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プロファイリング ~りんご娘.先行メンバー「ジョナ」「ふじこ」~

2000年に結成された青森県のご当地アイドルRINGOMUSUMEの先行メンバー、「ジョナ」と「ふじこ」。
farmer(RINGOMUSUMEファン)には、おなじみの名前ですが、どんな人だったかは、私はよく知りません。
少ない手がかりを元にプロファイリング(妄想)したいと思います。

※文中の参考アーカイブのリンクはピンポイントではありません。該当部分を少しさがしていただく必要があります。すいません。

1 「先行メンバー」とは

ふたりもりんご娘.なのですから、「1期生」と呼んでも問題ないようにも思います。
HASP(弘前アクターズスクールプロジェクト)としては、オーディションをやると宣伝しているので、あくまでも正式なりんご娘.はオーディション合格組にしたかったのでしょう。
また、CD1枚だけの活動なので1期生と呼びづらいということもあったかもしれません。

2 オーディションを待たずにりんご娘.を結成した理由

HASPでは「ねぷた娘.」というダンスユニットも結成していて、オリジナル曲で「ねぷパラ」(ねぷた+パラパラ)を踊らせる計画でした。
そのためにダンス用の音源を用意する必要があり、その歌い手として、りんご娘.の結成を急ぐ必要がありました。
(参考アーカイブ:HASP‐ねぷた娘 弘前アクターズスクールプロジェクト始動

3 ふたりが1期生に入らなかった理由

(1)実力不足?
ふたりは、リーダーが自らスカウトした「実力派」です。(参考アーカイブ:りんご娘プロフィール
実力派ということから、「アマチュアバンドのボーカル」「のど自慢荒し」「カラオケ女王」などが考えられます。

実力があるなら、オーディション免除(または形だけ審査)で1期生に入れることもできたはずです。
一方、レコーディングの様子について、「コンセプトにあわせた歌い方が出来ない、声が出ない」「悔し涙を流し」と書かれています。(参考アーカイブ:7/15の活動記録
ということは、スカウトはしたものの実際にやってみたら実力不足で1期生に入れなかったということなのでしょうか。

しかし、最終的にCDにOKが出ているので、実力不足ではないでしょう。
また、少なくとも素質はあるはずなので、レッスンで鍛えればいい話です。
実力不足で1期生になれなかったということではないと思います。

(2)ふたりは社会人
ふたりのうちどちらかは24歳だったことは確実です。(参考アーカイブ:Ringo Musume.POWER LIVE 2004 によせて―この中で、りんご娘メンバーの年齢を「24歳から11歳まで」としており、24歳の可能性があるのは、このふたりだけです。)

ふたりは社会人の可能性が高く、りんご娘.の活動を続けなかった理由も仕事との両立が難しかったからだと思います。
仕事を犠牲にして芸能活動に身を投じる決心がつかず、りんご娘.として継続的に活動するのではなく、CD1枚だけのために参加したのではないでしょうか。
あるいは、レコーディングで泣くような目に遭って、これではとても両立できないと思ったのかもしれません。

ちなみに、1期生の恵(めぐみ)さんも社会人でしたが、仕事との両立は大変だったようです。(参考アーカイブ:メンバー紹介 めぐみ

4 SHOKOはジョナ?ふじこ?

ところで、HASP初期にSHOKOという女性シンガーがいました。「Winter Snow」を歌っています。(参考アーカイブ:「HASPミニアルバム」

この人が、ジョナかふじこの可能性はないのでしょうか?
一度は断ったものの、やはり夢を忘れられず、名前を変えて再チャレンジということもあり得る話です。
アーカイブからは、これ以上わかりません。当時の音源を聞けばわかるかもしれませんが……。

(以上を踏まえて、)

【妄想】ジョナ日記

2000年7月7日(金)
会社のAさんの紹介で、会社終わりに居酒屋でHASPのリーダーさんと会った。
りんご娘というグループを結成して、音楽で弘前を盛り上げるとか、夢みたいな話をされた。

宣伝も兼ねてCDを出すので、歌の上手い人にお願いしたいと言われた。
たしかにバンドでボーカルやってるけど、CDとなると自信がない。
何人かに声をかけていて、一人で歌うわけじゃないとも言われた。
とにかくグイグイ来る人だった。

今のバンドのこともあるので、りんご娘に入れと言うことですかと聞いたら、続けたいならオーディションを受ければいいし、CDだけでやめてもいいということだった。
Aさんの紹介だし、自主制作でもCDを出せるなんてそうそうないから、やってみようと思って、やりますと言ったらすごく喜んでくれた。

すぐに譜面とカラオケCDを渡されて、15日にレコーディングだからそれまでに練習しておいてと言われた。
あと1週間。全然時間がない。大丈夫だろうか。

7月15日(土)
レコーディングというからどこかのスタジオかと思ったら、カラオケボックスだった。
レコーディングの様子は思い出したくない。

譜面とCDで練習しろという割には、現場で注文が多くてなんなんだろうと思った。
B子さん(注:ふじこのこと)は途中で泣いちゃうし、スタッフの人たちも「お前たちの実力はこんなもんじゃない」とか言って涙を流してるし、昔の青春ドラマかと思った。

結局録音は夜中までかかった。
B子さんは魂が抜けたようになって、「がんばったね」と言ったら、また泣き出して抱きついてきた。
本当にかわいそうだった。私もつらかった。
あしたはゆっくり休みたい。

8月4日(金)
Aさんが完成したCDを持ってきた。手作り感満載だった。
あの地獄の録音から、まだ3週間なのに、遠い昔の出来事のような気がする。
すごくいい出来だ、どこに出しても恥ずかしくないと言ってくれた。
これから街中に私たちの歌が流れるよと言っていた。
そうなのか。
やってよかったのかなとちょっと思った。

9月10日(日)
土手町のカルチャーロードにりんご娘が出るというので見に行った。
自分が歌ったあの歌を別の子たちが歌っているのを見るのは、なんか変な気分だった。ちょっと寂しかった。
あの子たちも泣きながら練習したのかなとか考えて、あんまり歌が入ってこなかった。
みんな自分より若い。とにかくがんばってほしいと思った。

・・・・

2020年9月23日(水)
ネットで、りんご娘結成20周年の記事を見た。
最近はテレビでもよく見るし、みんながんばってると思う。
自分がりんご娘だったのは一瞬だったけど、りんご娘が続いてくれて本当にうれしい。
でもさ・・・
りんご娘は7月で20周年だから!
あの地獄のレコーディングからりんご娘は始まったんだよ~~っ!!

おわり

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