大の違いだと思う。アーネスト・ライト自身「長官が温情派ならサイボーグ特捜官を辞職しなかった」と発言してますし)

 ここまでで言いたいのは「8マン(日本人・東八郎)の黒人化」と言う事実です。そして、これはポリコレとは関係有りません。

 さて、本題です。本日(10月31日)、ツイッターで「黒人女性コスプレイヤーが謝罪に追い込まれた」と言う記事名を見まして(記事そのものは読んでないですけど)、「自称日本人」、「文化の盗用」と言うキーワードも付属していました。以前にも黒人コスプレイヤーが叩かれていたと記憶しています。白人男性がセーラー戦士(セーラームーン等)のコスプレをする時代、人種に拘るのはオカシイと思うのですが(好き嫌いは別ですけど)。私自身は原典主義者(原理主義者?)なので「二次創作は再現度が基本」と思っており、コスプレであれ漫画であれ、再現度の低い物は好みません。しかし、それは「本人の主観において」の決定権の行使で有り、権威(虎の威)を借る訳では無いです(個人の自由な意思の発露が妨げられるので有れば、それこそディストピアでしか無いでしょう)。端的に言うと「アスカのコスプレは日系か白人系でないと「らしく」ない」と思っています。正直、中学の制服は「似合ってない」と思いました。しかし、プラグスーツは再現度も含め「これは似合う」と思いましたし、こう言う「既存の価値観に囚われない」発想や行動が、新しい文化を生み出すのだと思います。

 (エヴァは好きでは無いので、てっきりアスカは日独ハーフかと思ってましたが、国籍はアメリカだそうで…バウムクーヘン。しかし前年のイギリスと言い、「欧州から来たヤな女」な声優だな)

 「文化の盗用」ですが、これは「或る国や地域、一派や個人が開設あるいは それに帰するものを、他者が占有する事」だと思っています。故に、今回は「自称日本人」こそが、まず文化の盗用でしょう(日本人と証明されない限り)。

 バキシリーズの第2弾『バキ』において、愚地克己が「中国4千年をパクリまくる」と宣言しましたが、これぞ日本人の発想です。そもそも後進国で有った日本は、有史以前(『古事記』、『日本書紀』以前)から外国の影響を受けて国内文化に取り入れてきた事実が有り、例えば国内の「歴史」は前述の2書が編纂された頃から始まる、と考えても良い訳ですが、それ以前の歴史は中国の歴史書(一番有名なのは「魏志倭人伝」ですが、これは『三国志(正史)』の一つ『魏志』の中の小さな記述にしか過ぎず、本来はその名の書物は存在しません)に「倭(倭国、倭人)」や日本として登場しています(後漢初期の「金印」は、邪馬台国よりも古い記述です)し、万葉仮名や漢文の登用など、日本文化は中国のそれを基に発展していますから「文化の登用」を繰り返し自国文化を成熟させてきた歴史的経緯が有りますから「kawaiiが盗られた!」等と言う日本人が居るとしたら、義務教育を受けていないか、それとも社会科の時間は寝ていたか、と言う事でしょう。

 中国の文化は朝鮮半島経由でも入ってきました。戦国時代までは三国(天竺(インド)、中国、本邦(日本)。朝鮮は中国に属する)と言う発想でしたが、大航海時代の列強が日本にも訪れ「南蛮(ヨーロッパ)」の文化も入ってきます。江戸時代を経て、幕末期以降は欧米が宗主国となりますが、外国由来の文化を全て排除した場合、日本固有の文化として何が残るか? 甚だ疑問です(影響を受けたものも除外するとなると、もう何も残らない気が)。カステ~ラとか、食べ物もね。

 私の世代だと「日本人はサルまねが得意」と言う外国からの批判()も聞いた事が有ると思いますが、「外国発祥のものを改良する」と言うのは日本人が得意としたところで、一個人のコスプレイヤーに「文化の盗用!」等と権威を嵩に謝罪を要求する等、およそ身の程知らずとしか言えません。

 記事には「今回の件は黒人差別の合法化だ」と言うような指摘が有るそうですが、これはポリコレを安易に振りかざしたカウンターだと私は思っています。アローバースの実写作品の内、『フラッシュ』ではアイリス・ウエスト(とウォーリー・ウエスト)が、『スーパーガール』ではジミー・オルセンが黒人化されましたが、私には納得できません(ちなみに全員オリジナルは赤毛)。特にウォーリーは、キッドフラッシュのコスで頭髪が露出する意味からも、カラーリングが おかしな事になってしまい、完全にデザインとして破綻していると言うか原作レイプです(先行する『アロー』では、アーセナルやブラックキャナリーがが黒人化してなくて良かったと思う)。

 ヒーローの黒人化は80年代(?)から存在していたようで、例えばトニー・スタークが失踪(アル中化?)した時はジム・ローズがアイアンマンの中身だったようですし(後にウォーマシンの中身に)。グリーンランタンも4代目(?)はジョン・スチュワートでした。こう言う「別人」ならOKですけど。

 (神の眷属で有るダイアナは ともかく、DC(JLA)のビッグ3の全員が黒髪で有り、マーベル(アベンジャーズ)のビッグ3の内2人までが金髪なのは興味深い。スーパーマンはユダヤ人だが、ブルースは…まぁホラー要素ありなので、黒なのかも。しかし、ユダヤ人と言うのは一目では分かりにくいので、非白人を際立たせると黒人にするのが手っ取り早いのかもしれない)。

 アローバースの様に公式が黒人化を推奨(しているとしか見えない)している「事実」の前に、世間では「キャラの黒人化」にアレルギーが有るのかもしれません(『レジェンド・オブ・トゥモロー』では、グリーンアローの2代目が黒人だった。ディグルの息子だが)。そう言う意味では、今回のコスプレイヤーさんはポリコレの犠牲になった、と言えるかもしれません。

 ポリコレの胡散臭さは、「私は今まで間違っていた!」と反省するのは良いんですけど、「私は これからは考えを こう改める。だからお前たちも従え!」と言う自己主張の激しさで、私なんかから見たら「いや、それ反省してないから」としか思えず「改心は御自由に。でも他者への強制はダメ」としか思えないのですが「間違った旧社会の発想を私が牽引して改めさせる!」と言う傲慢さ、過剰な自負心は、一体どこから発生するのでしょうかね?(本当に「小さな親切、大きな御世話」でしか)。これはヴィーガンにも感じますけど。

 「サイボーグ・ブルース」では、生身の頃はブルースを歌えたアーネスト・ライトが「サイボーグの声帯ではブルースは歌えない」と嘆いていましたが、黒人アンドロイドがそれを易々と歌ってしまい「打ちひしがれた黒人の魂を電子頭脳に組み込んだ天才がいる」と言うような驚異を感じていました。一方、現実では黒人差別は未だに激しく、ブルースを人前で歌う事も出来なくなっているようです。自由の無いディストピア。

付記:『ビッグバン・セオリー』で、シェルドンとエイミーが婚約した際、周知の方法についてアレコレ手段を選択している段階で「狼煙」に言及されましたが「文化の盗用でなければ何でも構わない」と言う流れになりました。おそらくアメリカ原住民(アメリカインディアン)の文化を指しているのだと思いますが、中国では春秋戦国時代には既に狼煙が使われており、アメリカ原住民に対し「文化の盗用だ!」とか主張されたら どうするんでしょうね、意識高い系の人たち?


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