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創作BL「青い月に啼く」9

人間と魔の混血種が住む民族区域が舞台
混血種が自治のため結成した「凶徒(マフィア)」のとあるファミリーの話

混血種
人里に住む者は殆ど人間と同じ生態だが、身体能力や見た目に強く血統が現れる者もいる
青い月が昇る夜、本来の魔の姿に戻るとされている

登場人物
スターシステムを採用し「鹿書房」こと伍月鹿作品のキャラクターが別人として登場します



 古いレコードが低音を響かせる。
 プレイヤーの横に積み上げられた本をどけると、微かに混ざっていたノイズがクリアになった。

「っ、」

 結果に満足したのも束の間、バランスを間違えた右手が床に本を落とした。
 ばさばさと響く音が反響するように空間を支配する。
 部屋の向こう側にいたラムネが振り向くのがわかった。彼女に問題ないと伝えて、本が傷む前に拾い上げていく。

「……その指」

 ソファーにまるめられていた毛布から、声がする。
 無機物が喋ったのではない。
 薄い身体が、布に完全に覆い隠されていただけの話だ。
 音に驚いた様子がないのは、布越しにこちらの様子を見ていた為だろう。
 嫌なところを見られた。
 思わず出た舌打ちは、彼にしか聞こえなかったはずである。

 やがてもぞもぞと顔を出した青年は、茶色が混ざり始めた瞳を瞬かせた。

「どうして、治さないんですか。吸血鬼は、想像の生き物でしょう。自分を治療することも、指を付け替えることも簡単でしょうに」
「……」

 狼男に指の交換を提案されるのは、なかなか物騒な体験だ。
 私は彼を直視しないように気をつけながら、どちらも必要ないと答える。

 ルーガルーの始祖の血を受け継いだジャンは、宴以降、秘宝を生み出す能力を失った。
 若頭のレオは、いずれ彼を若頭補佐に据えたいと考えているらしい。それはいつかは私にとって、上司になる男だということだ。
 完全に無視をできない。
 ソマギはここを気に入っているし、彼をよく気にかけている。

 それでも、私はこの幼いルーガルーが苦手だった。  
 
 吸血鬼が想像の生き物というのは本当だ。
 身体を動かす血液がある限り、吸血鬼はどんな姿にも変えることができる。生前の姿から大きく顔や身体を変えるのは難しいが、指先程度ならいくらでも補うことはできるのだ。
 そうしないのは、ソマギが望むからだ。
 だが、そんなことを目の前の青年に告げたからといって、理解を得られるとは思っていない。

 改めてオオカミ少年を見下ろす。
 彼は、自分から話しかけてきた癖に、すでに私から興味を失っているように見えた。
 視線は回り続けているレコードに注がれ、時折退屈そうに欠伸を噛み殺す。何を考えているかわからない無表情さは、彼元々のものらしい。
 ジャンがソルジャーに選ばれたのは、始祖の血だけが理由ではないと聞いている。周りの大人に気後れしない物言いや、仕事の能力が彼をいまの地位に立たせているのだ。

 私に言わせてみれば、よくもまあ、こんな愛想もなく自由奔放な男を皆、傍に置きたがるものだ。

 ふいに起き上がったジャンは、テーブルに置かれた水差しに手を伸ばした。
 彼が触れる前に、コップに水をそそぐ。
 目を丸くした彼は素直に礼を口にした。
 微かにはにかむような表情は、ソマギが見れば悶絶するに違いない。
 結露がついた指先をふると、彼はまた私の動かない指先を見つめた。

「そうだ。俺が治しましょうか。ルーガルーの治療は荒療治ですが」
「お手を煩わせるに及びません」
「でしょうね。というか、俺がレオに叱られる」

 人の肉は禁じられているルーガルーは、自嘲気味に笑う。
 水を飲んだ彼は再びソファーに沈み、苦し気に息をついた。

 酷い顔色だ。思わず目を逸らす。
 拾って、そのままになっていた本をテーブルに移動する。てきとうに積み上げ、彼が触れられるようにその上の物を整えた。

 ソファーの上で微睡んでいる青年は、現在、自治区内で行方不明ということになっていた。
 正確にいうのなら、数時間前までは確かに行方が知れなかった。
 ゼンがまた持ち場を離れて彼を攫ったのだ。
 しかし、区外に出ることができない彼らが行ける場所は限られている。今回はたまたま外出していたジャックが保護し、あっさりと逃亡劇は終わりを告げたようだ。
 ゼンも、本気で逃げるつもりはなかったのだろう。
 病人を雨の中歩かせることに反対したジャックが、ここに二人を連れてきた。
 大人しく医師に従ったゼンは、そのままチトラの元へ送られた。今頃、レオとチトラにこってりと叱られているに違いない。

 その間、残されたジャンはこのホテルで保護することになった。
 安全な場所に秘宝がいることを確認したチトラは、それらの情報を持つ者に緘口令を敷いた。
 つまり、彼らはまだ見つかっていないということになっている。
 雨がやんだころに負傷したゼンがどこかで見つかり、若い者に発見される算段だろう。趣味の悪い絵図だが、組織にはときにそのような制裁も必要ということらしい。

 この部屋は先の宴でファミリーに提供した場所で、ラムネたちが使っていた空間には思い思いの私物が放置されたままだった。
 本にレコード、酒に煙草。
 暇つぶしの道具は無数にあるから、私がいなくても勝手に時間を潰せるだろう。
 だが、ソマギに待機を命令された以上、私はこの部屋から動くことはできなかった。
 長い日々で、一日くらいなんてこともない。
 だが、ここで複数の種族と過ごしていると、感覚はおかしくなりつつあった。
 ソマギを待つ些細で短い時間の潰し方を、私は思い出せなくなってきている。

 ジャンが瞼を降ろした隙に、その場から離れた。
 奥で荷物を整理していたラムネの元に向かうと、女郎蜘蛛は呆れたような笑みで私を出迎えた。

「アサリ、十分しか経っていません」
「どうせあの様子じゃ、話し相手もいらないでしょう」

 退屈しているだろうから、傍にいてあげて。
 そうラムネに頼まれたのが、私にとっては随分前のことだったように感じる。
 だが、時計は確かにあまり動いていない。

 窓際は、雨音が微かに聞こえた。
 先ほど顔を出したラムネは、部屋に放置されていた衣装を引き取りに来たらしい。
 気を取られるふりをして彼女に背を向けると、ラムネはこれ見よがしに溜息をつく。

「貴方も相変わらずですね。ここに来たときから、少しも成長していない」
「吸血鬼は、年齢が止まるもので」
「ソマギがあの子を気に入っているのは、貴方に似ているからでしょう。そこまで警戒しなくても、取られませんよ」

 彼女の言葉は、わざわざ指摘されるまでもないことだ。 
 わかっている。
 この感情は、同族嫌悪のようなものである。

 ソマギ曰く、ジャンは、人間だった頃の私に似ているらしい。
 地味で平凡で、何の面白味のない男だ。だが、ソマギほどに美しく高潔だと、逆にその純朴さに惹かれるところがあるのだろうか。
 女の血は嫌いだと豪語する吸血鬼は、自身の欲望に忠実だ。
 好みの青年を見かけると自分のものにしようとして、行く先々で気味悪がれていたのは何十年ほど前のことだっただろうか。
 安定して血液が手に入る自治区で、仲間を増やす必要はない。
 だが、時折、彼がジャンを見る目は真剣である。嫉妬だなんだと笑われようとも、こればかりは確かなのだ。

 私には、もうソマギしかいないのに。
 子供のような独占欲と嫌悪が混ざって、ルーガルーの始祖を敬う気持ちが持てないでいる。
 いまはただの子供に過ぎない彼が成長したとき、私はどう彼と向き合えばいいのだろうか。
 
 どちらにせよ、なにもかも、ソマギ次第だ。
 返事を先送りにした私に、ラムネは見透かすような笑みを見せる。

「……ゼンは、あの子がレオに取られるのが嫌なんですって」

 やがて彼女は、打ち明け話をするようなトーンで語った。

「レオは少し頭が古いところがありますから。悪気はないのはわかりますが、チトラとアオイにもよく結婚を進めているでしょう」
「そんなことができたら、こんな場所にいないでしょう」
「そう。だから、レオの元に送ったらジャンも洗脳されてしまうんじゃないかと不安なんですよ」

 片付けの手をとめたラムネは遠い目を見せる。
 どこか遠くを眺める桃色の瞳には、何が映されているのだろうか。
 私は見えるはずのない色を思って、口を閉じる。
 やがて、初恋をした少女のような笑みを引っ込めた彼女は、何故か私と目を合わせた。

「そんな心配、いらないのに。だって、本当に大切な人しか好きになれないものでしょう?」
「……私に、聞かれても」
「アサリは本当に、相変わらずですね」

 優しくほほ笑んだ女郎蜘蛛が、私の背に触れる。
 
 その瞬間、待ち望んだノックの音が聞こえた。

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