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僕に一番足りないもの

そうじゃないのもあるけど、大概の仕事がそのまま続けられるなら続けたかった。でも、それを許してもらえる社会でもなかった。新しいことをはじめたいなら、やめるしかなかった。まだ副業が今ほど自由じゃなかったから。そして、僕は自由をインターネットに求めた。

やがて僕は人生を捨てた。捨てたけど、気付いたらフリーランスになってた。自由になった。今は社会も働き方に寛容になった。それでも、なんだかんだ、自由な働き方を揶揄する人はいる。

今もまだ、ライターも、ラジオディレクターも、編集も、グラフィックも、ウェブデザインも、プランナーも、他にもいろいろレギュラーも、単発も、並行してやってる。

でも、僕がそのどれかしかやってないと思う人もいれば、むしろまったく何もしてないと思ってる人もいる。

僕自身は、一度人生の幕を閉めた人間だから、それでもいいのだろう。ただ、固定概念に捉われた夢しか認めない社会で、本当に希望なんてあるのだろうかと思う。

ほんのわずか、僕を先輩とたててくれる後輩たちに言いたい。

僕はずっと何者にもなれず、何かになりたがっていた。それは君らがよく知ってるだろう。ただ、ようやくちょっとわかったから言いたいのは、何者にもならなくていい、ただ、自分であり続けてほしいということ。

僕は結局、あんなに反発していた、親や、周りの大人の顔色を伺い、何かにならないといけないと思ってたにしかすぎない。何かになって、認めさせてやろうと。
でも、そんなこと、人生の幸福には1ミリも役に立たなかった。

自分が何者なんてどうでもいい。肩書きや職業名なんか、もう要らない時代が必ずくる。ブロックチェーン技術のように、本当の意味で個の時代がくる。でも、まだそうじゃない。

ただ、そうなれば、もう本当に毎日が闘いだ。

だから、一番大切なことは、どうやったらしあわせを感じられるのか、幸福度の上げ方を知ること。そして、それを遂行できる能力値を上げること。

僕に一番足りないのは昔も今も、それでしかない。ただ、いまは、大切な人と一緒に波を見つめながら、砂に足をつけ、潮風を感じる瞬間を幸福と呼んでいいのかなと思ってる。

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