創作BL「青い月に啼く」7(後)
人間と魔の混血種が住む民族区域が舞台
混血種が自治のため結成した「凶徒(マフィア)」のとあるファミリーの話
混血種
人里に住む者は殆ど人間と同じ生態だが、身体能力や見た目に強く血統が現れる者もいる
青い月が昇る夜、本来の魔の姿に戻るとされている
登場人物
スターシステムを採用し「鹿書房」こと伍月鹿作品のキャラクターが別人として登場します
チトラは用具小屋へ呼び出した私に、どこまで知っているか尋ねた。
内容は、聞かなくともわかる。ここ数日、自治区内は噂で持ち切りで、皆が同じ話を繰り返していた。
組織のクーデターだ。
ボスの暴走は目に見えてきていて、若頭のチトラが反旗を翻すのは秒読みとされていた。
ボスが若かった頃、自治区は混乱の最中にあった。
国際政府が猛威をふるい「生産性」のない人間を排除していた頃、逃げ延びた混血種たちは自分たちだけで生きる術を模索していた。
地区の自治を認めさせ、表向きは争いはなくなった。
しかし、まだ内部は権力が分散し、複数の黒徒がシマの奪い合いをしていた。
ある組織は政府からの隠れ蓑に。
別の組織は中と外のスパイ活動の為に。
人間の構成員も当時はどの組織も多く抱えていて、混血種の市民を迫害するような動きもあった。
それらの縄張り争いに終止符を打ったのが、首領と言われている。
彼は、この辺りを牛耳っていた男をたった一人で暗殺した。
彼は弱体化していたファミリーの前身を支え直し、一代で組織を自治区で一番の自衛組織・黒徒に仕立て上げた。
市民に慕われ、ファミリーを大事にした男だった。
彼が人間であることを、誰も気にしなかった。
混血種であっても彼の元でなら喜んで力を貸したし、古くからこの辺りの地を牛耳るルーガルーもこの頃に多くが戻ってきていた。ボスはルーガルーの長と異例の盟約を交わし、人間でありながら彼らを仕える身となった。
だが、彼も老けた。
人間は混血種より短命だ。
混血種の成長速度や外見の変化は濃く血を引く種族によるが、特にルーガルーや跡継ぎの地位を確立したペリュトンの一族は人間の倍以上の時を生きる。
ボスは彼らに自治区の未来を託すのだろう。
誰もがそう思い、水面下で権力交代の準備も進められていた。
そんな矢先、ルーガルーのシマに襲撃があった。
娼館街と呼ばれる一帯は、自治区で一番の歓楽街だった。
歴史も古く、観光客も多く出入りする。
そんな場所で起こった事件で、土地の奥深いところで半分隠居暮らしをしていたルーガルーの長が殺された。彼の側近たちも皆殺しされ、犯人グループはすぐに逮捕された。
彼らは、自治区内に枝葉組織を持つ巨大黒徒で、以前から我々の存在をよく思っていなかったらしい。
ここのところ、自治区内が騒がしいのはその所為だ。報復の計画が進められているいま、本来ならばこのような場所で酒を飲んでいる場合ではない。
屋敷の前で飲んでいた幹部たちも、今後の成り行きを話し合っていたのかもしれない。内部でも様々な権力争いがあって、誰がどこにつくか、皆が腹の探り合いをしたいのだ。
いま、小屋に集まっているのは、前衛を任されるであろう有望なソルジャーとカポレジームたちだ。
年齢はバラバラだが、比較的若い層といえるだろう。
私はチトラが描いた図が見えた気がして、膝の上で手のひらを握りしめた。
ふと、子供の泣き声が変化した。
見知らぬ大人に囲まれ怯えていた子供は、レオの腕の中で乾いた咳を繰り返した。
皆が、少年を見守る。
赤い瞳を潤ませ、細い身体を苦しそうに曲げる。焦点が合わない瞳は熱を持っているかのようだ。開いた唇から鋭い犬歯が覗いているのに気づき、レオが子守を引き受けている意味を知る。
「この子はルーガルーなのか」
「いいから、見てろ。滅多にない光景だぜ」
私の疑問に、ヘリックスが囁く。
子供の肩から、毛布が落ちる。
羽が擦れるような音に、そこにいた全員が息を潜めたのがわかる。
レオが支える体の長さに、少年が、最初の印象より幼すぎるというわけではないことに気付いた。
10か、それに届かないくらいか。
ソファーの座面に収まる小柄な体躯は幼いというより、発育不良のような歪さを覚えた。
咳は次第に粘膜質なものになり、薄い身体が震えだす。
酷い顔色だ。
このまま見ているだけでいいのかと不安になった瞬間、少年の両手が徐ろに口元に移動した。
はっきりと呻きとわかる叫びのような声のあと、少年が喉を痙攣させた。
「っ、」
思わず目を見張る。
レオが支えた手のひらに、何か輝くものが落とされる。
唾液やその他の分泌物と共に転がり落ちたそれは、体液に覆われてもなお、それが持つ輝きを損なわない。
少年が全身を震わせる。
吐き出しても痙攣が止まらない様子の喉は、彼の呼吸を乱すばかりだ。見かねた様子のアオイが腕を伸ばし、彼を先程までくるんでいた毛布を拾う。
私も、全身に力が入っていたことに気づく。
意識して呼吸を再開させながら、辺りを見回す。
チトラが、微笑んでいたのがわかった。
少年はまだ、レオの腕の中で、大粒の涙を零していた。
吐き出したものの表面に落ちた雫が、つるりと伝う。レオの手を汚したそれが、小屋に差し込む明かりで赤く染まる。
「よくやった。偉いぞ」
少年を励ますレオの声は優しい。
しかし、その表情に始祖への畏怖や敬意が含まれていることに気づかないほど鈍感ではない。
彼が吐き出したガーネットは、赤い瞳を持つルーガルーだけが生み出すことができる秘宝だ。
黒徒では、ルーガルーと混血種の絆として引き継がれている貴重な宝石である。
「その様子だと、君もある程度は知ってるようだな」
レオが尋ねる。
私が頷くと、彼は掌に乗せていた宝石を私に渡した。
レオがスーツの襟につけているものと、同じものだ。
「始祖の血を受け継いだルーガルーが、成人するまでに生み出すもの、とだけ」
「概ね、その通りだ。我々の繁殖は複雑でね、始祖の血は隔世遺伝のようにしか現れないのだ。この子の親が正確に誰なのかはわからない」
自治区一番の職人に加工させたガーネットは、バッチになってファミリーの証として皆に支給されている。
とはいえ、全員が支給されているわけではない。
秘宝には失われたものも多く、現段階では限りがあると聞いていた。現在、それを持つことができるのは、組織で役割を与えられたアソシエーテ4人とその直属のソルジャー3人のみである。
ソマギとヘリックスの胸には輝く秘宝があったが、ルーはつけていない。チトラは外しているのか、普段着にそれらしいものはついていなかった。
レオが少年の頭を撫でる。
彼は、街はずれで隔離されていたらしい。
先日の襲撃で長を失い、レオがその座を引き継いだことで発覚した。
それまで誰も知らなかった始祖の血。
ルーガルーの始祖には、様々な能力があると言われている。
その身体から『ルーガルーの心臓』と呼ばれる強力なベキリーブルーガーネットを生み出すこと。
匂いだけで悪魔と化した人間を見分け、自治区から排除する役目を持つこと。
狼男の伝説のように、人間を殺すための能力に特に長けていること。
薄まった血のルーガルーは持たないそれらの力は、凶暴性故に恐れ、崇められているのだ。
、泣き疲れて瞳を落としかけている子供を、レオはまたソファーに戻した。
ビー玉のような雫を落とした子供は、再び小さな寝息を立て始める。
「こいつに親の名を聞いたら、なんて答えたと思う?」
ヘリックスが言う。
私が首を横に振ると、彼は冗談めかした調子で肩を竦めると、ボスの名を出した。
ボスの隠し子、というのはそういう意味らしい。
「ボスは、この子の存在を知っていた。恐らく、誰にもこのことを告げていない。ルーも知らなかったんだろう?」
「うん。あんまりこういうことを言うのはよくないけれど、皆、彼に裏切られていたんだろうね」
秘宝は、ファミリーの財産だ。
かつてルーガルーと協力関係を結んだ際、そう取り決めたと聞いている。
それを破ってまで、彼は秘宝を独り占めしようとしていた。
そう淡々と語ったチトラは、用具小屋の中でも声を潜めた。
「心臓を売り裁いた形跡があった。この子の様子から、酷く扱われたことも推測できる。金のためか、名誉のためか……。どちらにせよ、ここしばらくのボスの暴走すべてに説明がつく」
ボスは、ある日突然、娼館街を手放す意向を皆に告げた。
ファミリーの多くは反対し、その計画は取りやめになったが、今度は敵対してるファミリーとの密会が告発された。
ボスは耄碌し、自分が何をやっているのかわかっていない。
そう囁かれ、浮かんだクーデターの噂。
一連の騒動の中心に、この子供がいると考えれば、説明がつく。
「そもそも難攻不落と言われているルーガルーのシマを襲撃したのも不自然だ。つまり、内部の人間が手引きをしたと考えるのが自然だろう。そして今朝がた、この子が偶然拾っていた薬莢が見つかった」
チトラが腕を伸ばす。レオが先ほど磨いていて、テーブルに残した銃を拾い上げた。
芸術品を愛でるように撫で、銃身に掘られた登録番号をなぞる。
先日から、ボスは国際政府の尋問に出かけている。
自治区内の事件とはいえ、規模が大きくなると政府の介入は避けられない。また複数組織の関わりが示唆され、我々の組織にも疑いをかけられているのだ。
表向き、ボスとルーガルーの関係は共同経営者だ。
ボスは今頃、友人を亡くした悲しみを国際政府の前で訴え、組織に影などないように振舞っているはずだ。
その間、子供の世話を任せられたレオとチトラは、彼が育った部屋に初めて足を踏み入れた。
まだ襲撃のあとが残る部屋に、一つだけ回収しそびれた薬莢。
そこに登録されている番号の持ち主は、聞かずともわかった。
「ボスは、秘宝の美しさに目が眩んだのかもしれませんね」
ソマギがやんちゃな子供に呆れるように笑う。
いつの間にか話の輪に加わっていた彼は、子供が眠るソファーに凭れた。
汗が微かに浮かぶ額に触れる。
吸血鬼の冷たい指先は気持ちがいいのか、寝顔がいくらか穏やかになった。彼が案外優しい表情を浮かべると、自分の宝石に触れた。
「または、宝石の力に狂わされてしまったか。彼が悪魔になりかけているというのも、あながち笑いごとではないのかもしれません」
「この街で長く過ごした所為だろう。人間は脆いから」
夜の街と呼ばれる土地の特徴の一つだ。
アオイが諦めを告げるように吐き捨て、自分のグラスに酒を追加する。
「ボスは、ルーガルーを自治区から締め出そうとした。そのうち、我々混血種全員を締め出しにかかるのかもしれない。そうなったらこの夜の街は終わりだ」
レオが重々しく告げる。
チトラは銃を置き、私に向き直った。
「ボスが敵組織にルーガルーを売った。そのほかにもおかしな噂は多くあって、クーデターはどちらにせよ秒読みと言われている……。僕たちは、この状況を丸ごとひっくり返す力が必要だ」
チトラは、ここにいる者は皆味方だと言った。
だが、これだけでは組織は動かせない。レオがいるとはいえルーガルーがいつ反旗を翻すかもわからないし、ボスの暴走は自治区で広まり始めている事実だ。組織の信用や面子も失いかけているいま、ボスが代わったくらいでは承認を取ることも難しいだろう。
また、少年の存在を秘めておく必要もあった。
ルーガルーの成人は十八だ。
少なくともあと数年間、彼が宝石を生まなくなるまでの間、誰にも貴重な存在を知られてはいけない。
「……そこで、ゼルに力を貸してほしいんだ」
チトラは、幼馴染だった。
横に座るヘリックスも同じことだ。
自治区に生まれ、共に育った。戦争で親族を亡くした子供を引き取り、まとめて育ててくれたのもボスだった。
兄弟のように育ったチトラのことは、他の誰よりもよく知っている。
彼の美しい瞳が、切なげに揺れる。
その葛藤が読み取れるほどに、私は彼を知っていた。
だから、躊躇う理由はどこにもなかった。
「わかった」
「わかったって、お前な……」
「組織を、裏切ればいいのだろう。スパイでも、裏工作でもなんでもいい。なんでも、命令してほしい」
「おやおや。タラスクの坊やがチトラのために何でもするのは、本当だったんですねえ」
「約束したんです」
立ち上がって、チトラの元に近づく。
彼の足元に膝まづくと、複雑な感情を浮かべている瞳の様子がよく見えた。
彼の手を取る。
ひんやりとした細い指を握り、口づけを落とす。
足元に見える微かな影は、彼が美しい証拠だ。人間を殺したペリュトンは自分の影を取り戻す。だが、彼はその朧気な影を濃くする努力をしない。
チトラがいつも浴びるように酒を飲むのは、少しでもその痛みを忘れるためだ。
本能に背いた混血種の末路を、知っている。
それでも彼は、誰よりも強くて美しい。
この汚れてしまった世界で、彼だけが本物だ。
だから私は、青い月が昇り続ける限り永遠に、チトラに誓うだろう。
「君の代わりに、私が影になる」
◇◇
月が眠りに落ちる。
微かに差し込み始めた朝日は柔らかで、夜の間の混乱を覆い隠すような安らぎさえ感じる。
報告を聞き終えたルーが欠伸をするのが見えた。
無理もない。一晩かかった後始末のあとでは、集中力も落ちるというものだ。
数年前のクーデターに始まり、ここ数日の事件や攻撃は全て、件であるルーがした予言した通りであった。
件の如し、彼が見ることができるのは断片的な出来事に過ぎない。
それらをつなぎ合わせ、情報を元に組み立てた未来を私達は慎重になぞっていった。
その功績に、ゼルの存在は大きい。
かつて敵組織に侵入し、ボス殺しの容疑で疑われた存在だ。私たちの指示で汚れ仕事を引き受けた彼は、この五年間、裏で暗躍してくれた。
見せしめのために彼から奪った右目は、宝石のように美しい赤い色をしていた。この地では権力の証にもなり得た色を失った彼は、いまは地味で目立たない青年として皆に煙たがられている。
だが、おかげで本当の裏切りものを捕まえることができた。
先代のボス、私にとって父にも等しい存在が、見た目を変え、再び襲ってくるとは思わなかった。
老いてもなお欲深く、あわよくば再びこの地で権力を得ようとしていたのだろうか。
または奪われた宝石を取り戻しにきたのだろうか。
真相は不明だ。彼は仲間が捕らえた独房の中で沈黙を守っている。
いまさら彼を知ってもどうしようもない。そう考えてしまうのは、私も疲れている所為だろうか。
しかし、彼を掴まえたとこで明らかになったことも多い。
部下をさがらせ、相談役と二人きりになる。しばし生まれた沈黙は、彼も先の展開を考えているからだとわかった。
「まだやることはありそうだね」
「苦労をかける」
「ただ……、こんなことを繰り返していても皆いなくなるだけだ」
ルーのいつになく慎重な口ぶりに、首を傾げる。
彼は瞬きを繰り返したあと、グラスに残っていた酒を飲み干した。
「邪魔なものを排除し続けても、終わりは来ない。君がいつか苦しむだけなんじゃないかなと思って」
「ルー、」
「コンシリエーレとして、聞きたくないようなことも言わせてもらうよ。君は一番大事な友人を拷問までして、僕たちを守ってくれた。でも、それでも争いはなくならない。また君が傷つくような犠牲ばかり増えるのなら、僕は」
「ルー。私は大丈夫だよ」
血のように赤い、気に入りのカクテルを朝日に掲げる。
喉に流し込むと粘膜を焼くように燃える。
その熱さごと飲み込んで、私はこの地でも確かな信念を告げる。
「人は殺せる」
この土地が、たとえ、決して出られない檻だとしても、青い月に護られた夜の美しさは変わらない。
朝日が作る影は、まだ完全ではない。
ペリュトンの血が嘆き啼く。
それこそが、私の求めた生き方だった。
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