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  映画【トラペジウム】ネタバレ感想

全体的な感想


 私は事前評価などを知った上でトラペジウムを観た。なので『アイドルもの』としては少し違うと知ってたため【推しの子】のようにアイドルという要素があるだけの人間関係を描いている映画なのだろうと期待して観に行った。   
 結果としてその考えは間違ってはいなかったが、改めて別の作品でトラペジウムを例えるならば【スラムダンク】や【アイシールド21】、【ルーキーズ】かと思う。
 つまるところ『限定された期間に全力を出した作品』であり、トラペジウムが他に無く秀でていたのは『その限定された期間の先をエピローグでなく丁寧に描いている』点だと私は思う。ラスト10分はデザートではなくメインディッシュであり、アイドルパートもメインディッシュ。順序よく提供されているが常に次への期待感と多用な味のメインを食わされるオードブルのような映画だった。

 他作品で例えたが、特大のネタバレで比喩なく書くと、トラペジウムはアイドルになるまでを描き、そしてアイドルを辞める所を描いた。その後に『再度アイドルにならない所』まで描いている。文字にすると復活劇のないバッドエンド感が漂うが、むしろその逆である。
 アイドルという『職業』ではなく、アイドルという『青春』で終わった。高校バスケの"全国大会"、高校ラグビーの"クリスマスボウル"、高校球児の"甲子園"がトラペジウムにおける"アイドル"であった。そこは一つのゴールで、トラペジウムはそのゴールの先を描いている。この先が何よりも素晴らしかった。アイドルものに求める『アイドルというゴールを続けてくれる』部分はトラペジウムにはないため、そこで食い違うところがあったのだろうな。というのが感想。

 主人公、東について

 「主人公に共感できない」という話があるが、私は共感とはいかなくとも理解はできたし、非常に魅力的に感じた。。
 東はメインに描いてるのもあって人間的な部分がよく見える。アイドルになるという夢のため他人を使う強欲さに受け入れ難さあるのかも知れないが、それこそアイシールド21のヒルマも強引にチームメンバーを集めているし、推しの子もアクアはルビーのために有馬をアイドルの道へ導いている。だから気にするな、許せと言いたいわけではなく、『目的のために他人を利用する行動力』にも一種の魅力があるということだ。
 少なくとも本当に東はアイドルになるという点において誠実であった。自身でオーディションに受け続け、落ちた。そこで諦めきれず、頭の中でぐるぐる考えまくった末に、”東西南北”というアイデアが浮かんでしまったんだと思う。浮かんでしまった、方法を見つけてしまった、蜘蛛の糸になるかすら怪しい可能性だが、それを実行しないことこそ東にとって”アイドルになるという夢”に対して不誠実になってしまう。だからこそ各校へメンバー探ししてる時でさえ「何やっているんだろう」って呟いていたのではないかと思う。
 原作小説を読んでいない私が妄想するに、そもそも東のメンバー探しなどは諦めるための作業だったのではないかとすら考えている。理由は単純にあの計画が稚拙で穴だらけだからである。西は話題性があり可愛い女子が居るからメンバーにしたいというのはわかる。南もお嬢様学校なら美人が居るだろうしそこで探せば良いというのもまぁわかる。だが北は本人も「どうしよう」というくらいノープランだった。偶然北から現れてくれたものの、東西南北というアイデアから最初から誰をメンバーにするかは西しか決めていないアバウトさだ。加えて東西南北が揃ってからの行動もあくまで『テレビ側に映るところからのシンデレラストーリー狙い』という不確実なもの。城のボランティアもテレビが来てくれたのは偶然であり、やっていることがヤミヤミの実を狙って白ひげに仲間入りした黒ひげと同じである。東西南北でアイドルオーディションをしようなどとは考えていなかった。
 もう一つ理由と考えられるものは、テレビの企画になるまでは東がアイドルになるためのトレーニングを一切していなかった点だ。中学で何度もオーディションを受けているということは、アピールポイントで歌かダンスか何かを発表しているはずなのだ。実際テレビに映るステージで口パクを提案された時にアイドルはちゃんと歌って魅せるべきと思っていた部分が見られており、アイドルになるなら歌って踊れることは必須と思っているはずだ。しかしそういった努力はテレビ側の企画上がってからの自主練などでしか描写されていない。描写されていないだけで裏ではやっていた・・・ということもあるかも知れないが、私は東西南北のアイデアに走るようになる程度に東は既に練習をしてオーディションを受ける手段を諦めていた。心が折れていた。なのでワンピースの黒ひげと同じく、自分にできる限りのことをしてチャンスを待つが、そのチャンスが来なければそのまま過ごすつもりだったと考える。アイドルに慣れなくとも、アイドルになろうと画策して青春を過ごしたという実績作りで自分を許せる、誤魔化せる。そう考えていたのではないだろうか。
 恐らく仮にテレビがなかった場合、地域イベント盛り上げるためにアイドルっぽいことしよう!みたいな提案をして誰かに見つけてもらうのを期待してますというポーズは取り続けても、「折角東西南北揃ったから、これでアイドルのオーディション受けてみよう」とは言わなかったと思う。それは自分以外が受かってしまう現実が訪れるかも知れないから。皆にもオーディションに落ちるという否定される苦しさを味合わせることになるかも知れないから。それをしないために出来るだけ苦しまずにアイドルになりたい自分を保ち続ける作業が、東のノートの本当の意味だったと私は思う。

 東のキャラクターとして印象深いシーンはキービジュポスターにもある「人間って光るんだ」のシーンだ。

 この1分に東の全てが収まっている。「誰にも言えない夢のために一日中考えて努力する人はカッコいい」でいかに今の自分を好きでいられているかがわかる。「自分も光る方法を探していた」も象徴的なセリフだ。
 「周りには隠して嘘ついて」、いや、まぁその通りでメンバーをアイドルにしようと画策はしてるけど、あまりに人間的すぎて色々隠してるつもりの割りに態度にでまくっているのがいい。子供っぽいとは言わないが、決してうまく立ち回れるだけの大人でも策士でもない。思い通りにいかなければ不機嫌になる。だからこそ東西南北で笑顔になっている時は自分がアイドルになるための道具などとは思っていない、心から楽しんでいるし充実しているんだと信頼できる。
 これは東を考える上で重要で、アイドルになるという目的自体はブレていないが、それはそれとして東西南北のことは好きだし、大事に思っている。これは事実として捉えなければいけない。
 
 

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