「失敗を繰り返した先に成功がある」をナナメに読む

年に数回、私的なブログに熱心な時期がある。8月と12月だ。その時期が暇だから書くのではない、むしろ12月は忙しい。ではなぜ、他の時期よりも書くのか? 理由は単純で、いろいろと変化がやってくるタイミングだからだ。

8月は誕生月。新たな歳を迎えるの機に、ここでいろいろと振り返り&心機一転するために筆を執る。しばらく放置気味だったブログも、整理がてら開いては、1投稿を加え、そこからしばらくは、新たな投稿を加えることを楽しむようになる。なんとも都合のいい男感まるだしだ。

同じく12月は、新たな年を迎えるのを機に、ここでいろいろと振り返り&心機一転する。年と歳とで、結局は同じ。都合のいい男感まるだしなわけだ。

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これまでブログ的なものは、数しれず作っては放置しては、やめてはを繰り返してきた。10記事以上あるものだけでも、20個以上は作ってきた。1記事しかないのをいれれば、50はくだらないだろう。

個人的にはあくまでも実験の場として、新たなものに手をだしているのだが、実験とよべるほどまでに継続してやっていないのが困りものだ。継続しない一番の理由は、結果と呼べるものが存在しないからだろう。

これまで30職種以上やってきた人間なので、結局は飽き性なのがお家芸だと思われがちだが、その多くで、それなりに結果と呼べるものを残してきた。なんとも手前味噌だ。白か赤か合わせかは知らないが、口八丁手八丁やってきた。

仕事の場合は、例えば営業成績1位だとか、売上ナンバーワンだとか、役職だとか、そういったわかりやすい結果があるが、有名人でもない個人の思いつきではじめたブログにとって、結果といえば「PV」か「広告収入=金」になりやすい。例がないわけではないが、すぐに結果を出せるのは、なかなかトリッキーである。

そもそも「PV」や「金」的なものを求めてはじめたわけではない場合はなおさら、それが多少増えたところで、なんのモチベーションにならないのだろう。役所広司も「打つ手なし」とすぐにさじを投げてしまう。

いわゆるブロガーをはじめました的な、夏場の冷やし中華くらいの雨後の筍状態な人たちが、最終的に「PV」か「金」に目がいきがちになるのも致し方ないような気もする。それが悪いわけでもない。

いずれにしても、わかりやすい結果というのは、継続させる上では大切なのだろう。そういう意味で「企業」の仕組みはよくできている。月間成績ナンバーワンなり、幾重にも積み上げられた肩書、昇給、ボーナス額等々、営業マン以外にも同様に何かしらの目に見える「結果」を用意しておくと、人間がんばれるものだ。

しかし僕の場合は、仕事で結果だしたところで、じゃあ次に行こうと新しい仕事を選んできたので、どっちにしても同じかもしれない。ライター業をはじめるまでは、ほんとにそんな連続だったので、まさに「打つ手なし」だ。役所広司さんといえば、正月にやっていたダイワハウスのガンマン風の格好のやつが好きだ。あれまたやってほしい。

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人は失敗をくりかえし、成功を掴み取るというが、そりゃそうだ。成功したら打ち止めなので、それまでは失敗の繰り返ししかない。失敗しないのは大門未知子くらいだ。結局は、それっぽく言ってるだけなのではないか。しかし、こうした言葉は面白い。

歩みを止めればゴールはなし
雨がやまなければ晴天はこない
稲を育てなければ収穫はない
食事と睡眠を繰り返し人は成長する

冷静にみれば、何の意味もないが、なんとなくモチベーションがあがりそうだ。食事と睡眠うんぬんなんて、ほんとに何もいってないようだが、捉え方次第では、「食事と睡眠が大事だから、本当に成長したかったら、しっかりと食事をとって、ゆっくりと寝ることが大事」とも読める。我ながら、相変わらずペテンがきく。

こうした言葉は、誰が言うかでも変わる。

藤本敏史が「稲を育てなければ収穫はない」と言っても、面白いことでも言ったのかなと思うが、彼の奥さんが同じ言葉を言えば、少しグッとくるものである。失敗を繰り返したその先に成功がある。がんばれ。

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たまにしか連続して書かないブログだが、それでも特に困ることはない。単なる趣味なので。買ったレコードが擦り切れるほど聴いたのは学生時代ぐらいで、大人になってからは、そういったこともなくなった。

雑誌なんて1冊を繰り返し隅から隅まで読んだが、最近は気になったところだけ読んで、あとは書庫行きも珍しくない。少年時代は、そんな大人をみて「もったいない」と思ったが、いままさに自分がそうなっている。もったいない。改めよう。


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