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ACIMワークブック Lesson 342

本日のレッスン

私は赦しをすべてのものの上にとどまらせる。そのようにして、私にも赦しが与えられるからである。

本日の気付きと学びのシェア

今日は10日ぶりにACIMのワークブックを実践することが出来ている。
遠出をしていたため、というのは言い訳になるのかも…。とはいえ、親族のお家にお邪魔していたのだ。向こうにも生活リズムがある為、なかなか瞑想の時間を取ったりすることは出来なかった。

こういう状況を見越してか、ACIMでキリストは明確に次のようなことを伝えている。

「ワークブックを何の障壁もなしに最後まで完遂できた者がいれば、その者はワークブックを正しく実践できていなかった事になる」

それだけに、ACIMを日々実践し続けることは難しく、逆を言えば紆余曲折をへることが当然なのだ。

よって、今回も出来なかったな…と自分を責めるのではなく、むしろこの罪悪感さえもレッスンで学ぶべき事柄としてとらえることが大事なのだと思う。


さてと…。
今日のレッスンは、ACIMのテキストでも何度も出てきている概念となる。
つまり、兄弟を赦すことによって、初めて私たちは贖罪を受け入れることが出来るというものだ。

本来、私たちは無罪性であるため贖罪を必要としない。しかし、この世界において私たちは罪悪を信じている。よって、この世界においては贖罪が必要なのだ。

兄弟は、私たちの罪悪を私たちの外側に投影することによって、直視する機会を与えてくれている。時には、それに飲み込まれ、時には赦し。リアルすぎるように見えるそれは、実際は幻想でしかない。

しかし、それを手放さずにいるという事は、私たち自身を赦さずにいるという事だ。


なので…
私は、罪悪を保持し、兄弟に罪を被せる様なことをもうしたくありません。
それは余りにも辛く、苦しい道です。終わりのない、苦行道です。

だから、神の与えてくれた計画に感謝いたします。
愛と喜びと感謝に満ちた世界を見れますように。
私たちは攻撃も、防衛も必要ない存在だったという事を気が付けますように。

楽に、楽しく生きたーい!
水にゆらゆら漂う水草のように。
もしくは大空を舞う、鳥のように。

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