職歴、学歴、現地の学位、現地の語学力4ないの僕がベルリンで就職ができた理由〜エピソード2

さて、前回エピソード1を書いてから、何かと忙しい用事や面倒が立て続けにあってしまい、気がついたらあれ? 1ヶ月!? 「おいスズキ、くだらねーツイートしてる暇があったらさっさと続きかけや! 」という声もごもっとも、気が向きましたんで行きます、エピソード2。
っていうか、これ月イチシリーズにしようかな…(ぼそっ)

さて、生来の性格から、筋が通ってないことが嫌いで、自分を曲げることを認めず、衝突をもいとわない少年スズキ、めでたく某学閥有名新設校を、中学3年生を留年して2回やった上に、ギリギリボーダーライン上を綱渡りしていたのに、最後の3月に放校宣言をくだされてしまいました。

3月ですよ? ちょうど今頃、もうちょい前か、覚えてないけどとにかくすでに普通の高校の入試はまさにやってるか、終わっていたときです。どちらにしろ、願書間に合わないのでどうしようもありません。先生たちは僕の人生をなんだと思っていたんでしょうね?

これだからいくら綺麗事言っていてもあの学校の先生達はぜーんぜん信用できません(まだ恨んでる)。

もちろん家族会議(というか両親+僕)になりました。あまり良く覚えてないですが(覚えてないことばかりですいません)、当時ヒップホップにかぶれていた僕は、「ア…アメリカに行きたいぜ! 」とか、親の金と労力努力をさんざん無駄にした挙げ句、クソバカ息子100点満点の回答もしたことを覚えています…

実は僕は、両親の仕事の関係で、アメリカ生まれで、生まれてから1歳、3-4歳半あたりまで、アメリカにいました。いわゆる帰国子女です。

帰国子女なのですが、当時のことはうっすら覚えているものの、肝心の言語は綺麗サッパリ忘れていました。ですので中学で英語に苦労してたのも当たり前ですね(笑)

ちなみに、多分これくらいの時期に、当時のビデオが発見され、英語をペラペラ話す自分(幼児語だけど)を見たのですが、見事に「え?何いってんの、俺?」 っていう感じでした。
不思議なんですが、当時の記憶、思い出は脳内で日本語でもない英語でもない言語のようなもので、意味だけ覚えているのです。

それを示すエピソードが、アメリカで見まくってたナイトライダー(三輪車持ってたのを覚えている)。

ナイトライダーとは、ドイツでワクチンのプロモーションCMに出てたことも記憶に新しい、デビット・ハッセルホフ演ずるマイケルと、人工知能K.I.T.Tを搭載し自分で走行もできるスーパーマシン、ナイト2000(欲しいなこれ)を相棒に巨悪と戦う刑事ドラマです。

英語版では、記憶によれば、K.I.T.T(AI)とマイケルは対等で、行くぞ! 相棒! みたいな感じなのですが、日本版を見た時に強烈な「コレジャナイ」感が…

日本版は、いわゆる典型的メカ声、メカは下! 的な感じの、敬語を使うK.I.T.T… ちがう、そんなの僕が知ってるK.I.T.Tじゃないよ! と感じ…

なかなか双方の言語文化の違いがわかる、  おもしろエピソードでした。だれだ、機械を下に見る日本の差別感ガー!とか言ってるやつは。
そんなこと一言も言ってないぞ。
すいません、脱線しました。

ちなみに件の中学は、帰国子女教育に力を入れていたのでいわゆるモノホン帰国子女がいっぱい(当時としては)いました。彼らは英語は別のクラス
僕は…当然、普通クラスです(笑)

なので、

「何だよスズキ、帰国子女なら英語でアドバンテージあんじゃねーかよ!」

とは言わずご安心ください。ちょこっとはなんかあるかもしれませんが、マジ誤差です。

今も普通に発音はザパニーズイングリッシュですし、帰国子女じゃなくても僕より遥かに英語レベルが高い人はいくらでもいます。まぁ、僕の英語能力については後ほど書きます。

そういう彼らを見て、そしてアメリカ時代の幼なじみは僕より長く滞在し、日本でもインターに行っていたので(東京城南方面ならみなさんご存知、センメリ)、英語は普通にアメリカ〜ンな英語。

そういうのを見て悔しい、というかもったいないと思ったのか、英語をどうにかしたい! と思ったのは事実です。

だけど、ヒップホップの本場! アメリカ! 行きてえ! くらいにしか考えてなかったのも、これまた事実です。

当時はファッションもカルチャーも、完全にアメリカ主体かつ主導でしたし…Boon、Fine、Popeye、あのへんの雑誌読んでもしょっちゅうアメリカのフリマ特集とか、ファッションスナップやってましたね。

ベルリン? なにそれ? 美味しいの? ああこないだなんか壁崩壊してたね? って感じどころか完全アウトオブ眼中でしたよね。まぁ青春90'sオジさんの思い出話です。

「アメリカに留学したい! 真面目にやるから!(多分)」

というバカ息子に対して、うちの親父は

「うむ、わかった。頑張れよ」

なーんて言う訳がなく。

「バカ野郎。お前みたいなのが今アメリカ行ったってろくでもないのとつるんで、もっとろくでもないことして、日本語も英語も中途半端になってどうしようもなくなるぞ。バカなこと考えてんじゃない!」

と、ピシャリ。

今思うと、オヤジ、大正解! 😆

今の僕も、そう思います(笑)
おそらくどうしようもない中途半端アメリケン留学帰りのいっちょ上がりでしたでしょう。一体当時の自分はなにを考えていたのでしょうか?(笑) 遊びしか考えてなかったんでしょうね…バカだね…(自己批判)

さて、そんなアイデアは速攻却下され、現実あり得る選択肢は3つ。

  1. 大検を取る

  2. 定時制高校を受験する

  3. 通信制高校を取る

  4. 学業、ギブアップ! 社会に出る(4つやな)

まず大検を取る…これは自分でこの中から、どれやりたい? って言われてそれなら…と選ぶ選択肢でした。が、当時(今もだけど、多分)、大検を経験したことない人からは大検は難しいのでは? というイメージが付いていました。当然、うちの親もです。

「出来るのかぁ? お前…?」

当然の反応ですね。とりあえず諸々話し合った結果、大検は予備校見に行ったりして検討してみる、とりあえず喫緊なので、受けられる定時制高校に即出願し、受ける。

という方向になりました。

さて定時制の受験日。うーん、「普通の高校」、行ったことないし、どうなん…?しかも定時制…? 地元の普通の公立の定時制かつ二次試験なので、受験人数もエラい少なかった気がします。しかし試験が始まると…?

「む…これは…? この問題は! 解ける! 解けるぞ! (ムスカ)これは進研ゼミでやったところだ!(違う)」

なんと、正直にかんたんすぎて、苦手な数学で自己採点でおそらく100点近い点数をとったのではないか…?と思えるくらい簡単でした。たぶん90点台はいったはずと思います。苦手な数学で。(他は推して知るべし)
わからなすぎてアクロバット自己採点したんじゃなく、本気でそう感じました。当然受かりました。

ここで、ようやく今まで自分が中学でやっていたことが、少なくとも普通レベルじゃなく、超とは言いませんがそれなりに高度なことをやっていたと自覚。実際普通を知らないのでどれくらいかわからないですが、外に出て初めて得た感覚でした。

同時に、「これ、行っても意味ないんちゃう?」と思いはじめ、完全に大検をターゲットに。その後、予備校に行き話を聞き、

1. 大検は全科目いっぺんに取らなくても良い(複数年受験で全部取れば可)
2. 大検で出される範囲は基本的に中学3年分がメイン、高校1年も出るが、メインではない

ということがわかり、ますますやる気に。

「母さん! 俺「大検」やりたい!」
「一人でやりきれるの?」(ゼミママ)

という会話があったかは定かではないですが、大検にターゲットを絞り、予備校は浪人生の聖地、代々木の河合塾Cosmo。また余談ですが、実はここは今話題の某Colaboの代表さんも出身で、僕の後輩にあたります。
代々木といえばそう…某K産党の本部もある、日本のレフトの聖地ですね。当時の僕はそんなことも知らんですし、どうでも良かったですが(本部があるのは知ってた)。

結果から言うと、大検は2年で受かりました。途中、N高(NHK高校、通信制)も合わせ技で単位取れば短縮になるというのもやった気もしますが、高校行ってない僕は全科目、たしか11/12科目(選択で変わる)を2年かけて取りました。

当時も、今でもよく言われるのですが、「すごいですね!」って…
ぶっちゃけ、大してすごくないと思います。

こういうとアレですが、当時の受けてた仲間とか見る限り、本物のバ…(自主規制)じゃなければ、どうにか勉強すれば誰でも取れるはずです。
僕なんかは、ろくでなしがようやくヒトモドキレベルに達したくらいですので、おこがましいです。

実際、僕は2年間、ほぼ全く授業に出ず(おい!w)、休憩室で麻雀ばかりやってました(笑)
ここに来るメンバーは、僕のようなやつ、属性は違うけど僕らと気が合うのでいるやつ、ヤンキー(中途半端、モノホンはこんなとこ来ない)、ギャル、とかまぁそういうグループと、根暗陰キャゾーン…(おそらく、なにか学校で合わなかったのであろうと推測)のグループに分かれ、アウトローグループは2階の喫煙室(ん?お前もう二十歳か?)で麻雀&ダベり、陰キャグループは一回のタバコ吸えない、なんかの部屋(行ったことないからなんだかわからん)で見事に分かれ…思い出してもほとんど毎日遊んでいた気がします(あれ…?勉強の決意は…?)(ま…たまに授業も出てたしね、たまーに…)

結果オーライなのですが、ここの予備校の人たちのスタンスも、あまり勉強を押し付けること無く、講師も、フェローというお兄さんたちも、自由にさせてもらえたので、この年代に僕は色々なことを覚えました(良いことも、悪いことも…)。
学祭のようなイベントがあって、ライブハウスでバンド組んで演奏したりとかもあったな…何故かピストルズと、ビースティーボーイズのFight For Your Rightを弾きました(簡単で見栄えがいいから)。あ、あとリンダリンダも弾いたわ! ちなみに僕はベースです。(ギターは無理、ドラム? 無理無理、ボーカル?音痴だよ、ベース? うん、太いベースラインは今でも好き)

勉強は全然しなかったですが、本当にこの頃、15歳から19歳辺りまでが、今思えば人生で一番自由な時間でした。もちろん彼らだけじゃなく、あとから放校になった仲間や、元の学校の仲良かった仲間たちとも夜遊びしたりなんだり…勉強全然してないな。

さて、急に予定外に(3年かかると思ってた)大検が取れてしまったので、大学…受けちゃう? ということでいきなり大学受けてみました。大検も行けちゃってるし、俺、意外といけんじゃね? っていう慢心です。

慢心…そのとおりです。人生そんな甘くない。アホアホ毎日遊んでたやつが、毎日勉強してたやつに勝てるわけがない。しかも今までの戦場にいた相手は、ア…ゴホン、まぁ、いろんなレベルの人がいたわけです。また世界が狭まってた。

この1年目、現役年代は某MARCHと、少しワンランク落ちる某ミッション系大学を受けました。他は覚えてない(というか2年目と混同してる)。
今でも覚えているのは、試験始まった途端、バサバサバサッっと問題用紙を全部めくってまず全容を確認する、受験ガチ勢(っていうか自分がゆるゆるなだけ)。え? と思って自分も確認(こういう時、上がらない性格はマイペース)、英語の問題。うん、わからねぇ…

今でこそ英語で仕事してる自分ですが、当時の自分の英語力なんてこんなもんです。まぁ、勉強してないんですから。この頃か、中学でヤバそうだったときかわかりませんが、一度オジさん(他人)が個人でやってるマンツーの英語教室(勉強系)に行ったり、中学の時に英語ヤバかったので、母親(英語普通にペラペラにできる、元駐妻)に集中的に教えてもらったりして、勉強したのは今でも覚えていますが、それくらいです。あとはサマーキャンプにアメリカに1ヶ月? 行っただけ。これは中3かな。

そんな感じで1年め現役は見事に現実を見せつけられ、敗退。まぁたしか2-3校しか受けてないので、ある意味予想通りでした。

その後、河合塾Cosmoをベースとしつつ(居心地いいしね)、本校の予備校にも通いつつ(あまんま覚えてないから相変わらずあまり行ってなかったと思う、前よりは行ったかな、レベル)、勉強をしたりしつつ、本当に勉強のことは覚えていないのですが、とにかく1浪の年にいくつかの大学に合格。まぁMARCHよりは落ちるレベルです。まぁそんなもんが妥当です。

ここでもさっさと家を出たかった自分は、何故か神奈川の大学(従兄弟が行ってて、一人暮らしをしていた)を選んだのですが、結局実家通いに。まぁ、あまちゃんのボンボンと言われれば、ハイそうです、すいませんとしかいえません。スイマセン。

実はこの、大学に受かる前の夏に、自分の人生を衝撃的に変える出来事、レインボー2000というレイブパーティーに参加し、衝撃を受けた自分はヒップホップDJから、レコードを入れ替えテクノのようなトランスのようなものをはじめていた頃でした。

さて、大学に入り、それなりに順調に通っていたのですが、うーん…大学の連中、一言で言うと「浅くて、ツマらん」
3年間遊びの限りを尽くした自分は、すでに普通の人が大学に入ってからやるようなことを一通りやり尽くしてしまったので、全く感覚が合わないのでした。

そんな中、これからの人生に、一筋の光が自分を導いていくのを感じました。

そう、レイブカルチャーです。時は2000年、その前の年は1999年、次の年は21世紀、世の中がなにか混沌として、なにかが変わるような、もしかしたら終わるような、そんな過渡期にあり、レイブパーティーブームがどんどんと拡大していった黎明期です。(これを自分は平成ええじゃないかムーブメントと呼んでいる)。

〜時は世紀末、中学留年、退学からのリカバリーでようやく人並みに追いついたスズキ青年、物足りなさを感じるも、次のステージへの光に、感覚のままついていく〜 その先に待つ、次なるステージとは?

次回、19歳以降、DJとして活動、そこからベルリンへ! 編です! なるべく早めに書きます! お愉しみに!

(端折っていこうと思ったけど結局長く(汗)
(おい、就職関係ねぇじゃねえか! という苦情はごもっとも)
(しかし自分、勉強全然してねぇな…)
(今しばらくお待ち下さい、就職に繋がります)


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