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ACIMワークブック Lesson358

本日のレッスン

神への呼びかけは聞かれないことも、応えられないままにされることもない。そして私は確信している。神の答えこそ、私が真に望む答えであること を。

ヘレン・シャックマン. 奇跡講座 下巻 (pp.819-820). 中央アート出版社. Kindle 版.

本日の気付きと学びのシェア

最近は余りにも大きな罪悪感に押しつぶされそうな日々を送っていました。そういう時こそ、奇跡講座に縋りたくなる。この本の美しい文章で、頭の中でいっぱいにする事で、目の前の状況から目を逸らしたいがために。

一方で、目の前の現象に意識を取られては、今日のレッスンを忘れてしまうことも。一度忘れてしまえば、神のことをなおざりにした自分に嫌悪感を抱き、明日からまた仕切りなおそうと、レッスンを遅らせてしまう。

いずれもエゴの罠に他ならない。

ただ、救われたくない一心で真理から目を背けているんだ。

以前は、大きな恐れや罪悪感が立ちはだかると、人の目を直視することも出来ず、それからひたすら逃げようとしていました。部屋にこもり、目を閉じては何時間も瞑想をしていました。

感情をあるがままに見つめることは、確かに重要だと思います。でも、静かな部屋の、暖房が効いた心地よい空間で、落ち着けるのは当たり前で。瞑想をいくらしても、実際人の前に立った時に、その平安は崩れ去って、また罪悪感と恐れがあふれ出してきます。

(当然ですが、私は罪などもちろん犯したことは無く、むしろディズニーに出てくる図体だけはでかいのに、性格だけは臆病なタイプの男のようだとよく言われます)

なので、今は目の前の事を受け止めようとしています。自分のありのままを受け入れ、他者を受け入れようとしています。

あなたが 置かれている状況はどれもみな、あなたの関係のために設定され た目的を果たすための手段に他ならない。それを何か別なものとして見る なら、あなたには信が欠けていることになる。

ヘレン・シャックマン. 奇跡講座 上巻 (p.787). 中央アート出版社. Kindle 版.

何故なら、全ての状況や関係も、一つの目的を果たす以外の役割を持っていないからです。その目的とは、赦しを受け入れることです。

自我が都合よく与えてくれる平安なひと時はもう要らない。それは土くれのように、無味無臭で(食べたことないけど)、すぐにボロボロと指の間から零れ落ちて、最初からなかったかのように苦痛だけしか残らない。

だから…恐れや罪悪感を

それらが入ってくるまま にし、穏やかに見なさい。 しかし、それらを使っ てはならない。不信は幻想の召し使いであり、主人に対しては完全に忠実 である。不信を使えば、あなたはまっしぐらに幻想のもとへと運ばれること になる。

ヘレン・シャックマン. 奇跡講座 上巻 (p.787). 中央アート出版社. Kindle 版.

穏やかに、静かに見つめることしか自分にはできない。肉体でどうこうして、これらを拭い去れないことは、もう何度も体感して確信している。そこに救済は無かった。

聖霊よ。あなたを信じます。

神は私の呼びかけを聞かないことも、応えられないままにされることもないということを、信じます。信じて、静かになります。

ただ、光が私を照らしていたことを信じます。

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