181.「見立て殺人」の意味

 ぼく、近代…知的な推理小説には疎いのですが。

 前回も酷評した『獄門島』ですが、見立て殺人としてはレベルが低いんじゃないか? と思います。真犯人、と言うか、意図した人物の自己満足に留まるような。一応、釣鐘に関してはアリバイとの兼ね合いが有りますが…いや、ウグイスも、ですかね?(こちらは「日本家屋が密室向きでは無い事の証明」とか言われてますが)。

 同じ「見立て殺人」を扱った『犬神家の一族』と『悪魔の手毬唄』の場合、前者は2人目で見立てと分かりますし、後者は犯人をミスリードする目的も有ります。なので、見立て殺人を行う理由が有る訳ですが、やはり『獄門島』は見立て殺人にする必然性が無いです。

 加えて、『犬神家~』は3種の神器、『~手毬唄』は土地の童謡、と、つまり「縛り(法則)」が明確な訳です。しかし、『獄門島』は俳句で有ればOKと言う緩いルールです。これはアンフェアじゃないですかね? しかも、芭蕉一人に留まらないので「何でもアリ」です。なので見立ての意味が不明でしか有りません(捜査の攪乱には役立ちますが)。ただし、『犬神家~』は動機(は、おそらく遺産配分だと推測されるでしょうけど)が不明で2人目の予測も不可能、『~手毬唄』は2人目で法則性が発見され3人目が判明するのでガード可能(実際、予定の3人目は殺されていない)、と言う状況に対し、『獄門島』は最初っから殺される対象が分かっているので、見立て云々の前に「どうして防げなかった?」としか思えず、やっぱり肯定的には見れません。

 もし、連載当時に読んでたら、感想は違ったかもしれませんが。

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