無駄を排除し続けている日本社会
セブのマクタン島での日常
最近は、セブのマクタン島に住んでいるので、のんびりとサイクリングをしている機会が増えた。特に急ぐ理由もないので、周りを見渡しながらゆるゆると走る。昼間に走っていると、小屋みたいなところで、ゴロゴロと寝ている人達や、日陰でたむろっているオッサン達をみかける。暑いから何もしたくないのだろう。いかにも南国気質だ。マクタン島には、野良犬だか飼い犬だかわからない犬が沢山、いるのだが、犬も昼間はゴロゴロしている。下手に暑い時に活動すると、熱中症の危険があるので仕方ないのだろう。
夕方、スーパーに行く時も、同様にのんびりと走る。大体、17時ぐらいだったろうか。すでに夕食を食べている人達もいるし、晩ごはんの準備をしている人達もいる。広場の横を通りすぎると、バスケットボールやバレーボールをしている子供達がいた。周りでそれを見ている大人達もいる。平和な情景だなと沁み沁みと感じた。その場は紛れもなく村であり、仲間であり、そして社会なんだなろう。日本ではもう、あまり見られない情景だ。
帰り際に焼鳥屋によったら、近くに子犬がいたので、買ったばかりの肉を少しだけ与えてナデナデした。生後、三ヶ月にも満たない犬が、首輪も着けずに道路ぎわにいるのは危なっかしくて見ていられなかった。でも、とやかく言えることでもないので仕方がない。アイツラが生きていれば、今度、また餌をあげるつもりだ。子犬にさわるのは久しぶりだった。
日本社会の現状
今の日本では、マクタン島のような情景を見ることは、まずないだろう。オッサンが、たむろしていれば警察を呼ばれる。昼間にその辺りで寝ていた人が、警察に叩かれながら怒られている動画をtwitterで見た。病気だったり体調不良の可能性もあるから、やり過ぎ感は否めないが、そういった対応をするのが一般的なんだろう。
子供が遊ぶための広場は、日本にはもうあまり残っていないし、塾に通っている子供も多い。また18時頃にノンビリとできるほど、時間に余裕のある大人はあまりいない。大人と子供の社会は確実に分離されている。
日本には、野良犬や、そのあたりで産まれた子犬もいない。飼い犬と、ブリードされた犬達だけだ。飼い犬に対して、下手に触ったり餌を与えることはできない。見方によっては、不自由な社会だ。
日本がこうなったのには、きっと理由がある。なぜなら、昔の日本にもマクタン島みたいな時代があったはずだからだ。思うに、あらゆる無駄だと思われることを排除し続けたのが今の日本ではないだろうか?働かないオッサン、広場、子供の遊び、大人の遊びなどなど、様々なことを排除してきた。公園からジャングルジムが消えたのも、「危険に思えるジャングルジム」を無駄だと考えた結果だ。この流れは今後も続くのだろう。例えば、これからはセクハラ対策などで、企業での社員に対する指導が厳しくなるのは目に見えている。マニュアルも作られるだろう。会社は仕事をする場所なので、雑談は無駄だとみなされて、次第に会話は減っていく。このように、様々な人間の営みが制限され続けている状況は、まるで魔女狩りのようにも思えてくる。日本はいつまで魔女狩りを続けるのだろうか?私は合理主義者なので、無駄を排除したい気持ちでいっぱいだったが、セブ島に住んでいると、何が本当の無駄なのかわからなくなってくる。無駄をなくし続けた日本社会の行方は、ユートピアなのだろうか?ひょっとすると、ディストピアかもしれない。
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