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いぬと地形と遺跡と:1・いぬ


大館能代空港の8がつく日は特別

秋田と青森に行ってきた。
秋田はひたすらに秋田犬を味わう旅だった。
大館能代空港は、8のつく日の午前便で到着すると秋田犬がお迎えしてくれる。当然、それにあわせて行った。

秋田犬に興味津々のお子さん。いぬは賢いので、噛んだりしませんがファンサはします。
(※飼い主様がきちんとみています)

秋田県には秋田空港と大館能代空港がある。秋田市と大館市は車で110km、約1時間45分。秋田空港からあきた白神まで約110km、大館能代空港からだと約50km、白神山地に行くなら大館能代空港を使いたい。
秋田ー大館能代便はANAのみで1日3便。
大館は、新幹線で行くと盛岡駅でバスで乗り換えるか、もはや新青森駅から特急つがるにのるルートが出る。飛行機が大正解ですね。

忠犬ハチ公のふるさと大館

我々の旅のうち、秋田県域での目的は、秋田犬に時間を捧げること。
忠犬ハチ公の生まれ故郷の秋田県大館市の秋田犬会館にも行った。
Xでずっと眺めていた、秋田犬さんたちにも会った。

銀ちゃんとくろべえ、二人は相棒
わさびくんはのんびり派、コピー機の守り神

現在の秋田犬のルーツは、大館地域で飼育されていた大館犬であるらしい。阿仁マタギが猟犬として連れていた。雪深い土地でマタギと一緒に山を駆けるには、しっかりした足が必須だろうな~
阿仁マタギといえば、ゴールデンカムイの谷垣源次郎が最近では代表例ですね。作者、野田サトル氏の愛を一心に浴びる男。本編だと妻と阿仁に戻り子だくさんになる。きっと阿仁では秋田犬を相棒にしてただろうな。

秋田大館地域は、江戸時代以降闘犬が流行し、それに使われていた犬種でもある。(闘犬は佐竹氏の家臣の闘争心をスライドさせたとかなんとか)闘犬熱のため、明治時代に洋犬とミックスした子も多く、長毛の子はその名残らしい。
そんなこんなで雑種化が進んでしまうと大館犬が消えてしまう。
1927年に大館町長中心に設立された秋田犬保存会を中心に、雑種化していない大館犬を探し出し、少しずつ増えていったのが今の秋田犬のルーツなのだそう。

分かりやすい年表で感動

渋谷駅の像で有名な忠犬ハチ公は、1923年うまれ。
なんと関東大震災の2ヶ月後に産まれた仔!
1924年1月14日に大館駅を出発し、1月15日に関東大震災の余震の丹沢震源の地震に遭遇。この地震、宇佐美ほか(2013)日本被害地震総覧599-2012をみるとM=7.3、震度6相当だったようです。
地震のため1日遅れで、上野教授のおうちに到着。
東京まで約670km、よくきたなあ…
そういえば、東大弥生キャンパスに上野教授とハチの像があるのですが、めためたにカワイイ。

ハチの像は、まだハチが生きている1934年に、人々の寄付で渋谷駅に建立されましたが、戦争で供出されました。戦争が憎い。
大館駅前にいるハチの像はハチが亡くなった1935年に建てられましたが、これも戦争で供出されました。戦争が憎い。

秋田犬と阿仁マタギの関係性を知ったので、ささやかながら道の駅あにマタギの里に寄り、阿仁マタギに思いを巡らせつつ、森吉山に抱かれた北秋田の山の中を進んだ。そうそう、森吉山は樹氷が見られる山なのです。

道の駅あにのやまぶどうソフト、おいしかった。原料入手困難で7月2日から販売中止。。。

秋田犬と一晩過ごす

秋田犬がお迎えしてくれる幸せ
秋田犬に甘噛みされる幸せ
秋田犬と汗だくになって散歩をする幸せ
夜、寝る前におやすみ~っとご挨拶に来てるくれる幸せ
朝、起きると犬のにおいを感じる幸せ…
秋田犬と過ごせる古民家の民泊に泊り、堪能させていただきました。

お部屋は和室をつかったので、なんと犬たちがあそびにきてくれる最高のお部屋!!朝、お散歩集合前に、「ほらいくよ~」ってお迎えに来てくれた…ありがとう…

2頭の秋田犬がおもてなし
角館 縁Enishiの営業部長すーちゃん
麗しいすーちゃんのお嫁さん、不二子さん

すーちゃんと不二子さんとの集合写真も撮らせてもらったけど、ニンゲンの顔がゆるっゆる。素敵な犬たちでした。

紹介していただいた居酒屋もとてもおいしくて、うっかり新政呑んでしまいましたね。。秋田県だしね。。

新政の亜麻猫をいただきました

秋田犬は、日本犬で唯一の大型犬。
お肌が弱くて、でっかくて、ご主人に忠実ないぬ。
飼うことで種が続くのだけど、関東のこの狭い土地で飼ってあげることは犬にとって幸せではない気もしていて。
やはり、より郊外に引っ越すしかないか…(ただでさえ今も郊外なのに)
あと、今の仕事の仕方だと犬に失礼なので、まずはそこを考えねば。
でも、いつか、お迎えしたい。

さて、次は地形的な話をしたい。

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