56歳、会社辞めてシルクロードに餃子食べに出かけてみた⑥凡ミスでヒヤリ、寝台列車でヒヴァへ

今回の旅行で寝台列車に乗るのは二度目。

ウルムチからの列車は、ウルムチに到着してから駅に切符を買いに行ったが、今回は日本からネットで予約していたのでとても気が楽。

サマルカンド駅を出発するのは日付が変わった深夜だが、午後9時頃にはチケットを引き換えるために駅のチケット売り場に到着した。

予約内容を印刷してきた紙を窓口に出した。

これですぐにチケットが手に入るはず。

が、窓口の中にいる係の男性は、なにやら難しい顔をしている。

私は娘と顔を見合わせた。

窓口の担当者は自分のスマホに何かを入力し、画面を私たちの方を向けた。

「あなたがたの予約は昨夜のチケットです」こう英語で書かれていた。

つまり、列車の出発時刻が日付が変わってからということは、今日の日付の列車は昨夜日付が変わってすぐに出発してしまっているということ。私たちは今夜列車に乗りたいのであれば「明日」の日付の予約をしなければいけなかったのだ。

がーーん。シンプルに私たちって馬鹿なの?

頭が真っ白になりながらも担当者にスマホで質問をする。

「今夜空いている席はありませんか?」

「それがダメなら明日なんとか鉄道でヒヴァに行く方法はありませんか?」

彼の答えはいずれも「нет」…。

どうするどうするどうするー?

必死で旅程を変更できるかどうか考えた。このあとヒヴァで2泊してウルゲンチからタシケントに飛行機で移動し、その後タシケントからジョージア・トビリシに行くことになっている。

ヒヴァに行けないのなら、ジョージア行きの飛行機に間に合うようにタシケントに戻るしかない!サマルカンドからタシケントにどうやって行く?また飛行機?高速鉄道?それともタクシーチャーター?

いずれにしてもとにかく今夜はサマルカンドに宿を取り明朝考えるしかないのか!!

娘と2人で日本語でワーワー騒いでいると、窓口のおじさんは「2時間後にまた来て」と言う。2時間後?なんじゃそれ?

だがおじさんはそれ以上多くを語ってくれなかった。

私と娘は重い荷物をしょって駅の外に出た。

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外は真っ暗。お店なんて無い。

「タクシー?タクシー?」タクシーの客引きが声を掛けてくるがタクシーに乗っても始まらない。

歩いていたらバス停に中学生か高校生ぐらいの男の子たちがいて、英語で声をかけてきた。「このあたりにカフェとかない?」ダメ元で聞いてみたが、答えはNO。だよね、だと思った。

私たちはだんだんトイレに行きたくなってきた。

切符売り場にはトイレはなかった。となると駅舎に入れてもらうしかない。

ウズベキスタンの駅は、中国同様チケットを持っていない人は原則建物の中に入れない。入り口には警備の軍人(多分)が2人いる。

当たって砕けろ!兵士に英語で「私たちはトイレに行きたいけどチケットを持ってない!」と言ってみた。入れてくれなかったらここで漏らしてやるー!

いとも簡単に彼らは私たちを通してくれた。建物の入り口で荷物検査をしている人たちも「どうぞー、地下だよー」と簡単に通してくれた。

一見ものものしいのに実はゆるゆる。これってなんなの?

多分、ソ連時代の習慣をなんとなく続けてるだけなのかもしれない。要らないとなったら人も失業しちゃうしね。

用を足した私たちはうろうろするのは諦めて切符売り場のベンチで時間を潰すことにした。窓口は3つあるが、私たちに「待ってろ」と言った人がいったいどの人か顔を忘れてしまった。今、窓口にいるの?いないの?せめて名前を聞けばよかった…。

しばらく待っていると窓口の中から私たちを呼ぶ声がする。「切符が用意できた」と彼は言う。え?できたの?

「カードは使えないので現金で払え」と言われて急いでATMに走って言われた金額をおろして彼に支払った。金額は覚えていないが、日本で予約時に支払った金額よりは結構高かったはずである。そう、もしかしたらこれは袖の下が含まれていた可能性はなくは無い。

そんなことはどうでもいい!

私たちは今夜列車に乗れるんだ!明日の朝ヒヴァに着けるんだ!!

私たちは「ハラショー!」と「スパシーバ!」を繰り返しながらチケットを受け取り、無事に駅舎に入ることができた。

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待合室には先程スマホが見つかった日本人の姉さんたち3人組が居た。挨拶したが、日本人とはあんまり話したがらないのか??眠いのか?会話は無し。

旅先で日本人と話したがらない人と、成り行きで別にどっちでもいい人とに別れる。私たち親子は成り行きでどっちでもいい派。進んで話しかけもしないが避けもしない。

今回サマルカンドで泊まったゲストハウスのレビューには「朝ごはんを日本人同士で食べさせられて嫌だった」というのがあった。ゲストハウス側は、良かれと思って、だよ。人の好意は素直に受けよう(笑)

日本人同士同席させられるのがそんなに嫌なら日本人のレビューがある宿は自分が避けるべし。

私たちは朝ごはんの時に日本人の男子大学生と同席した。

いわゆる鉄オタで、日本では乗り尽くしたので晴れて大学生になったので海外へ飛び出した!という彼。オタクの話は面白い。いろいろと得る情報も多い。若いお嬢さんだと半ばナンパだったりして面倒なんでしょうな!!わっはっは。

サマルカンドの駅には両替屋さんとカフェとナンのお店があった。

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列車に乗り込むと車掌さんからそれぞれのコンパートメントを指示された。娘と私は別々の部屋だった。ようやく乗れたんだから部屋がどうのこうの言ってる場合じゃあない。

娘の同室は3人連れ。

おばあちゃんとお母さんと2歳ぐらいの女の子。誰か私とチェンジしてくれとは言い難い組み合わせだ。

私の方は、ウズベキスタン語しか話さないおじいさんとウズベキスタン語+ロシア語を話すおじさんとウズベキスタン語とロシア語と英語を話すおじさんという組み合わせ。

年長者であるおじいさんに敬意を表して男性陣はずっとウズベキスタン語で話をしている。おじいさんがずっと1人で話していて、若輩者は仕方なくその会話に付き合っているといった雰囲気だ。

誰も私にはほとんど興味がない様子で、何処から来たの?日本です。

こんな程度の会話だった。

深夜1時を過ぎ、消灯。

こんな環境でも案外眠れる自分にびっくりした。

朝7時を過ぎると上の段の男性陣が降りてきた。

廊下に出てスマホを充電したり電気シェーバーで髭を剃り始めた。

この列車は別に高級列車じゃないのでコンパートメントの中に電気のコンセントはない。上の段は簡単な作りなので、起きて過ごすこともできない。起きたら降りてくるしかない。

私もすぐに起きて寝床を整え、隣に上の段のおじさんが座れるようにした。

中国の列車もそうだが、ウズベキスタンの列車にも給湯設備がある。ガラスの茶器もあるしコンパートメントのテーブルにはティーバッグと角砂糖もあった。

チャイはウズベキスタンの人々にとってなくてはならない大切な習慣なんだ。

同室のおじさん2人は、私とおじいさんにもお茶を淹れて来てくれた。

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砂糖入れるか?と聞かれたがノーと答えた。

男性3人は一杯のチャイに角砂糖を2つずつ入れていた。確かに甘いと元気出るよね。

テーブルの上にはおじさんの1人が列車に乗る前に買った大きなナンが無造作に置いてあった。

うまいぞ!食べなよ!

多分こう言われたと思う。端からちぎって少し頂いた。焼いてから時間が経っていても小麦のほんのりした甘味があって美味しい。

ハラショー!!

おじさんたちも笑顔になった。

朝のチャイタイムが終わると1人のおじさんとおじいさんが廊下に出て行った。

ウズベキスタン語とロシア語のおじさんは、私の向かい側のベッドの上に座り、コンパートメントの鍵を内側からガチャリとかけ、私の顔を見て「大丈夫!大丈夫!」というような仕草をした。

見知らぬウズベクの男性とコンパートメントに2人きり。内側から鍵をかけられたら「大丈夫」って言われてもこっちは大丈夫じゃないよ!!

いったいなんなの?と固唾を飲んで彼を見ていたら、ベッドの上のシーツのシワをのばして綺麗に整え始めた。次にリュックの中から帽子を取り出してかぶると、メッカの方を向いてお祈りを始めた。

彼は敬虔なイスラム教徒なのだ。

本当は私にもコンパートメントから出て行って欲しかったのだろうが、言葉の通じない異教徒に事情を説明するぐらいなら、居ないものと思ってお祈りをしちゃえ!!って思ったんだと思う。

静かなお祈りは数分間続いた。

不思議と私も澄んだ気持ちになった。

男性陣3人はウルゲンチで列車を降りて行った。

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ウルゲンチには空港もあり、ウズベキスタン西部ではそこそこの大きさの街だと思う。

私たちはもう一駅先の終点のヒヴァで列車を降りた。

昨夜列車に乗り込んだときは、見知らぬ男性ばかりの部屋でいったいどうなるのか?と思ったけど、みんないい人たちだった。

おじさんおじさんって呼んでるけど多分私より20歳ぐらい年下なんだろうな。おじいさんはちょっと気難しそうだったけど、おじさんたちは私にとても気をつかってくれていたし、年長者であるおじいさんのこともずっと立てていた。日本人だったら赤の他人のおじいさんを気遣ったり立てたりするおじさんたちなんて居るかしらと思った。なんかいいもの見た。

ヒヴァは一大観光地だ。

駅を出たとたんにまたワラワラとタクシーの客引きが寄ってきた。

めんどくさくなっていた私たちは、寄ってきたタクシーにすぐ乗り込んだ。

道中、ドライバー氏が私たちの旅程を聞いてきた。

私たちはヒヴァで2泊し、明後日の早朝6時過ぎにウルゲンチを発つ飛行機でタシケントへ戻ると答えた。明後日ホテルまで迎えに行ってウルゲンチの空港まで送るよ!!

彼は自分の携帯の番号を書いたノートを私たちに渡し、日付と時間を書いてくれと言う。彼の携帯番号の写メを撮り、そのすぐ横に日付と迎えに来て欲しい時刻(4am)と書いてノートを返した。

ヒヴァの城壁が近づいてきた。

私たちが泊まるゲストハウスは城壁の内側だった。

車中でずっとGoogleマップを見ていたら一旦目的地に近づいたのに、また遠ざかり、変な場所で車を降ろされた。ドライバー氏は私たちの荷物を担いで前を歩き始めた。

「お祭りがあるから車があれ以上入れないんだ」彼は車を降りた理由を説明した。だが、歩けば歩くほど目的のゲストハウスからは遠ざかる。暑いし砂埃が凄いし、足もとは凸凹がひどく歩きづらい。

ねー!!ちょっと待って!!

地図を確認して!

そう声をかけても彼は「大丈夫だ」と答えて相手にしてくれない。

着いた先は全然別の宿だった。

あー、やっぱり。

ドライバー氏に違うと抗議すると、「マダームの発音が悪いから間違えた!」と私のせいにしたっ!!

もう一度歩いて車に戻り、私たちが泊まるHOTEL ORZUまで運転してもらい、無事にたどり着いたのだが、いやー、疲れた。

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ゆうべのチケットの予約間違いの件からずっと緊張して疲れっぱなし。やっとヒヴァに着いたのに今度はホテル間違えるし。駅や空港で客待ちしてるタクシーの多くはあんまり装備がよろしくない。

適当に「大丈夫大丈夫俺にまかせろ!」と言ってナビもGoogleマップも使わずに走り始めるが、間違ってることは珍しくない。そんなもんだと思って諦めるしかないのだ。ヒヴァではヤンデックスは使えないんだから。やっぱりタクシー配車アプリはすごい。

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チャイで生き返る私たち…。

ORZUは家族経営のB&B。

英語が話せるのはご主人だけ。おばあちゃんはチャイを淹れてくれる。マダムはほとんど幼い孫たちの子守をしている。洗濯などの下働きは住み込みの若い女の子がこなしていた。

靴を脱いで建物に上がり、床に座ってチャイを頂くウズベクスタイルはとても寛げる。

ハードな1日を過ごしてきた私たちは、チャイを何杯もおかわりした。




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