180.『獄門島』は何故 名作扱いなのか?

 アマゾンプライムで東宝製作分も視聴可能になったので、『悪魔が来りて笛を吹く』、『三つ首塔』と合わせて視聴。この後、2期も視聴していきますが…。

 『犬神家の一族』は名作ですが(石坂版1976が特に。古谷版1977も負けじ劣らじ)、『獄門島』は駄作なんじゃないだろうか…? と。いや、原作は未読ですけどね。

 『犬神家~』は遺産相続に絡む殺人で、同機はそれぞれ(の家族)に有り、容疑者は中々絞れません。スケキヨ(仮名)、復員兵X、真犯人の思惑も絡み、アリバイの問題など、事態は複雑化します。

 一方、『獄門島』では、狙われるのが3姉妹だと千万太(ちまた)から金田一は聞いており(石坂版は依頼者の雨宮を経由)、ハッキリ言って花子殺害の段階で、残る月・星姉妹に警備をビタ付けしておけば惨劇は防げる訳で、「島の人間が そんな凶行に及ぶはずが無い」と言う先入観からか、容疑が金田一に向かったりしますが(あとは鵜飼と海賊が島外の人間)、千万太が予告している以上、容疑者は島内のはずで、「何やってんだ?」としか思えません。

 また、スケタケ、スケトモ、スケキヨ(仮名)に関しては、欲が突っ張ってたり、その挙句に珠代を押し倒そうとしたり、と悪行が目立ち「殺されても仕方が無い」と視聴者(観客)が思えてきます。しかし、月・星・花の3姉妹は悪人では無く、「気違いじゃが仕方が無い」とは思えません。なので、非常に後味が悪い訳です。

 この点、同じ「見立て殺人」の『悪魔の手毬唄』の場合、犯人の心情(苦衷)が理解できるので「殺し」の正当化も図れる訳ですが、『獄門島』はオチこそ戦慄すべきものの、殺しの正当性が(視聴者にとっては)存在せず、前述の通り後味の悪さだけが残る結果になります。

 映像作品としては ともかく、終始 実行犯(1人目)に翻弄されっ放しの金田一も含め、プロット的には「ん~?」としか思えませんでした。

 まぁ、石坂版5作に関しては、『犬神家~』以外は面白くないんですが(あくまで個人の感想です)。

 ノスタル爺として、残りのTVシリーズを楽しみに6月を生き延びる事にします(平日に見ているだけの余力が有るだろうか…?)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?